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Reversed Cause and Effect

【因果関係】
二つ以上のものの間に原因と結果の関係があること


Al Di Meola - Carol of the Bells


理性の最後の歩みは、理性を超えるものが無限にあるということを認めることにある。

『パンセ』 ブレーズ・パスカル


はじめに

『人間は何かに集中した状態から、30秒気が逸れると、元の集中力を取り戻すのに30分かかる』

 仕事をしているといろんな”横やり”が入ることがあります。せっかく調子良く仕事をしていたのに、余計な横やりのせいで集中力が途切れてしまった経験は誰にでもあるでしょう。そのあと、巻き返すのですがなかなか元の状態には戻れません。

 なぜなら人間の『脳』がそのようにできているからです。これはとある実験でも確かめられたことで、自分や誰かがいわゆる”ノッてる”ときは、よほど火急なことでもない限り邪魔はしない方が良さそうですね。

 人にもよると思いますが個人的な経験から言わせてもらうと、複数のことを同時に行うマルチタスクは非常に効率が悪いと考えています。ほとんどの場合、全ての作業が『中途半端』になってしまうからです。1つも終わっていないのです。

 途中で横やりが入ったから、仕事が終わらなかった。(原因 → 結果)

 このようになってしまうのです。ここでもし、結果の『仕事が終わらない』を変えたければ、原因である『余計な横やり』を無くせばいいですね。そしたら結果は『仕事が終わる』に変わるでしょう。

 ただ、ちょっと気になるのは「横やりが本当の原因なのか?」ってところです。なぜなら、仕事が終わらなかったのは”作業が遅い”だけの可能性もありますし、作業そのものを”サボって”いる可能性もありますからね。

 原因は、1つとは限らない

ってことです。まぁここまでは誰でも考えることですし、自分自身でもやったことはあるでしょう。学生時代、遅刻の言い訳(原因)に「電車が遅れたから」と言いましたが、実際にはただの”寝坊”であったり… とかですね。

 結果… 遅刻
 原因… 電車の遅延 or 自分の寝坊

 結果は1つですが、原因は2つあります。では、これはどうでしょうか。

 α. 遅刻したから、電車が遅れた
 β. 遅刻したから、寝坊した

 原因と結果を”逆転”させましたが、ちょっと面白いことが起こりましたね。
 α の”自分の遅刻”と”電車の遅延”には何の因果関係もなくなるのです。元の『遅延 → 遅刻』だと因果関係があったのに、逆にするだけでなくなってしまいます。
 β の『遅刻 → 寝坊』は完全に意味不明になります。映画テネットのように時間が”逆行”していますね。まとめて見やすくしましょう。

【元】
 a. 遅延 → 遅刻(判る)
 b. 寝坊 → 遅刻(判る)

【逆】
 α. 遅刻 → 遅延(は?)
 β. 遅刻 → 寝坊(は?)

 この世には上記のように原因と結果を入れ替えると、まったく意味が通らないことがあります。他にも、

 1. 外は雨が降っているから、本を読むことにした
 I. 本を読むことにしたから、外で雨が降りだした

 これなんかもそうですね。1 は成り立ちますが、I は成り立ちません。自分の行動と天気には何の因果関係もないので、

 天気 → 行動 なら、あり得ますが、
 行動 → 天気 は、あり得ません。

 ここで『バタフライ・エフェクト』を思いついた方もいると思いますが、そっちにはいかないでください。その考え方は『起源』、すなわち宇宙の『時刻00:00』を知るための考え方ですから、ちょっと壮大過ぎますね。
 宇宙の起源を知ることは否定しませんが、地球上の人間社会や自然摂理にさえ満足に答えを得ることができないのに、それより遥かに広い宇宙のことを知ることに意味があるのか…と、思う反面、それを知ることで地球上で起こっていることに説明がつくかもしれない…と、考えることも否定できません。が、今回はその話ではないのです。

