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As a Main Premise

演繹… 前提が真であれば、結論も必然的に真でなければならない
帰納… 前提が真であっても、結論が真だとは保証されない

Wayman Tisdale - In The Zone


真実はいつもひとつ!

名探偵コナン


はじめに

 1999年頃から始まった『デフレ』は、途中で少し改善の兆しはあったものの、コロナ禍に襲われ、まだまだ脱却できそうにありません。一体いつまで続くんだと誰もが思っているでしょう。対策として金融緩和などが行われていますが、経済とか金利とか私には難しくてよく判らないのです。理解力が足りないのが悪いことは判っているのですが、物事を考えるときはできるだけシンプルに考えた方が良いのではとも思うのです。
 さて、ここでデフレの”定義”を見てみると、

《物価が持続的に下落していき、総需要が潜在産出量を”下回る”ことが主な原因》

です。
 要は『モノが売れない』ってことですよね。ここでちょっと気になったのですが、モノが売れない原因には大きく2つのパターンがあることです。
 a. 消費者にモノを買う余裕がない
 α. 消費者が欲しいモノではない
この2つです。気になったことというのは、1999年頃から続いているデフレはこの2つのどちらが原因なのか? ってことです。a と α は全然違いますからね。需要側である消費者が欲しいモノを売っているのに買わないのか、そもそも欲しいモノではないのか、の違いです。
 需要者が欲しくないモノを売っても、買う人はいないことは自明でしょう。

 p. 供給者/生産者が、需要させたいモノを売る… 独裁国家
 q. 需要者/消費者が、供給して欲しいモノを売る… 民主主義

 長引くデフレは、この2つのどちらをやった結果なのかが気になるのです。後者であれば金融緩和とかいろんな政策をするのは判るのですが、前者であれば「消費者が供給して欲しいモノを供給しろよ」って話になりませんか? どんな会社でも自社製品は売りたいに決まっていますよね。その売りたい製品を作るときに2つの視点があります。
 p. 自分が作りたいモノを作る
 q. 他人が求めているモノを作る
どちらが売れるかはすぐに判りますね。デフレの原因が p なのであれば、金融緩和などをする前に先ず、q に変えることが必須ではないでしょうか。

 どんなに高度で複雑な政策をしようと、前提が間違っているなら何の意味も無いってことです。p と q は『逆操作』と言えますが、命題が真だからといって”逆”も真だとは限りませんよね。

【 前提 と 低レベル 】

「いや、そんな低レベルな話じゃなくて…」
 人と話をしているとこう言う人がいます。今、話している内容よりも”高度”な話がしたいからそう言っているのでしょうが、気になるのは、それは低レベルな話なのか、それとも大前提の話なのか? ってところです。
 本当に低レベルな話であれば、その話をすっ飛ばして話すことは良いかもしれません。しかし、それが大前提の話ならすっ飛ばすわけにはいきません。なぜなら、それ以降の話はその大前提に基づいて進めていくわけですから、それをすっ飛ばした話はまさに『机上の空論』になってしまいます。いわゆる”時間の無駄”になりますね。妄想や空想の話です。

 解けない問題を解こうとしてどんどん複雑な方向に行ってしまい、まるで迷宮に迷い込んだかのような状況になることがあります。そんなときは”基本に立ち返る”ことも大事なことですよ。
 他人が欲しいモノではなく自分が作りたいモノを作るから、それが売れなかったときに”身内に買わせる”なんてことをしなきゃいけなくなるのです。2000年代くらいから『好きなことで、生きていく』みたいな標語が流行り始めましたが、もしかするとデフレの”長期化”になにか関係しているかもしれません。

 では、【大前提】の確認をしていきましょう。



陰謀論のメカニズム

 アメリカの選挙ではよく『陰謀論』が出てきます。自分が支持する候補者が当選しなかったからといって「陰謀だ!」などと主張している人たちはよく見ますね。しかし、独裁国家ではなく、民主主義に基づいた選挙で公平に選ばれたのですから、支持している候補者が選ばれても選ばれなくても認めなければなりません。それが民主主義というものですからね。では、

 なぜ、陰謀論が生まれるのか?

