量子力学 『唯脳解釈』
【 光を視覚で捉えると粒子になり、聴覚で捉えると波動になる 】- 養老孟司
Hoobastank - The Reason
『光』 と 『音』
量子力学にはコペンハーゲン解釈や多世界解釈など、さまざまな『解釈』があります。マックス・プランクから始まった量子力学ですが、その後、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、ディラック、パウリなど、多くの人が関わって完成されたので、その分、解釈が”分岐”してしまったのです。
それらの解釈一つ一つが、物理学特有の難解な『数式』を用いて説明されています。私にはどれも”謎の暗号”のようにしか見えませんが… 古代のルーン文字の方がまだ理解できるんじゃないかと思うくらいですね。
物理学では昔から「光は粒子か波か」という問題がありました。それを解決したのが量子力学です。この問いに対する量子力学の答えは「光は粒子でもあり、波でもある」でした。2つの性質を同時に合わせもっているので『量子』と名付けられました。
量子力学には『シュレーディンガーの猫 - 状態(生死)の重ね合わせ』や、電子の『波の収縮』など、2つの状態が同時に存在するという、よく解っていない問題があります。
なぜ、そうなるのか? その理由が明確には解らないのです。だから、たくさんの解釈があるのです。
私が知る限り、コペンハーゲン解釈が主流になっているようです。しかし、「決着がついている」とは言い難いみたいですね。そんな解釈問題ですが、今回新しく提示した『唯脳解釈』は、他の分野(学問)から解釈問題を見たらどう見えるのか? 1つの視点から見てても解決しないなら、他の視点から見てみようってことです。
それではいってみましょう。
… 後頭葉… 視覚 .p
… 側頭葉… 聴覚 .q
い. 脳科学
a. 古典力学… 主に視覚(後頭葉)を使って構築された理論
α. 量子力学... 視覚(後頭葉)と聴覚(側頭葉)を合わせて構築された理論
「量子力学が出てきたとき、今までの物理理論をすべて考え直さなければならなくなった」と説明されることがあります。
これは、視覚から入ってきた情報(光)は、脳の中では『後頭葉』と言われる場所につながっているのに対し、聴覚から入ってきた情報(音)は『側頭葉』につながっているので、”認識のズレ”が起こることが原因になったと考えられます。
『光』は目に見えるものですが、『音』は目には見えません。音を知覚するためには目ではなく”耳(聴覚)”を使う必要がありますね。音は”波”とも言えます。
光は電磁”波”の一種ですので、目に見える可視光であり、”波”として扱うこともできます。そして、波であるならば、本来なら聴覚(側頭葉)で処理する/受け取るべきものです。が、それを「目に見える光だから」と、視覚(後頭葉)だけの情報として受け取り、後頭葉だけで処理できる形で書き出したのです。
元々が光であり目に見えるものですので、問題なさそうですが、実はここに大きな『誤算』が潜んでいたのではと考えます。
波 = 音 ですので、本来なら”聞く”に対応する聴覚/側頭葉で受け取り、そのままの形を記述するべきですが、”見る”に対応する視覚/後頭葉で処理できる形にして記述したことは、意図して行ったとは考えにくいと思います。無意識で行ったと考える方が自然ですね。
私にとっては古典力学でも十分すぎるほど難解ですが、量子力学は特に難解だと言われます。リチャード・ファインマンをして「量子力学を理解している者は一人もいない」と言わせるくらいですからね。
それほど難解になってしまったのは、古典力学に慣れている人は無意識に後頭葉に伝わった情報だけを使って考える癖/習慣がついてしまっているのに対し、量子力学ではいきなり側頭葉に伝わった情報も合わせて考えろってことになりますから、そりゃ途端にできなくなっても肯けるというものです。
量子力学が、後頭葉と側頭葉の2つの場所で同時に受け取った情報を考える学問だと、認識しているか、認識していないか。これが大事なところだと考えます。