 さて、話を戻すと、ではこれはどうでしょうか。

【い】
 Δ. 売上が上がったから、人員を増やした
 ∇. 人員を増やしたから、売上が上がった

【ろ】
 *. 人員を減らしたから、売上が下がった
 ⬡. 売上が下がったから、人員を減らした

【は】
 凸. 残業が増えたから、人員を増やした
 凹. 人員を増やしたから、残業が増えた

 実は、この【いろは】の3つ(6通り)はすべて成り立つのです。「まさか!」と思う人もいるでしょうが、原因と結果を入れ替えても因果関係は認められるのですよ。このようにどちらも成り立つ場合は他に原因があるのです。ただ、自然現象だけでなく社会も複雑なので、なかなか本当の原因にはたどり着けないこともあるでしょう。
 しかし、どちらも成り立つことが判れば、少なくとも”見当違いの原因を直す”なんてことはしなくてよくなりますね。原因を直すのにもある程度時間がかかりますから、無駄な時間を浪費することがなくなります。なにより、それを直したところで本当の原因ではないのですから、同じ問題が再発するでしょう。

 因果関係に似た言葉に『相関関係』があります。それぞれを見比べてみると、

 A. 因果関係… どちらが原因で、どちらが結果なのかは決まっている
 B. 相関関係… どちらが原因で、どちらが結果なのかは決まっていない

 たとえば、コンビニの商品で、ある1ヶ月の”スポーツドリンク”と”アイスクリーム”の売上を見たときに、一方が売れている日にもう一方も売れているデータが出ました。ここで先ず考えられるのは、

 α. スポーツドリンクが売れる(原因)から、アイスクリームが売れる(結果)
 β. アイスクリームが売れる(原因)から、スポーツドリンクが売れる(結果)

 この2つです。さて、αとβ、どちらが正解なのか? と考えたとき、”どちらでもない”ことはすぐに判りますね。データでは両方とも売上は上がっていますが、これだけでは因果の判断はできません。このとき、

 「2つの売上には相関関係がある

と言います。
 気をつけないといけないのは「2つの売上には因果関係がある」としてしまうことです。売上のデータだけでは因果関係があるとは言えないのです。ということは『第三の原因』=『真因』があると推察できます。ここでの真因とは、

 γ. 季節が夏(真因)だから、スポーツドリンクとアイスクリームが売れる(結果)

ってことです。まとめると、
 A. 因果関係… γ
 B. 相関関係… α、β

ですね。
 真因が『夏』だと判ったのは、データを”ある1ヶ月”だけ見るのではなく、1年を通して見たからです。まぁ、このようなデータはほとんどのコンビニで出ていると思います。1年を通して見ると『7・8・9月』の売上が上がっているでしょう。
 真因を探すときは、1ヶ月視点 → 1年視点 みたいに視点の”切り替え”をしてみるといいですよ。そして、簡単に視点の切り替えの練習をする方法が『逆』にすることです。
 解決したい問題があったとき、

 1. 原因と結果を書き出す。(元:原因は『〇〇』、結果は『◉◉』)
 2. 書き出した2つを入れ替える。(逆:原因は『◉◉』、結果は『〇〇』)
 3. ”逆”が成り立つか否かを検討する。
   α. 成り立つ → 他の原因を探す
   β. 成り立たない → 1の状態が正しい
 4. 3-β『原因は1つとは限らない』ので、同じ結果になる他の原因を探す

 この手順で調べてみると、簡単に判断できますね。どちらにしろ、”他の原因を探す”ことになるのである程度時間がかかります。しかし、ここで時間をかけることによって、見当違いの原因を直す=無駄なこと がなくなるのです。正確な判断が必要なことこそ、拙速な”即断・即決”は控えた方がいいでしょう。

 さて、それではいきましょうか。
 止まった砂時計が再び時を刻むためには、ひっくり返せばいいってことです。



Lesson 阿.

a. 『金』 と 『銀』

 私の世代だと『金さん銀さん』を覚えている方も多いと思います。双子のおばあちゃんたちで、ともに100歳以上まで生きました。金さんは107歳で、銀さんは108歳で生涯を終えられたようです。

 他にも、将棋の『金将と銀将』や、寺の『金閣と銀閣』もありますね。このように日本では金と銀をほぼ同格・同位として扱う文化があります。金属としての値打ちでは金の方が上ですが、金属ではないものを金と銀で喩えた場合には同格・同位として表すことが多いようです。
 ちなみに、金閣の正式名称は『北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)』と言います。”金”という言葉は使っていませんね。