を考えてみましょう。
 実はこれ、簡単に説明がつくのですよ。
 日本では昔から子どもに「自分が使ったものは自分で片付けろ」と教えています。まぁ、そう教えたところで子どもはなかなか片付けるようにはならないのですが、だからこそ何度も何度も言う必要があるのです。そして、この”片付けない”ことが陰謀論の始まりなのです。

 子どもの頃、いろんなおもちゃを使って遊んでいましたが、いつの間にか、遊んでいたおもちゃが”別の場所”にあったりしませんでしたか? これが陰謀論です。子どもにとっては「誰かが持っていった」とか「おもちゃが勝手に動いた」と感じることですが、『真犯人』は他の誰でもなく自分自身ですね。自分自身が持っていっただけなのに、「他人の仕業だ」と考えてしまうところから「誰かが裏で動いている」となり、陰謀論が生まれるのです。

 子どもはまだ、自分の行動を『客観視』することができないので、自分の行動に無自覚なことがあります。無意識におもちゃを手に持ったまま移動することがあるのです。しかし、自分ではおもちゃを手に持っていることは自覚していない。だから、別の場所に持っていったのは自分自身にも関わらず、「誰かが持っていった」と考えてしまうのですよ。

 そしてそれが大人になっても続いている人がいるのです。

 そんな人はなにもかもを『他人のせい』にします。とにかくあらゆることが自分のせいではないのです。なにがなんでも『他人のせい』にすることが癖/習慣になってしまっているのです。大声で喚き散らしている人なんかは、大声を出すことで他人のせいにしているだけ、「これは俺のせいじゃない!」ってことを周りに喧伝しているだけですね。

 そもそも、なにもかもが『他人のせい』なのであれば、その人には”責任能力がない”ってことになりますよね。だったら、そのポジションにその人が就いている意味がなくなるってことですから、そのポジションから外していいってことになりますね。あるいは『パーソナリティ障害』を視野に入れることになります。
 自分のせいでそうなったことなのに、自分以外の誰かのせいだと考えているから、間違った原因を直すことになったり、どこにも真犯人が見つからなかったりする。だから「陰謀だ!」となるのです。いやいや、真犯人は自分自身ですよ。

 ちなみに、子どもが「おもちゃが勝手に動いた」と考えることからできたのが、映画の『トイ・ストーリー』です。

 自分が使ったものは自分で片付ける… この【大前提】をやらないだけで、陰謀論が生まれたり、国や会社の命運を左右するようなことに発展するってことですね。『一事が万事』とはよく言ったものです。



データの扱い方

『演繹』 と 『帰納』

 現代ではいろんな会社が『データ』を使っとるやん。集計をとって傾向とか法則なんかを推論して、新商品の開発に役立てとるわな。ただ、データを扱うときに気をつけないかんことがあって、

 1. データから導き出された法則は、帰納であって演繹ではない
 2. 法則からの演繹が真なのは、現在の結論までに限る
 3. 結論を示すデータは、意図して選んではならない

ってのや。
 1 は、データってものは”結果の集計”をしとるんやから、そのまま解るやろ。複数の結果から1つの原因を探ることは、演繹ではなく帰納になる。
 2 は、データから導き出された法則は”過去”に向かって通用することはあっても、”未来”に向かって通用するとは限らない。データからの法則は、
 p. 過去 → 現在 … 演繹(確定)
 q. 現在 → 未来 … 推論(不確定)
この2つがあるってことね。未来は”確定ではない”ということやな。
 3は、これが一番重要かもしれんけど、データは『人間の意思を介在させてはならない』って性質がある。人間の意思が介在してしまうと、それは”自然にそうなったもの”ではなく、”意図して作られたもの”になってしまう。だったら、それで見つかった『法則』は一般化はできない、つまり未来に向かった推論/他のものに当てはめた推論には使えないってことになるのや。全体やなくて局所的にしか使えんものになる。

 a. 複数のデータを統合したら、1つの結論が示された… 真
 α. 1つの結論を示すデータを、複数のデータから意図して選んだ… 新

 この2つのどちらをやっているのかが分かれ目ってことよ。
 データからの法則が結果に結びつかないのは、データを帰納やなくて演繹やと認識して使ってしもうとるからや。最初に書いたけど、

 演繹… 前提が真であれば、結論も必然的に真でなければならない
 帰納… 前提が真であっても、結論が真だとは保証されない

 使っとる本人は演繹やと思っとるから、「〜なければならない」と考える。結果は絶対に正しいはずなんやけど、その結果が出ない。そのとき、『他人のせい』にすることがあるけど、それやといつまで経っても真犯人にはたどり着けんのやで。
 演繹やなくて帰納やと考えとるなら結果の真偽は「保証されない」ことを解っとるから、違う結果が出ても『他人のせい』にすることはないやろ。


『真』 と 『新』

 データから推論された法則には、真と新の2つがある。それぞれ、

 p. 真法則… 確定した法則
 q. 新法則… 仮定した法則

繰り返しになるけど、
 α. 帰納は、真偽を保証しない
 β. 演繹は、過去 → 現在 の場合において真であり、現在 → 未来 の場合は確定できない
 つまり、帰納であっても演繹であっても、真偽の確定はできないってことや。