認識しないままで量子力学を表す『数式』を考えるとき、その数式を考える人が、側頭葉/聴覚にも情報が伝わっていることを自覚せず、無意識に後頭葉/視覚だけで考える古典力学に倣い書き出してしまうと、その数式には2つの情報が混在することになります。しかし、考え出した本人は混在していることには気づいていない… もし、こんなことが起こっているのであれば、解決は簡単です。
困難は分割せよ
デカルトの言葉ですね。
先ず、後頭葉/視覚で受け取る情報と、側頭葉/聴覚で受け取る情報を『分離』して、それぞれで構築/整頓/数式化します。そのあと結合し直せば、理解しやすい形になります。まぁ、そうされたところで私には判らないでしょうが…
ただ、もしかすると理解できる人の数が”増える”かもしれないので、やってみる価値はあると考えます。
… 粒子… 後頭葉… 視覚 .p
… 波動… 側頭葉… 聴覚 .q
ろ. 形態学
構造… 時間の順/逆を考えない(対応関係)
機能… 時間の順/逆を考える(因果関係)
物事の原因と結果を考えたとき、原因から結果が生まれるという”時間の流れ”を前提としています。しかし、この”時間の流れ”は、形態学では『機能』を考える場合に含むものであり、『構造』を考える場合には含みません。
構造のことを考えるときは、時間の流れは考慮しない、つまり、原因と結果に時間的な”前後関係がなくなる”ってことです。これを『対応関係』と言います。
物理学の古典力学では、時間を逆回しにしても法則は変わらないので、ほとんどの物理法則は、形態学でいうところの構造にあたるものです。ただ、古典力学の中で唯一『エントロピー増大の法則』だけが、時間の逆回しをしたときに法則が変わってしまうので、こちらは機能にあたります。
構造… 古典力学
機能… エントロピー増大の法則(古典力学)
さて、では『量子力学』はどうなのか? これを考えると、量子力学が上述のように視覚と聴覚の2つを使ったものであるという前提に立つならば、機能にあたるのではないでしょうか。というのも、聴覚/側頭葉は”音 = 波”に対応する器官ですので、音が聞こえるということは、時間が流れているということと同義です。
時間の流れを知覚する聴覚/側頭葉を用いた量子力学は、同じように時間の流れを含む機能に分類されると考えます。
構造… 古典力学
機能… エントロピー増大の法則(古典力学)、量子力学
ほとんどの古典力学の法則が構造を表している中で、エントロピー増大の法則だけが機能を表していたことは、大勢の中でたった一人だけで伝えていた = 戦っていた と言えるでしょう。構造は時間の順/逆を区別しないので『止まった時間』と言い換えることもできます。反対に、機能は時間の順/逆があるので『流れる時間』と言い換えれます。
古典力学のほとんどの法則が『止まった時間』を伝えているのに対し、エントロピー増大の法則だけが『流れる時間』を伝えていたのですよ。
たった一人で…
… 構造… 粒子… 後頭葉… 視覚 .p
… 機能… 波動… 側頭葉… 聴覚 .q
は. 芸術
p. 止まった時間の芸術… 絵画… 視覚/後頭葉
q. 流れる時間の芸術… 音楽… 聴覚/側頭葉
音楽家によくみられる『共感覚』は、脳の2つの場所がつながっていることで起こるのですが、どことどこがつながっているのかは十人十色・千差万別で、音(ドレミ)と色がつながったり、色と文字だったり、色と数字がつながっていたりします。とある実験で音と色の共感覚を持つ人を調べたところ、おおよそ”虹色”に配置されることが判りました。
音(聴覚)… ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ
色(視覚)… 赤・橙・黃・ 緑 ・青・藍・紫
ドが赤、レが橙、ミが黄… シが紫となっていくのです。ただ、これはあくまで”平均すると虹色になる”というだけで、全員がキレイにこうなるわけではありません。たとえば私は、
音(聴覚)… ド・レ・ミ・ ファ ・ソ・ラ・シ
色(視覚)… 白・水・橙・花緑青・青・朱・透明(=光?)