 さて、【パレートの法則】というものがあります。イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが見つけた法則で『全体の数値の大部分は、全体の構成要素の一部が生み出している』としたものです。そのことから、別名『80:20の法則』とも言われます。総売上のうち80%の売上は、全社員の20%の人たちが生み出していると言えば判りやすいですね。

 ただ、パレートの法則には”欠点”があります。この法則を見つけるために用いたデータの数が少ないことと、データが1800年代のものであり時代が古いことです。実際、他の学者からは否定的に捉えられていますし、貧富の格差が大きくなることを示すデータがあるにも関わらず、そのデータは採用せず「貧富の差は広がらない」と主張しているなど、疑問符がつくことが多いのです。
 なにより、この法則が見つかったのは『ヨーロッパ』であり、『日本』ではありません。

 ここで気になるのが「パレートの法則は日本でも当てはまるものだったのか?」ということです。戦後から欧米化が進んでいったので、現代で統計を取れば当てはまるのかもしれませんが、”元々”はどうだったのかが気になりますね。つまり、

 α. 無作為に統計を取った結果、パレートの法則に当てはまった
 β. パレートの法則に当てはまる社会を目指した結果、当てはまるようになった

 この2つは全然違いますよね。
 前者であれば「日本もヨーロッパと同じだったのか」と納得できますが、後者であれば「なんでその法則を目指したんですか?」となります。
 パレートの法則は”極端”な値を取るのです。上位2割の人が売り上げのほとんどを稼いでいる… バランスが悪いですね。それこそ金と銀ではなく『金だけでいい』かのようです。まぁ、会社は”売上がすべて”ですから、金を目指すのは当然なのかもしれませんが、ここでも気になるのが「なぜ、そこまで”極端”である必要があるのか?」というところです。

 金ではなくても銀、トッププレイヤーとはいかないまでもセカンドプレイヤーはなぜいないのか? ってことです。わざわざパレートの法則を再現するためにセカンドプレイヤーを切る必要はないでしょう。本人が自ら「出て行く」と言えば止めないにしても、会社側からそのように推奨することはあまりないと思います。しかし、会社組織はまるでパレートの法則を目指す・再現しようとするかのように”極端”になっていることがあるのです。

 余談ですが、人間には『同程度の知的レベルの者を淘汰する性質』があります。詳しい内容は忘れてしまいましたが、とある原人が滅んだのは、他の原人に滅ぼされた可能性がある… その理由は、2つの原人は”同程度の知的レベルだったから”…という話を聞いたことがあります。知的レベルが近いと考えることも似通ってくるので、場合によっては”邪魔”になるのかもしれませんね。

 パレートの法則は『自分と同格の者を減らす』ことにも使えるのですよ。やり方は簡単です。「この法則が正しい!こうあるべきだ!」と言えばいいのです。そうすれば、真面目な日本人はその形を目指して勝手に自滅し… じゃなくて、欧米と同じ文化になっていくでしょう。

 繰り返しになりますが、日本において、金と銀は同格・同位として扱います。

 さらに気になるのが、その法則に従い、そんな社会を作れば良い社会になるのなら、なぜ、現代の日本はダメになっているのでしょうか? コロナや他にも原因はたくさんあるにしても、30年も停滞してるのはなぜなのか? ってことですね。

 1. パレートの法則を再現する
   ↓
 2. トッププレイヤーに反論できる人がいなくなる
   ↓
 3. いつまでも同じ方法で仕事をする
   ↓
 4. 改善・改革が起きない
   ↓
 5. すべてが停滞する
   ↓
 6. 時代に取り残される…

ってところですかね。
 子どもの頃『刑事コロンボ』が好きでよく見ていたので、どうしても気になるんですよ。小さなことでも”引っかかる”ことがあると、ずっとそのことを考えてしまうのです。

 そういえば、欧米の国はどれも”歴史が短い=短命”ですね。日本の次に長い国でも1000年ほどです。日本は皇紀2600年ですので半分以下の歴史しか持っていません。欧米の国々は長く続けたくても滅びてしまうのですよ。