 データから『真法則』を見つけるには、膨大な数の実証が必要になる。物理学の実験でもそうやん。過去のデータから法則を仮定して、実験してみて、ズレがあったら、法則の方を修正して… ってのの繰り返しよね。
 やけど、「法則は絶対に正しい!」と思い込んどる人は、法則を修正するって考え方ができんから、常に実証(実践)の方にうまくいかない原因を見出そうとする。もう一回言うけど、
 データは帰納であり、帰納は真偽を保証しない
 演繹は、未来を確定させるものではない
んやで。

 とはいえ、「いろんな法則が未来を予測して、当たっているものもある」と考えると思う。その場合は、その法則が『意図して作られた法則』やなくて、『自然の法則』やからや。人間の意思が介在しないのであれば、その法則は当たる。逆に言えば、人間の意思が介在した法則は当たらないってことよね。

 データの分析や解析の方法は難しいから理解するのが困難やったりするけど、扱い方の【大前提】を知っとったら、気をつけることは限られてくるやん。もっとも気をつけないかんことは、

 その結論(法則)を導くデータを、意図して選んだかどうか。

 これを気にしとけばええのや。
 意図しないで出た法則なら、自然の法則である蓋然性は高い。やけど、それでも確定やないからやってみて確認していくしかない。
 意図して出した法則なら、作られた法則やき、一般化はかなり難しい事になる。

 新商品をプレゼンするとき、プレゼンされる側の人は、データの説明を聞いてもいまいち解らんかったりするやろうけど、解析の手法が理解できんくても、意図があるかないかを気にしとけばええんやで。
 どれだけデータを集めても100%保証することは不可能なんや。でも、意図しないで出た結論であれば、自然の法則/真法則である蓋然性は高いから、やってみる価値はあると考えるで。

 自然の法則… 普遍的に使える… 一般
 人工の法則… 局所的にしか使えない… 特殊

 どちらを手に入れたいのか? 誰でも前者を選ぶやろうけど、それを見つけるのは簡単やないからな。

 意図して作られた人工の法則の方が分が悪いけど、哲学者のJ・S・ミルは、全てのデータを使うのではなく任意のデータから結論を導くことを本当の帰納やと主張したみたいやで。まぁ、言いたいことは判る。人間の”意思”に重きを置くとそうなるわな。ミルは『帰納的飛躍』が新しい法則を発見するって言いたかったのや。


『一般』 と 『特殊』

 一般… 他のものにも当てはまる
 特殊… それだけにしか当てはまらない

 帰納… 特殊から、一般を導き出す
 演繹… 一般を、特殊に当てはめる

 推理小説で探偵が真犯人を探すとき、いろんな”証拠”から推理して追い詰めていくやん。これって帰納なのよね。んで、真犯人が『手がかり』を残したりしてて、次の犯行予告をしとることがあるけど、それまでの証拠と手がかりから次の犯行を言い当てることは演繹よね。
 映画の『名探偵コナン』が大ヒット上映中やけど、

 コナン… 名推理… 全ての証拠から真犯人を探す
 小五郎… 迷推理… 一部の証拠から真犯人を探す

 小五郎の推理がいまいち当たらないのは、証拠の一部しか見てなかったり、先に真犯人を決めとったりするからや。

 証拠の一部しか見ない ≒ データを意図して選ぶ
 先に真犯人を決める ≒ 先に結論を決める

 これがデータから出てきた法則が当たらない原因なんや。コナンやなくて小五郎と同じことをしとることになる。




【自己愛性人格障害】
 自己評価が過剰に高く、他者から賞賛されたいという欲求が強いのに、他者への心情などに共感する能力が欠如している

Phil Denny - Switch Up


愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

ビスマルク


歴史は跳ね返る

 AI が仕事に使われることで人間の仕事がなくなるかもしれないと言われていましたが、アメリカのIBM社ではAI で代替できそうな職種の採用を打ち切ることにしたようです。ただ、これと同じようなことは、実はかなり前に起こっているのです。昭和時代、手作業で作っていたものを『機械』に変えましたよね。そして、手作業で作っていた人たちは仕事を失った… まさにAI が使われることで仕事を失うことと同じです。

 昭和… ブルーカラーの仕事を『機械』に置き換える
 現代… ホワイトカラーの仕事を『AI』に置き換える

 まったく同じことをしています。
 手作業の仕事を機械に置き換えたのは、そっちの方が人件費を抑えられるからですよね。それとまったく同じ理由で、今度はホワイトカラーの仕事がなくなるってことです。なにも問題はないですね。過去にしたことが跳ね返ってくるだけですから。