って感じです。
ファに対応する『花緑青』という色はあまり聞いたことがないと思うので、画像を載せておきますね。
私の見る色は『中間色』と呼ばれる色が多いのかもしれません。
脳の神経回路のつながり方は、それこそ”無限”に考えられるので、平均である虹色と一致しない人も多くいるのです。無限の経路を考えられる… まるで量子力学の『経路積分』みたいですね。あるいは”多世界解釈”でしょうか。
このように、視覚と聴覚がつながっている、後頭葉と側頭葉がつながっているといっても、人によって様相が違ってきます。
量子力学を創設した一人、ニールス・ボーアは、
「観測という”行為”が、結果を生み出すのだ」
と言いました。この言葉の本来の意味はさておき、
a. 視覚/後頭葉だけを使って観測する
α. 視覚/後頭葉と聴覚/側頭葉を使って観測する
この2つのどちらかによって結果が変わってしまう… さらに、α の場合には経路は無限になってしまうので、結果は人によって違ってて当たり前になる… と言い直すことができます。
ボーアの提唱した『相補性』も、ボーアの言っていた意味ではなく、視覚と聴覚の2つで知覚し、互いに補い合う… 止まった時間だけではなく流れる時間も合わせた2つが必要だ、と捉えることができます。
相補性の”相”とは、視覚と聴覚の2つのことだった… ってことです。
… 止まった時間… 構造… 粒子… 後頭葉… 視覚 .p
… 流れる時間… 機能… 波動… 側頭葉… 聴覚 .q
まとめ
唯脳解釈の”唯脳”とは、養老孟司さんの著書『唯脳論』から取りました。着想はその本の中の、
「光を視覚で捉えると粒子になり、聴覚で捉えると波動になる」
という言葉からです。養老さんは他にも、
「ヒトの脳は、視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば『無理』につないだのではないか」
とも言っています。
ただ、この記事のように物理学に対して言っていたのではなく、視覚言語(文字)と聴覚言語(言葉)についての論考の中でのものです。それを、いわば『勝手』に物理学につなげて解釈してみました。
私は数式は一つも作れないので、これ以上の検証はできません。数式での証明は一つもできませんが、なんか”しっくりくる”のです。量子力学の完成まで、
なぜ、あんなに時間がかかったのか?
なぜ、これほど複雑になったのか?
なぜ、いまだに解釈問題が解決しないのか?
まぁ「それくらい難しいことだから」と言われてしまえばそこで話は終わるのですが、唯脳解釈のように、そもそも視覚と聴覚、後頭葉と側頭葉の”認識のズレ”が生み出したものだったと捉えると、少なくとも私のような素人には”しっくりくる”のです。
視覚と聴覚、光と音、粒子と波、後頭葉と側頭葉、止まった時間と流れる時間…
もしかしたらアインシュタインの作った理論は、視覚・光・粒子などの止まった時間(構造)での究極理論なのかもしれませんね。であるならばその反対、聴覚・音・波などの流れる時間(機能)での究極理論もあり、さらにその2つを合わせた究極理論もあるはずだ… と考えてしまいます。
止まった時間と流れる時間の2つですが、人間がそれらを知覚するとき、脳の2種類のシナプスを使っていることが考えられます。
p. 電気シナプス… 流れる方向に順/逆なし、速度はほぼ0秒(電気的伝導)
q. 化学シナプス… 流れる方向に順/逆あり、速度は1/1000秒(化学的伝達)
実際に信号がシナプスを流れる速度は、2つを合計して120m/sほどになります。そして上記の2つの特徴は、
p. 電気シナプス… 構造(形態学)、止まった時間
q. 化学シナプス… 機能(形態学)、流れる時間
と、分類できます。
アインシュタインが時空の概念を変えたとき、”発想の逆転”と言われました。ということは、順/逆がないこと、構造(形態学)のことですね。そして、これらは電気シナプスの特徴と一致しますので、止まった時間とも言えるのです。良いアイディアが思いつくと「ひらめいた!」と言いますが、これも電気と言えます。
人間は自分の脳に入ってきた信号(情報)が、どんな神経回路を通ったのかは自覚できないので、視覚からの信号が後頭葉で止まる人もいれば、共感覚の持ち主のように側頭葉まで届く人もいることを考えると、自分がどんな脳内処理をして数式や音楽などを作っているのかは、人それぞれ = 未知数 になるのです。音から色が見える共感覚の場合は、