 パレートの法則は、そんな国々から見つかった法則です。



b. 『否定』 と 『比定』

 『知っていることを言わないことも大事』

 たまに聞きますね。知らない方が相手のためになっていたり、知っていることで嫉妬されることを避けたりするためのようですが、これって要は『自分のため』ですよね。
 嫉妬を避けるのは自分のためですし、知らない方が相手のためというのも、自分が勝手に判断を下し相手の話を聞いていません。『相手のため』ってのは、結構難しいものです。人を思いやることは大事なことですが「これは思いやりと言えるのか?」と感じます。
 確かに嫉妬する人はいるかもしれません。しかし、その人がもっと勉強なりすればいいだけですので、知っている人には関係ありません。

 なにより、言わないことにより”集合知が生まれなくなる”ことの方がよほど大きな問題です。
 集合知は化学反応やアルケミー(錬金術)のように、知の結合・変換・代入を繰り返すことであり、まさに『イノベーションの卵』となるものです。知の化学反応によりイノベーションの卵は生まれるのです。
 日本でイノベーションが生まれなくなったのは、集合知がない・集合知を育む土壌がないからでしょうね。”受精卵”がないのですから、子どもが生まれるわけがないのと同じです。そういえば日本は今、少子化ですね。

 大人に対し”かすり傷さえ負いたくない・負わせたくない”ように見えるので、まるで『子ども扱い』しているかのようですね。であれば、その心遣いはむしろ逆効果になるのも肯けます。

 知識は”持っているだけ”では、ほとんど意味がありません。実際に使ったり、人に話して共有することで効果が生まれてくるものです。ただ、こうなってしまったのは『教育』の責任も大きいと思いますよ。学校では”試験のための勉強”ばかりして、実用的なことは後回しにする傾向がありますからね。
 さて、ここでも気になることが、

 α. イノベーションが起きないから、知っていることを話さない
 β. 知っていることを話さないから、イノベーションが起きない

 日本で起こっているのは2つのうち、どちらでしょうか。
 イノベーション=改革 が進んでいくなら、自分の知識が役に立ちそうだから話しやすくなる。だから、改革が起きるまで待とう… とか考えているのかもしれませんが、残念ながらそれだと永遠に改革は起きません。なぜなら、

 改革が起きると、知識を話せる のではなく
 知識を話すと、改革が起きる からです。

 『逆』ですね。
 ちなみにいろんな知識が得られる”インターネット”も、元々は情報の共有や集合知を得るために開発されたものです。スイスのCERN(セルン)という機構が社内で使うためのシステムでした。
 本来、集合知のためのインターネットでしたが、世界に広まるにつれ他人に対し『攻撃』するような使い方をされています。日本でも自殺にまで追い込まれた人もいます。インターネットを通じ、

 知識を合わせて問題を解決する のではなく、
 知識を使って他人を罵倒する ようになっています。

 因果の逆転ではありませんが、これも使い方の”方向が逆”なのですよ。

 ところで、いろんな会社で『後継者問題』があるようです。自分が退いた後を任せられる人が育っていないので、今のところ「自分がやるしかない」となっています。ここでも気になるのは、

 α. 後継者が育たないから、自分が仕事をする
 β. 自分が仕事をするから、後継者が育たない

 2つのうち、どちらが事実でしょうか。
 仕事とは、作業だけではなく『育成』も含まれます。むしろ個人的には、一定の役職以上に就いた後は”育成がメイン”と言ってもいいと考えています。「後継者がいない」と嘆いている人は、その役職に就いた後も作業ばかりしていたのかもしれません。

 さらに、人を育成するには”教え方の基礎”がありますが、その基礎は『子育て』なのですよ。してきましたか? 子育て。母親に丸投げして育児にはまったく参加してこなかった人もある程度いるのではないでしょうか。特に昭和世代には多いかもしれません。
 育児により「人を”育てる”とは、どういうことなのか?」を学ぶことになるのですが、育児をしていないので知らないままになってしまったのです。