 これを回避したいならAI 以上の正確さや速度で仕事をしなければなりません。ブルーカラーの人たちに正確さや速度を求めたのですから、それと同じことを求められるだけです。これもなにも問題はないでしょう。
 あるいは、AI では思いつかないような”奇抜”なアイディアを作る必要があります。AI は『決まりきったこと』をこなす能力が高いので、いわゆる”テスト”なんかは常に100点が取れるのです。それに対抗するのであれば、テストで100点を取る能力を競うのではなく、奇抜な発想の方が重視されますね。

 まぁ、ありとあらゆる方法で、それこそ法律や規制なんかで、AI に仕事が奪われないようにするんでしょうけどね。他人の仕事は奪うのに自分の仕事は奪われそうになったら、奪えないようにすることが正しい行いだと、表面上をきれいに取り繕う。「自分は正しい!」と思いたいのでしょう。人間がいかに『傲慢』な生き物なのかよく判りますよ。

 そうやって一方的な正義を盲信することで、かつて『全共闘』という騒ぎが起こったことは、もう忘れたのでしょうか。都合の悪いことはすぐに忘れる… ブルーカラーの仕事に対して「その仕事にそんな給料は払えない」などと見下すこともありますが、それもそのまま跳ね返ってくるかもしれませんね。
 『解体新書』で知られる江戸時代の蘭学医・杉田玄白に解剖を教えたのは”非人”と呼ばれた被差別民、当時の最下層に生きる人だったのです。

 現代の少子化に対して「国のために子どもを産んでくれ」との意見があります。これって戦後と同じなんですよ。戦後も人口が減ってますから、復興のために子どもがたくさん望まれたのです。そのとき生まれた世代が『団塊の世代』ですね。

【歴史は繰り返す】

 戦後は復興もあったのでまだ理解できるのですが、現代で同じことを言っても意味はないでしょう。なぜなら復興は終わっているからです。現代で子どもが望まれているのは、単純に労働力として欲しいだけのように感じます。それも”奴隷”としての労働力です。
 海外に工場を移転することや、海外の人を労働力として日本に連れてくるのも、植民地や奴隷制度が形を変えただけに見えます。まぁ表面上がきれいであればそれでいいのでしょうけど。表面上とは『書類上』のことです。

 ”紙の上”ばかり見てるとこうなるのでしょうね。ちなみに「歴史は繰り返す」と言ったのは哲学者カール・マルクスではなく、ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスです。

 さて、ちょっとホワイトカラーやナレッジワーカーの人たちに対していじわるな言い方をしましたけど、解決策がないわけではないと思いますよ。上述したように正確さや速度、奇抜なアイディアで勝負してもいいですけど、AI は疲れないんですよ。そこが一番勝負にならないところですね。人間はどんなに頑張っても疲れますから。

 では、解決策の参考になるかもしれないことを見ていきましょう。



無限ループ

経済学の盲点

 随分前から「経済学は役に立たない」と言われとったみたいやな。何をもって役に立たないと言われ出したのかは知らんけど、もしかしたら「対応関係で演繹する癖がついたからかな〜」と思った。

 対応関係ってのは因果や相関と違って時間の逆行を許すやんか。ってことは、データを扱うときに絶対にやってはいけない『結論を決めてから原因のデータを選ぶ』ってことをしてええことになるのや。
 んで、それは『過去への演繹』やから絶対に正しいわけよね。ってことは、その法則は”新”やなくて”真”やと思ってしまうから、『未来への演繹』も当たらなきゃおかしいと考えることになるやん。

 でも、実際には当たらない。なぜなら、現実の世界は対応関係みたいに時間の逆行は許さないからや。もしここで、無理やり経済学の出した法則を当て嵌めると、社会なら”衰退”、人間なら”退化”が起こる。

 現代の日本が『退行』しとるのは、これが原因でもあるんやないかね。

 推理には『帰納的推理』と『演繹的推理』の2つがある。前者は、数ある証拠から犯人を特定して、後者は次の犯行を予測する。どちらも推理には必要な要素なんやけど、2つに共通することは時間の逆行は許さないってことやな。
 物事を”逆算”するときって演繹を使うけど、それは演繹をするなら結論は先に決めていいって意味ではないのよね。1つの結果になる原因は1つとは限らないのであれば、手にしてる証拠(データ)はミスディレクション(誤導)の可能性もあるんやから。

 経済学が悪いというか、サンタフェ研究所のように数学・物理学・生物学・経済学の学者や研究者が混在する場所では”影響を与え合う”ってことがあるから、それで意図せず上述のようなことをしてしまうことはあると思うけどね。