音 → 色 = 側頭葉 → 後頭葉
という流れになりますが、電気シナプスは信号の逆行を許すので、
後頭葉 → 側頭葉 = 色 → 音
の流れもあると考え得るのです。
相対性理論と量子力学の2つを合わせて『統一理論』を作ることが難航しているのは、
p. 相対性理論… 視覚/止まった時間の理論
q. 量子力学… 視覚/止まった時間と聴覚/流れる時間を『無理』に合わせた理論
だからかもしれません。
量子力学には視覚/止まった時間が含まれているので、相対性理論の視覚/止まった時間と”重複”してしまい、さらに、聴覚/流れる時間との合わせ方に『無理』があるので、いわゆる”ぐちゃぐちゃ”になってしまうのです。
人間の”認識”によって結果が変わってしまうことを主張したのはボーアだけではなく、コンピューターの創始者であるフォン・ノイマンもその一人です。ただ、ノイマンは『脳の中』で何が起こっているのかは説明せず「そうとしか考えられない」とだけ述べました。
今回の唯脳解釈は、人間の認識が作用するところはボーアやノイマンと同じと言えますが、ノイマンが「そうとしか考えられない」と言ったものを、もう少し明確にした感じになりますね。量子力学では『観測者』という立場の定義が重要ですが、先述のように唯脳解釈では、
a. 視覚/後頭葉だけを使って観測する
α. 視覚/後頭葉と聴覚/側頭葉を使って観測する = 共感覚を使って観測する
となるので、定義すべきなのは、
1. 観測者は共感覚の持ち主なのか
2. 共感覚の持ち主であれば、どんな共感覚なのか
この2つが重要になってきます。であれば、波の収縮はどの時点で起こるのか(ハイゼンベルクのカット)とか、多世界・多次元などは考えなくて良くなります。
観測するとき、観測者の脳も同時に観測すればいいのですから。
補論
α. 不確定性原理
不確定性原理の「位置と速度は同時には決まらない」というのは、
位置... 止まる... 視覚(後頭葉)
速度... 流れる... 聴覚(側頭葉)
と考えることもできます。
共感覚を持たない人 = 後頭葉と側頭葉がつながっていない人 は、このように捉えるでしょう。
β. 電子の雲
電子の位置が決まらないことを『電子の雲』と表現しますが、雲を音(波)の”反響”だと考えれば、空間に反響した音(波)が繰り返し重なり合い続ける描像がイメージできます。無限に続く木霊/やまびこと言えますね。やまびこは音ですから、視覚ではなく聴覚、後頭葉ではなく側頭葉になります。
γ. 波の収縮
波は、聴覚/側頭葉で捉えているときは広がっていて、視覚/後頭葉で捉えたときに1ヶ所に集まる(収縮する)とすればいいでしょう。
空間そのものが『ゴム』のようになっているなら、その空間にある物質は常に”バウンド状態”にあると考えられます。そして、バウンドすると必ず”波”が発生しますね。波… 反響… 雲… つながっているように感じます。
δ. 超ひも理論
超ひも理論の”ひも”は『波動の一欠片』と捉えると、やはり側頭葉/聴覚で認識しているものになります。
ε. 光粒子
光は『電磁波』の一種です。電磁”波”というくらいですから、波であることに間違いはないでしょう。では、”粒子”と捉えるのはどういった場合なのか? その場合とは、一瞬、つまり『止まった時間』であれば、光を粒子と見做すことができますね。波の”一部”を切り取ると『点 = 粒子』になります。
これも周知の通り、光の速度は秒速30万kmにも及びます。ですから、人間の知覚 = 時間感覚 からすると一瞬や止まった時間と捉えること、すなわち”粒子として捉えること”も無理な解釈ではないと考えます。上述のように人間の脳のシナプスによる伝達速度はおよそ秒速120mですから、光速と比べると遥かに遅いですね。
歴史上、万有引力のニュートンは光の粒子説を主張し、相対性理論のアインシュタインは波動説を支持しながらも、粒子説も認めていますね。アインシュタインはヴァイオリン、ピアノ、エレキギターを演奏することが好きだったので、共感覚の持ち主であった可能性は十分考えられると思います。
Ending.