 基礎を知らないのですから、それより遥かに難易度の高い『後継者の育成』などできるわけもないのですよ。

 因果応報ですね。人は”やったことのツケ”は払うことになりますが、”やっていないことのツケ”も同じように払わなくてはなりません。つくづく、世界はよくできていると感じます。

 今からでも遅くはないでしょう。やってこなかった『子育て』をやってみてはどうでしょうか。その間、仕事は誰かに任せるしかなくなりますよね。そしたら後継者は勝手に育つかもしれません。確かにいきなり任される方はたまりませんが、

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす

とも言いますし、なにより、父親に遊んでもらえなかった子どもこそ、千尋の谷に落とされていたと捉えることもできます。それを考えると、いきなり「あとは任せる」と言われたとしても”まだマシ”ではないでしょうか。
 ちなみに実際のライオンは、我が子を谷に落としたりはしません。

 補足ですが、よく母親が「子どもが言うことを聞かないからなんとかして」と父親に相談することがあります。この場合、「それをなんとかするのが母親の役目だ」と考えている人もいるようですが、実はこれ、簡単に解決できます。それは、

 父親自身が、母親(=奥さん)の言うことを聞いている姿を、子どもに見せればいいのです。簡単ですね。

 人間と言えど『動物』の一種ですから、”力の強いものに従う”という本能があります。成長するにつれ理性や知性を身につけていくので、従うとは限らなくなりますが、子どもにはまだできないのですよ。だから、本能の方が強く出てしまい、力で劣る母親の言うことは聞かないなどの行動を取ってしまうのです。

 であれば、それを『逆手』に取れば良いのです。
 自分より遥かに力のある父親が、力に劣る母親の言うことを聞いている… 従っている… その姿を見た子どもは母親の言うことを聞くようになるのです。ここで大事なことは、本当に言うことを聞いているってことですね。”見せかけ”ではいけません。子どもを一時だけ騙すならそれでも構いませんが、いずれバレます。

 では、なぜ、バレると言い切れるのか?

 理由は簡単です。あなたがそうだったからです。ってことは、下の者にはすでにバレているってことですね。このまま”意地を張り続ける”ことに意味はないでしょう。

 さて、もうすぐクリスマスですが、サンタクロースはプレゼントを贈っているのでしょうか、それとも贈られているのでしょうか… ? 思い出してみてください。

 それでは後半へどうぞ〜



Stu Hamm - Sleigh Ride


Anything goes !

パウル・ファイヤアーベント


Lesson 吽.

α. 『科学』 と 『宗教』

【反証可能性 falsifiability 】
 科学の理論は、観察や実験の結果によって否定、または
反駁される可能性があること


 『パレートの法則』なんて法則は存在しない

 科学の世界にはいろんな”法則”があるやん。科学が好きでやってる人以外には何かの『暗号』のようにしか見えんような数式がいっぱいあるよな。数式の1つ1つがそれぞれの法則を表しとる。

 前半でも説明したけど、『パレートの法則』なんてものは存在しないのや。意図的に作られた法則と言ってもええかもね。何かを科学的に検証するときに”仮説”を立てることがある。んで、それから実験や観察をしていろんなデータを集めていくんやけど、そのとき、仮説とデータのズレを見て、

 α. 仮説を肯定するデータだけ採用する
 β. データによって仮説の是非を判断する

 科学的に正しい姿勢はβ なんよな。やけど、意図してもしなくてもα の方をやってしまうことがあるのや。でもそれって、自分で自覚するのって結構難しかったりするのよね。人間はどうしても無意識に動くことがあるき。

 そこで大事なのが【反証可能性】ってやつやな。

 これは要は「反論できる」ってこと。『反論できる状態が”科学”だと言える条件である』と言ってもええし。イギリスのカール・ポパーって哲学者が言い出したんやけどな。
 じゃあ、それが科学と言えるなら、『反論できない』ものは何か?