カオスの縁

 他の記事で”真ん中”について書いてきたやんか。どんなことでも真ん中が大事ってね。それが『複雑系』って言われる科学の分野でもあったのや。PC上に仮想の細胞を作って、増殖と死滅を繰り返すパターンを調べたら4つに分かれた。

 α. 全滅する
 β. 同じ動作を繰り返す(秩序・無限ループ)
 γ. ぐちゃぐちゃになる(混沌)
 δ. 創造と破壊を同時に行う(創発・無限ループ)

 この4つね。
 α は全滅するから除外して他の3つを調べていくと、ある『臨界値』を境目にそれぞれに分かれていくことが判ったのや。んで、その臨界値には一定の”幅”がある。それを『カオスの縁』って言う。

 カオスの縁より小さい値やとβ みたいになって、大きい値やとγ みたいになる。どっちもあかんやつや。けど、ちょうどカオスの縁の中にくる値にしてやるとδ になって、創造と破壊を同時に行ってどんどん発展(成長)していくのや。

 つまり、カオスの縁を”真ん中”にして両方に分かれていく。正規分布の真ん中みたいなもんやな🔔。


クラインの壺

 民主主義と独裁国家って対立関係にあるけど、それって表裏一体になっとるかもしれんよな。

 民主主義を進めると大多数が求めることをやるから、少数が求めることは除外されるやん。んで、余裕ができた多数派が”憐み”から、少数の求めることをやってあげようとして、今度は少数が求めることを多数に押し付けていくと、これは独裁国家と同じよね。

 つまり、民主主義を”ひっくり返す”と独裁国家になる。独裁国家になると多数が苦しむことになるけど、その苦しみは少数の人たちが感じていた苦しみでもあるのや。
 やけど、多数の人たちもそのままやと我慢の限界が来るから、革命が起こったり、場合によっては元の国を滅ぼすことになる。

 民主主義が独裁国家を生んで、独裁国家が民主主義を生む。

 こう考えると合点がいくかもね。
 それならやっぱ、『真ん中』が大事になってくるんちゃうかね。民主主義の最終形態 = 行き着く先 は”多様性”やろ。んで、多様性ってのは個々を尊重することやからぐちゃぐちゃになるやん。複雑系の γ よね。
 反対に独裁国家の行き着く先は”画一性”。みんな同じ ってやつや。なら、複雑系の β になる。

 p. 民主主義… 多様性… 混沌(γ)
 q. 独裁国家… 画一性… 秩序(β)

ってことやな。
 民主主義は大勢の意見を反映するけど、個人の主張ができない。
 独裁国家は強烈なリーダーシップがあるけど、融通が効かない。
会社で言えば、
 民主主義… 利他、共創、他責、
 独裁国家… 利己、独創、自責、
とかになるのかな〜。一長一短ですな。

 歴史が同じことの繰り返しやったら、そこには必ず『法則』があるはずや。日本にしろ世界にしろ、いい加減それに気づけって話よね。

 【同じ間違いを2度するな】

 真ん中にしとけば、それぞれの良いところをちょっとづつ使って、創造と破壊が同時に起こる環境が作れるやろ。んで、その真ん中に幅をもたして”揺らす”のや。弦の振動みたいにね。ビヨンビヨ〜ンって感じや。



2つの回転

 理論家は、よく『モデル化』をします。データを使っていろんなモデルを考えますよね。そして、ひとたびモデルが完成すると、そのモデルに合うように現実の方を変えていこうとします。しかし、現実の方を変えるのはなかなか簡単にはいきません。だから「現実が間違っている」と思ってしまうこともあるでしょう。
 ただ、これとまったく同じことを若者も言います。「社会が間違っている」ってやつです。

 どちらも同じことを言っていますが、言っている”人”は違います。それこそ『両極端に位置する人』と言ってもいいでしょう。
 理論家 = 専門家( ≒ 100点)
 若者 = 未熟( ≒ 0点)
ってことです。両極端の人たちは”同じことを言っていることがある”ってことですね。共通するのは『現実を無視する』傾向があることですかね。

 理論家… 現実よりモデルの方が正しい
 若者… 現実より理想の方が正しい

 どちらも”自分の考え”の方に重きを置くのです。とはいえ、悪いことばかりではありません。むしろ、人類の進化は理想や空想によって支えられてきたと言えるでしょう。悪く作用してしまうのは『極端』だからです。


本社は”領主”ではない

 景気を回復させたいなら、いろんなんことをひっくり返せばいいのですよ。まぁそれをすると今までのことを”否定”することにもなるので、なかなかできないのが人間らしいというかなんというか… 。