The Calling - Wherever You Will Go
双対性
【難しい】 ∞ 【易しい】
鏡文字 ∞ 正文字
天動説(数学) ∞ 地動説(数学)
量子力学(物理学) ∞ 共感覚(音楽/脳科学)
学問では「複雑なものと簡単なものがあるとき、大抵は簡単なものの方が正しい」と言われます。
レオナルド・ダ・ヴィンチの鏡文字は、誰も読むことができない”謎の暗号”として捉えられていましたが、鏡に写してひっくり返すだけですべて解決しました。
天動説は、見かけの運動そのままを記述するので簡単なような印象を受けますが、実は数学的に記述すると高度な数学を用いることになります。しかし、地動説としてひっくり返すと、簡単な数学だけで表すことができました。
では、量子力学をひっくり返すとはどういうことなのか? それが、今回提示した共感覚、すなわち『脳の中』ってことです。量子力学も物理学ですので自然が対象になる = 人間の体の外 にあるものを調べる学問です。人間の体の外とは、”脳の外”と言い換えることができます。であれば、その反対(=ひっくり返す)は『脳の中』ですね。
粒子でもあり波でもある → 後頭葉で結ばれた像と側頭葉で結ばれた像
状態の重ね合わせ → 後頭葉で結ばれた像と側頭葉で結ばれた像
波の収縮 → 後頭葉で結ばれた像と側頭葉で結ばれた像
左側は量子力学の難解な問題で、まるで”謎の暗号”のような数式を必要としますが、右側だと音楽/脳科学の『共感覚』の言葉1つで説明が終わります。複雑なものが、1つの簡単なものに変わります。
ただ、共感覚を用いても『二重スリット実験』での、波の干渉縞が表れたり表れなかったりすることの説明は、まだ思いつきません。まぁ、急いで解決しなきゃいけないものでもないので、これから徐々に考えていきます。
… 現時点で思いつくのは、たとえば干渉縞が表れる方でしたら、
光 = 波
空間 = 水面
として、空間に光を放つと”空間そのもの”が波打つことになります。その空間の波打ちが一定時間続くとして、その間に次の光を放てば、前にできた空間の波の流れに”乗る”こともあるでしょう。
そうすれば、スリットの向こう側で干渉縞が表れることに、不自然なところはなくなります。水面の波も、一定時間であれば波打ちは続きますからね。
空間の波 ≒ 水面の波
ってことです。
干渉縞が表れないのは、後から放たれた光の波が、先に放たれた光が作った空間の波の山と谷とが重なるタイミングだと、波は消える = 干渉縞は消えるかもしれません。
重なるタイミングでは、波の『山と谷が重なると消える』という性質が表れるので、簡単に波を消すことができます。観測者が意図しようがしまいが、光を放出する機器が0.0000000…..1秒の狂いもなく同じタイミングで光を放出していると、重なるタイミングになってしまい、干渉縞が消えることもあるでしょう。
ただ、観測の有無が干渉縞の有無と関わり合うことは… う〜ん、やっぱりもっと検証が必要ですね。
言いたいことは、『難易度』と『正誤』には、なんの関係もない ってことです。難しいから正しくて、簡単だから間違っているとは限らない… もちろんその逆も然り… そもそも”間違い”って、何なのでしょうね。
視覚(後頭葉)だけしか使わない人と、共感覚(後頭葉と側頭葉)を使う人では、外から受け取る情報も、処理の仕方も違うのですから、『見ている世界が違う』と言えます。見ている世界が違うのですから、まったく”異なる正解”を持っていても何の不思議もないでしょう。
少し話は逸れますが、現代は女性の社会進出が進められています。しかし、どこも女性が増えるようなことにはなっていません。管理職に関しては、就くことを”嫌がる”女性も多いようです。
その原因は、女性本人のやる気もあるのでしょうが、会社の構造そのものに問題があり、その1つに『視覚(後頭葉)だけで考えられた構造になっているから』というものが考えられますね。
共感覚の持ち主は、常時2つの感覚器官で物事を受け取り、考えますから、1つの感覚器官しか使わないで作られた物や場所に”苦痛”を感じるのですよ。
現代の会社はまだまだ『昭和型』になっているところもあります。もし、昭和型と言われる会社の構造が、意図しようがしまいが、1つの感覚器官しか使わないで作られていて、1つの感覚器官だけを使えるようになればいい = 特化すればいい というような形になっていれば、共感覚の者にとっては『拷問』にしかなりません。
こういったこと… こういった”視点”でも、会社というものの構造を作るときは考えてみてください。主観ですが、共感覚や四色色覚などの『芸術性』のある感覚は、男性より女性の方が多い気がします。もしそうなら、女性が”嫌がる”のも肯けますよね。
見える光、見えない光
ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎さんは『見える光、見えない光』というタイトルの随筆を書いています。ここでの”見えない光”とは、可視光以外の電磁波を指していると思います。
ただ、この言葉だけを読むと、見えない光とは『聴覚(側頭葉)で受け取った光』と解釈することもできますね。
光は”波”でもあるので、視覚から入った情報が共感覚を伝わって、波 = 振動 を感知する側頭葉まで届いたとき、そこには『見えない光』が像を結ぶことが考えられます。養老さんの「光を視覚で捉えると粒子になり、聴覚で捉えると波動になる」の後半部分に通じるものを感じます。
電気シナプスは、信号の順/逆を区別しないということは、その回路では因果の逆転が起こるのです。
『原因と結果の逆転現象』
私の記事の中で何度も取り上げた題材です。今までの経験から「それは原因と結果を逆に捉えてるな」と感じることが何度もありました。そんな場合は総じて”悪い問題”が発生しています。しかも問題が複雑・難解になり、解決することが困難を極めることが多いのです。たとえば、
p. お客さんが来ない(原因)から、速くする(結果)
q. 速くする(原因)から、お客さんが来ない(結果)
この2つの場合、ほとんどの人が p と捉えていて q のことを考えないのです。どちらの可能性も考えられるのに、1つの方しか考えないということは、それが間違っていたときに修正が効かなくなるということです。直せないんですね。片方の可能性しか認識しない… ”片認識”をすると問題は複雑になり、いつまでも解決できないなんてことが起こるのです。
では、『逆転』というものは悪いことなのでしょうか? 先述してきたことを並べてみると、
α. 発想の逆転… 共感覚など
β. 難易の逆転… 双対性など
γ. 因果の逆転… 片認識など
この3つのうち、悪い結果を生み出すものは γ です。他の2つは良い結果を生み出しますね。共通点は、3つとも『電気シナプスを使っている』と考えられるところです。いろんな物事が”表裏一体”になっていますので、良い結果を生み出すものは悪い結果を生み出すものでもあるのですよ。諸刃の剣です。
量子力学で見られる現象がもし、素粒子(脳の外)ではなく、人間の『脳の中』で起こっていることなのであれば、2つの使い方があります。
p. 発達障害(知的障害)などの治療に使う
q. 人間を操作する技術に使う
前者は当事者やその周りの人がみんな望んでいることでしょう。未だ現代の医学では、知的障害を”緩和”することはできても”完治”はできないので、量子力学の研究が脳科学にも応用できるものであるならば、医療として用いることが可能です。
反対に後者はいわゆる”悪い使い方”ですね。もし、人間を操作することができれば、それこそ独裁国家などは容易に作れますから。ん? SFっぽい? いやいや、それを言うなら多世界解釈などのマルチバースの方がよっぽどSFですよ。
現代の会社をみても”みんな同じ”にしようとする会社もあるじゃないですか。
「この会社にいるものは全員、同じ価値観・同じ思想・同じ能力でなくてはならない!」とでも言いたげな会社ですね。
人間の脳の神経回路の”つながり方”は、人それぞれ、無限にあるのですが、どうも1つのつながり方しか認めない考え方しかできない人たちがいるようです。それだと、みんな苦しい社会・世界になってしまうのは自明でしょう。
人間を操作する使い方は肯定できません。しかし、他に『AI開発』に使うこともできますよね。今でもAI技術はかなり上がっているようですが、それをさらに推し進める… まぁそれはもうやっているでしょうけど。
AIが発達して、何でもかんでもAIに任せておけばいいという考え方も出てきましたね。ただ、1つだけ忘れていることがあります。それは『AIは身体(五感)を持たない』ということです。
AIは、思考においては優れているのですが、行動においてはまだまだ人間には遥かに及びません。人は総じて、
「やったことがない奴の話は、聞く気にならない」
と考えます。ってことは、
AI の言うことを聞く = やったことがない奴の言うことを聞く
ってことになりますので、AI の”言いなり”になるのは矛盾しますね。
人の経験には、2つの方向があります。
p. 縦に掘る
q. 横につなげる
p はいわゆる”専門家”と呼ばれる人たちです。その分野に特化し、その分野の中のことであれば、その分野の中の正解を答えてくれます。その分野の”中”の正解です。
q はオールラウンダーとも言えるでしょう。1つに特化しているわけではありませんが、その分、他分野との連携・橋渡し・変換などを得意とします。そういえば、スラムダンクの仙道彰は”パスを覚えてから才能が開花した”んでしたっけ。