 反論できる… 科学
 反論できない… 宗教

ってこと。
 反論できないものは『宗教』ってことになるのや。
 たとえば、「宇宙は誰が作ったのか?」って問題があるけど、科学はこの問いにはまだ答えられてない。けど、宗教なら「神です」って即答するやろ。んで、その答えは正しいか間違っているかを検証しようにも、方法がないやん。肯定する根拠はないけど、否定する根拠もないのよね。つまり「神です」って答えた瞬間に検証は終わってしまう。反論しようにもできなくなるのや。

 んで、こっからなんやけど、先述したα の場合も『反論できなくなる』のよね。仮説を肯定するデータしか採用してないんやから、仮説を否定するためのデータがない。つまり、反論できない。

 何年か前から『データ・サイエンス』ってのが出てきたけど、”サイエンス(科学)”と名前がついてるからには、反証可能性は担保されてて然るべきやろ。データを使っていろんな新商品を生み出すことには大賛成なんやけど、データの扱い方を間違えると何の意味もない商品を作ることになるでよ。
 企画を通すためにいろんな準備してプレゼンするやんか。そのとき、反論されないようにいろんなデータを提示したりするのは良いとして、反論できないってことは、科学ではなく宗教になってしまうってことは覚えておいた方がええかもね。

 『反論できない』に似たようなのに『論破』ってのがある。これって”論理”ってものの性質なのよね。論理は矛盾の無い状態は作れない、つまり、どこかで矛盾してしまう。まぁこれを言うと『ゲーデルの不完全性定理』とかの話になってしまうから、その話は置いといて、2019年に史上初めてブラックホールの写真が撮れたことに対して、「データを見てもブラックホールの姿は無かった」って反論した人がおったのや。実際にはどっちなのかは素人には判断できんからそこはもう専門家に任せるしかない。言いたいことは、少なくとも科学の基本姿勢である”反証”はできとるってことよ。

 パレートの法則に話を戻すと、この法則は”極端”な値を取るんやろ。なら、これをたとえば40人クラスの『テストの点数』に当てはめてみると、

 90~100 5人
 70~89 0人
 50~69 15人
 30~49 10人
 10~29 7人
 0~9 3人

 こういうことよね。
 こんなテスト結果を見たことがあるか? ってことよ。70~89点を取った生徒が一人もおらんやん。でもこれがパレートの法則が示す結果なんやで。ここまで”極端”な結果ってどんな学校や。学校の運営の仕方が間違っとるやろ、それ。

 ここで「学力の優劣と仕事の優劣は違うから」って意見が出ると思う。その意見そのものには賛成の立場やで。でも、それやったら会社の採用基準に『学歴』を用いてること自体がおかしな話になるよな。学力と仕事の出来不出来には因果関係が無いとするならば、なぜ、採用基準に『学歴』を用いてるのか? ってのが引っかかるわな。
 仕事をスポーツの野球やサッカーに倣って、それらの方法論を仕事に取り入れたりする。んで、野球選手やサッカー選手のレギュラーを決めるときに『学歴』を使うことはないのに、仕事ではそうしとるのはなぜなのか?
 まぁこれにも「スポーツは”例え”だから」って返ってきそうよね。”例え”で言ってるなら尚のこと、スポーツの『体制』でやるのはおかしいわな。別にその体制やなくてもええやんね。

 パレートの法則を表す図は『反比例の図』って言えば判りやすいね。反比例の図をもっと”極端”にした感じで、『べき分布』とも言う。ただ、個人的にその図を見たときに”強烈な違和感”を覚えたけどね。極端… 0か100か… 似てるな〜…

 1位のすぐ下はいきなり20位くらいになる。2位や3位はどこに行ったんや? 

 ほんまに”たまたま”かもしれんけど、今までいろんな店を渡り歩いて感じてきたことは”No.2 がいない”ってこと。ここでの『いない』ってのは、その立場の人がいないって意味やなくて、No.2 の役割を果たしている人がいないって意味やで。
 『No.2 の立場の人』はおるんや。けど、その”役割”をやってないのよね。パレートの法則に従うと、

 学校の運営の仕方が間違っている = 会社の経営の仕方が間違っている

ってことが言えるんやないかね。なにより、繰り返しになるけど、この法則は存在しないんやし。



β. 『浄化』 と 『JOKER』

 極端ってことは『偏っている』と言い換えることもできる。んで、その『偏り』を見つけるときに役立つのが”正規分布”ってやつやな。データのサンプルの数を増やせば増やすほど、真ん中が一番多くて、両端に向かうにつれて少なくなっていくってやつや。テストの点数で表すなら、