 本社は、店舗からの売上を『貢ぎ物』のように捉えているところがありますが、その姿勢を”逆”にすれば良いのです。

 p. 店舗の貢ぎ物を、本社様に献上する
 q. 本社の支援で、店舗が売上を出す

 p じゃなくて q の形にするのです。プライドが許しませんか? それは”誇り”じゃなくて”傲り”じゃないですかね? p の形ってまさに”傲り”なんですよ。しかし、p の形だと思い込んでいる人たちも多いのではないでしょうか。だから、自分が作りたいものばかり作って、他人が求めるものを作らないようになってしまったのです。結果、モノが売れなくなりデフレが続くことになったのですよ。

 自分が作ったモノを、他人に買ってほしいのに、その他人の意見は取り入れないことは『自己愛性人格障害』を連想させますね。簡単に言うと”裸の王様”ってやつです。現に、海外から見ると日本全体がそう見えているのではないでしょうか。
 国も会社も、やっていることはただの『自己満足』ばかりです。

 こうなってしまったのは、会社なら本社が、国なら政府が、自分のことを”領主”だと思ってしまったからですよ。売上も税金も『貢ぎ物』なので、当然だと思いこそすれ感謝などするわけがないのです。そして、感謝しない人は総じて”傲慢”になっていきますね。そうなるとどんどん衰えていくでしょう。
【おごれる人も久しからず】です。
 ここで2つの『回転』を見てみると、

 p. 政府の支援を会社がする → 本社の支援を店舗がする
 q. 店舗の支援を本社がする → 会社の支援を政府がする

 どちらが民主主義でどちらが独裁国家なのか、どちらが他責でどちらが自責なのか、どちらが大人でどちらが子どもなのか、あなたにはどう見えていますか?


監督は”主役”ではない

 日ハムが勝てないのは、監督と選手の役割が”ひっくり返っている”からです。

 監督… 主役
 選手… 補佐役

 こうなっているから勝てないのです。試合に勝つには、監督の力を引き出すのではなく、選手の力を引き出さなくてはなりません。なぜなら、試合をするのは選手であり監督ではないからです。主役は選手なのです。

 監督… 補佐役
 選手… 主役

 この形が正しいのです。
 補佐役は主役を補佐する立場ですから、監督が選手を補佐することになります。しかし、今の日ハムは選手が監督を補佐する形になっているのですよ。選手からすれば試合に集中したいのに、監督の補佐までやらないといけないとなると、試合に集中することができません。だから、結果が出せないのです。

 これと同じことは”会社”でも起こりますね。そんな会社では売上は上がらないでしょう。だから身内に買ってもらうしかなくなる。

 監督や選手が『自分の立場をどう認識しているか』が重要なのですよ。ここで、監督個人や選手個人を責めても根本的な解決にはなりません。そっちの方が簡単だからやってしまいがちなんですけどね、これ。
 つまり『誰が』じゃなくて『何が』なんです。Who じゃなくて What です。

 ここでいう『何が』とは、認識、つまり『体制』のことですね。監督が自分のことを主役と思っているか補佐役と思っているか、選手が自分のことを主役と思っているか補佐役と思っているか、ってことです。

 選手は試合に出ますから、当然、自分を主役だと思っているでしょう。だから「補佐してくれる」と考えます。自然なことです。しかし、監督が自分のことを主役だと思っているなら、選手の補佐はしません。

 一方では「補佐してくれる」と思っているのに、他方では「自分は補佐役じゃない」と思っているのですから、噛み合うわけがないのですよ。会社でも起こっていることです。結果、「誰が悪いんだ」となってしまうと、立場の弱い方が切り捨てられていくのです。選手が潰れるってやつですね。

 このように、誰も悪くないのに誰かが悪いことになる環境があるのです。

 ちょっと趣は変わりますが、日産のカルロス・ゴーンが辞めることになったのも似たような環境になってしまったからかもしれませんね。法律に穴がある、というか、『忖度』により穴が発生することがあるので、ゴーン本人や周りの人が意図しようがしまいが、その穴に落ちてしまったのです。むろん、その場合も誰も悪くないのです。一応言っておきますが、ゴーンの”海外逃亡”に関しては違法だと思いますよ。

 日ハムでは選手が悪いことになり、日産ではゴーンが悪いことになった。

 「そんなことはありえない!!」って声が聞こえてきそうですが、では、簡単に調べる方法として『主役は誰で補佐役は誰か?』を確認してみてください。きっとおもしろい結果が出ますよ。