養老さんの唯脳論を読んでいて、「万華鏡を見てるみたいだな」と感じました。次から次へどんどん”横にパス”していくんですね。1つ1つが、素人の私には難しかったので、万華鏡という受け取り方が正しいのかは判りません。
養老さんは「視野を広げなさい」と言っているのではないでしょうか。1つに特化するとどうしても視野狭窄 = 視野が狭くなる ので、そんな人たちにもっと大きな視点で物事を見ることを諭すように述べているのでは… と。
根っからの『教師(先生)』なのでしょうね。
月の歌
唯脳解釈は『物理学の未解決問題を、数式を使わずに、他の分野(学問)の知識で解決しよう』ってことになりましたね。アインシュタインは量子力学に対して不完全だと思っており、”隠れた変数”があると主張していましたが、もしかしたらそれは、聴覚/側頭葉のことだったのではと考えます。
地球から月までの距離は約38万kmです。
光の速度では1.3秒くらいで届くのですが、”音”の速度だと約13日かかります。
光速… 300,000,000m/s
音速… 340m/s
言いたいことは、音(声)が届くまでには”時間がかかる”ということです。見るだけでいいなら1.3秒で見れますが、音(声)を聞くためには約13日待たなければなりません。これは、後頭葉だけで考えるなら1.3秒でも、側頭葉まで合わせて考えるなら約13日かかる と言い換えることもできますね。
現代社会はとにかく速度を求めますから、見る、すなわち視覚/後頭葉だけの情報ですべてを判断していくのです。
「あのとき、あの人が言っていたのは、こういうことだったのか…」
会社から誰かが去った後に気づくことがあります。この経験は誰もがしているでしょう。私の場合は特に20代の頃を振り返るとあります。やっぱり若いと脳が成長していないことや経験不足もありますからね。
人間にとって”視覚だけの情報で判断する”ことは不自然なのですよ。なぜなら人間には”五感”があるからです。5つの感覚のうち、できるだけ多くの感覚を使うことが人の成長には欠かせないのです。
光は粒子でもあり波でもあるということでしたが、実は、昔から日本では粒子でもあり波でもあるものが身近にあります。ほとんどの日本人が知っています。なんなら食べてます。
それは『米』です。
米は、一粒一粒が粒子です。そして、米袋からすくい上げるときは「ざぁ〜…ざぁ〜…」と、まるで波のような音を出しますね。米は光、つまり『量子』なんですよ。だいたい、米と光の”漢字”を見比べてみても似てますよね。
日本は昔、稲が実った風景から『黄金の国ジパング』と呼ばれました。ということは米は”金”です。さらに、寿司屋では炊き上がった米を『銀シャリ』と呼びます。それなら米は”銀”になります。
粒子、波、金、銀… これらの性質をすべて備えているのが米なのです。
唯一、光と違うところは、育てるには”時間がかかる”というところです。
米を育てる田んぼは”外”にあるので土、水、風、そして陽の光を常に受け取っています。これは自然の中で育っている、自然の中でなければ育たないとも言えますね。自然の中で十分に時間をかける必要があるのですよ。
それだけの時間を待たなければならないことは、現代人にとってはストレスにしかならないかもしれません。ファストフードや『ファスト教養』なんてシリーズの本まである世界で生きる人は、とにかく速度を求める = 視覚だけ = 後頭葉だけ を使って生きているのです。それでは”人間”にはなれないでしょう。
今の世界は、言うなれば”窓を閉めている”ような印象を受けます。部屋の中にいて窓を閉めていると、光は入ってきますが、音は入ってきません。
音 = 波 = 風 = 自然の声…
窓を閉めていると、自然の姿を見ることはできても、自然の声は永遠に聞こえません。自然の声を聞かないのに、自然を理解するなど、夢のまた夢です。
夢から醒めると、『月の歌』が聴こえてきますよ。
*参考書籍*
・唯脳論 養老孟司 ちくま学芸文庫
・量子力学の多世界解釈 和田純夫 講談社ブルーバックス
あとがき
i. 古典力学…
視覚/後頭葉/構造/止まった時間の理論
ii. 特殊相対性理論…
視覚/後頭葉/構造/止まった時間と聴覚/側頭葉/機能/流れる時間を合わせた理論
iii. 一般相対性理論…
視覚/後頭葉/構造/止まった時間と聴覚/側頭葉/機能/流れる時間を合わせた理論
iv. 量子力学…
視覚/後頭葉/構造/止まった時間と聴覚/側頭葉/機能/流れる時間を『無理』に合わせた理論
本文とは矛盾するけど、アインシュタインの理論は時空の概念を変えたことを考えると、この方が近いかな〜、多分。
p. 空間… 視覚/後頭葉/構造/止まった時間
q. 時間… 聴覚/側頭葉/機能/流れる時間
ってことね。
量子力学はまだ、2つの結合(共感覚)がうまくいってないのかな。
それでは〜。
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