『自分で獲った餌』 と 『他人に与えられた餌』

 p. 自分で獲った餌… 自立
 q. 他人に与えられた餌… 依存

 社会保障を充実させて満足させようとすると、自分で稼ぐ必要がなくなるので『依存』に寄っていきます。自立心が育まれないので、悪いと「稼いでくるのは他の奴の仕事だ」なんて考えにもなってしまうのです。これとまったく同じ考えをするのは”赤ちゃん”ですね。
 赤ちゃんは自分で餌を獲ることはできないので、お母さんに依存しています。社会で売上を上げるのは店舗ですから、

 赤ちゃん役… 本社
 お母さん役… 店舗

ってことになりますね。望むかどうかは別にして、構造がそうなっているのですから否定のしようがありません。とはいえ、経理や事務処理など難しいことは本社がやるので、反論は認めますよ。

 言いたいことは「自立させようとしているのか、依存させようとしているのか」ってことです。どちらの意識を持って仕事をしているのかが気になるのです。ほとんどの大人が、子どもにはいつか自立してほしいと望んでいるでしょう。それが上手くいかないのは『制度』が原因になっていることもあるのです。

 自分で餌を獲らなくても、誰かが餌を与えてくれる制度の中では、自分で餌を獲る力は養われません。当然ですが。
 ”ゾンビ企業”なんかは典型ですね。自分で稼がなくても政府が補助してくれるのですから、稼ぐ必要がなくなったので、獲る力がないのです。自立ではなく、依存の方に寄ってしまったのですよ。
 これと同じ関係が、本社と店舗に成り立つことがあります。

 本社が、店舗の補助を受ける = 会社が、政府の補助を受ける

 どちらが赤ちゃんでどちらがお母さんなのか… ですね。




【ヘテロクロニー Heterochrony (異時性)】
 祖先に比べ成長の速度や量,比,タイミングが変わること

Aerosmith - Hole In My Soul


お前は自分が『悪』だと気づいていない… もっともドス黒い『悪』だ。

『ストーンオーシャン』 ウェザー・リポート


おわりに 〜敗因〜

 戦中… 国民がどうなってようが知るか、戦争に勝てばいいんだ!!
 戦後… 下層がどうなってようが知るか、発展すればいいんだ!!

 正確にどこからとは言えませんが、1990年から日本の停滞が始まったとして、その年を中心に30年、未来方向へ進むと現代です。まだまだ停滞は続いていますね。
 では、1990年を中心に30年遡って過去に行くと1960年代になります。ここって『高度経済成長期』と呼ばれる年代じゃなかったですっけ?

 急激な進歩は、急激な退化を生む

 その当時に生きていたわけではないので、現実には体感していませんが、現代の日本の停滞は、そのころの『後片付け』なのかもしれません。とにかく早く復興しなくてはならなかったので、いろんなことを”おいてきぼり”にした結果、そのしっぺ返しをくらっているのかなと考えました。

 もっと”ゆっくり”やれば、当然、現代のような発展はしていませんが、少なくとも後の世代に後片付けをさせるようなことにはならなかったのではないかと感じるのです。

 『昭和を懐かしむ』ことがあります。
 時は巻き戻せないので、現実に昭和を復元することはできませんし、やってはいけません。ただそれは、もしかしたら「もっとゆっくりでいいのに」との思いが形を変えて顕在化したものかもしれない… と、考えましたね。

 1990年代の栄華があったのは、いろんなことを犠牲にした結果であり、現代はその分の振り子が振れ戻っているのではないでしょうか。

 戦後… 国のために子どもを産め
 現代… 国のために子どもを産め

 同じことの繰り返し… その原因は『急激』にある。どれだけ早く進化しても、その後の世代で元に戻るのであれば、そもそも”早さなんて要らない”ってことになります。少なくとも、人の身体が壊れるような早さは必要ないでしょう。
 人間の脳は矛盾を拒絶しますが、矛盾を創出するものでもあるのです。

 経済成長したはずなのに、退化している。子どものために発展したはずなのに、少子化になっている。
 このようなことが起こるのは『極端』だからです。

 【過ぎたるは及ばざるが如し】 

 生物学的には女性よりも男性の方が”不完全”とされ、”極端”になってしまうのです。不完全だからこそ、完全を求め、ついつい極端に走ってしまうことになるのかもしれませんね。
 女性は『真ん中』です。正規分布の真ん中に集中しがちなのが女性です。女性の社会進出を進めるのであれば、女性特有の”真ん中を好む性質”を受け入れなければ意味がありません。

 女性の社会進出を表す”数字だけ”を上げたところで、何の意味もないのですよ。

 ところで、矛盾とは『無限』のことでもあります。
 数学者のロジャー・ペンローズ が作った”ペンローズ ・タイル”は、2つの図形の組み合わせなのですが、そのパターンは周期的にはならず、つまり、同じパターンが繰り返されることはなく、無限に続いていきます。

 その2つの図形は『矢じり(arrow)』と『たこ(kite)』と名付けられています。形を見ると解りますが、矢じりは”矛”、たこは”盾”に見えなくもありません。

 矢じり と たこ = 矛 と 盾

 同じところをくるくる回るのは嫌ですが、どんどん変化するのであれば、無限を生み出す矛盾も楽しめるというものです。しかし、現実にはなかなかそうはいきません。ほとんどの場合、矛盾するとそこで止まってしまうか、頭の中に”火花”が散ったりして、上手く整合性を持たすことができなくなるでしょう。

「いったい誰がこんなに世界を複雑に作ったのか?」なんて文句の1つも言いたくなるものです。それこそ神に対して”クレーム”を入れたくなりますよ。社会では『お客様は神様です』なんて言説が流行っていますが、お客様が神様なのであればクレームを聞いてくれるってことですかね? つまり、

 お客様がクレームを言う のではなく、
 お客様がクレームを聞く のです。

 ちょっと料理を出すのが遅れたくらいで「早くしろ!」なんて言ってきますが、それはお母さんに「早くご飯ー!!」と駄々をこねる子どもと同じ行動だと気づいているのでしょうか? 「お前一体、自分の歳をいくつだと思ってんだ!?」とクレームを入れたくなりますよね、神様に。そう、 神 様 に。

 他にも『客テロ』なんてものがありますけど、報道を見た当時、テロをした本人は「この程度のことでwww」と考えていたようですが、これは『自分の基準だけで物事を考える』ってことです。他人の意見を聞かず、他人の求めるものは作らず、自分の作りたいものだけを作る人と全く同じ思考ですね。

 真犯人は、自分自身。

 人と接していると「この人、変わってるな〜」と思うことがあります。もしかしたら、パーソナリティ障害や発達障害かもしれませんが、決して自分で診断はしてはいけません。なぜならこのとき、2つの可能性があるからです。
 1. 〇〇障害だと思われた人
 2. 〇〇障害だと思った人
どちらが〇〇障害であっても不思議じゃないんですよ。だからこの先は、専門医に委ねることが大切です。専門医は”絶対的第三者”ですし、文字通り専門家なので、判断はそちらに任せた方がいいのです。

 ”早さ”で思い出したのですが、社会では『即レス』が求められますよね。その方が仕事が捗るからなのは判りますが、即レスはどちらかというと、同じ立場同士ではなく、上と下同士でやることです。昭和時代に凄まじい早さで復興できたのは『上下の即レス』があったからです。
 現場の思いついたことに、上層が即レスで許可を出す。
これができたから早かったのですよ。現代でよくある間違いですが、相手の仕事を止めてまで即レスを要求することがあります。これは即レスの意味がないですね。相手の仕事が止まっているのですから無意味です。

 ついでに、電話の向こうでわざと『ドタバタ音』を出して忙しいフリをしている人もいますが完全にバレています。意味ないです。そんなに忙しいのによく電話なんかに出れたなと思いますよ。誤魔化し方が小学生… ですかね。

 世の中にはいろんな矛盾があり、どっちが大人でどっちが子どもか判らないことがあります。それを説明するかもしれないようなことは100年ほど前に言われていたようですね。

ヒトは性的に成熟した、サルの胎児である

解剖学者 ルイス・ボルク

 大人はついつい意地を張って間違いを認めないこともありますが、そもそも人間は、全ての能力を成長させることができるとは限りません。1つの能力を成長させた結果、もう1つの能力の成長が遅れてしまうことは十分に考えられることですし、むしろ自然なことでしょう。

 片面が大人になれば、片面は子どもになる

 これが判っていれば対応策は1つ、『真ん中』ですね。
 子ども用のアニメや漫画では悪の親玉がいて、よく”大人”がやっていますが、あれって本当に”大人”ですかね? というのも、
 ・自分の欲望を満たしたがる
 ・他人を支配したがる
これらって赤ちゃんと同じですよね。赤ちゃんは欲求を満たすためにお母さんに対して泣き喚きますし、お母さんを独占 = 支配したがりますよね。悪の親玉である大人は、赤ちゃんと全く同じことをしているのですよ。

 一体どこが大人なのか?

ってことです。
 自分の行動や思考は、大人と言えるのか。それに気づけば、復活できますよ。




*参考書籍*
 ・形を読む 養老孟司 講談社学術文庫
 ・「複雑系」入門 金重明 講談社ブルーバックス
 ・宇宙検閲官仮説 真貝寿明 講談社ブルーバックス
 ・死の壁 養老孟司 新潮新書

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