 90~100 3人
 70~89 7人
 50~69 11人
 30~49 9人
 10~29 7人
 0~9 3人

 こんな感じ。これならまぁ、あり得る形よね。
 正規分布を使うと『不正』を暴くこともできるのや。フランスの数学者アンリ・ポアンカレって人が正規分布を使って、パン屋が不正にパンの重さを軽くしてたのを暴いたことがある。パンの表記された重さよりも軽い方にデータの偏りが出た。ってことは、そのパン屋は”意図して”パンを軽くしていたということになる。

 ポアンカレの正規分布からすると、パレートの法則は『意図して作られた法則』なのよね。なぜなら、極端 = 歪み(偏向指数)があるから。んで、実際にパレートの法則には”使っていないデータがある”と。

 パレートの法則を使って『極端な環境』を意図的に作ると、会社組織なら上層と下層に”分断”されるような環境にもなるやろ。たとえば、他の記事でも散々取り上げてきた『片付け』に関して、

 1. 片付けをさせる人
 2. 片付けをさせられる人

 この2つの階級に分断されることがある。んで、この環境になると人間はどちらも『負の感情』に侵されていくのや。

 させる人… 傲り、慢心、不遜
 させられる人… 妬み、卑下、自虐

 どっちも『負の感情』やろ。片付けには、

 a. 自分への効果… 整理整頓・思いやり・未来予測
 α. 他人への効果… 残業時間減少・発達障害の症状緩和・仕事の向き不向き判定

 この2つの効果があるけど、これらは『自発的』にやることで効果が生まれるのに、階級に分断された環境やと、”させる人”はそもそも片付けんし、”させられる人”は『自分の意思とは関係なく、させられてるだけ』になる。やから、効果はまったくなくなるのや。

 日本では、職人の世界で新人に片付けをさせることがある。んで、それは欧米の『スノビズム』が職人の世界に入った結果、新人に片付けをさせる職人が増えたからってのもあるのや。スノビズムの意味は”上品ぶった、気取った”とかやで。
 んで、

 新人に片付けをさせる
  ↓
 他人に片付けをさせる

 こう変化してしもうたのよね。だいたい、今はもう年齢的にほとんど亡くなってもうたかもしれんけど、ほんまに古い職人やと、

 片付けをさせる = うんこした後のケツを拭かせる = 恥ずかしい

って考えとるから、片付けを他人にさせることを嫌がる人も多いのや。まぁ、そりゃそうよね、自分がうんこした後のケツを拭いてもらうことと同義なんやから、赤ちゃん扱いをされとることになるやん。

 つまり、本来は a や α を教えるための『片付け』が、いつのまにか階級や分断を表すものとして機能するように変化してもうたのよね。
 a や α の他にも「道具を大切に扱う」とかも学ぶことになる。道具を大切にする人が、使った後に”放ったらかし”なんてことをすると思うか? ってことよ。自分で片付けるやろ。

 ちなみにヨーロッパって、歴史的にもの凄い数の戦争をしとるよな。やから、国が興っては滅びるを繰り返しとる。”同じ間違いを繰り返す”のは、金に反論できる銀がいないから、改善が起きない。やから、革命を起こすしかなくなる… もしかしたら、その原因は『片付け』にあるかもよ。

 金さん銀さんは、お互いがいた(原因)から、長生きできた(結果)のかもね。



Ending.

Thomas Rhett - Slow Down Summer


「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。ーアルベルト・アインシュタイン

ひとはなぜ戦争をするのか アインシュタイン/フロイト


おわりに

 かつて、科学の世界では『天文学と占星術』は1つであり、『化学と錬金術』も1つになっていました。それから、それぞれが”分離”していったんですね。分離した理由は、天文学と化学からすると、占星術と錬金術はあまりにも根拠が無いように見えたからです。”星の運行”と”人間の運命”に因果関係があるなんて、到底信じられなかったのですよ。
 ただ、『星占い』など、今でも残っているものがあります。占いを信じる信じないは「その人の自由だ」と考えていますので、それを否定することはありません。

 科学と宗教の対立は、今もなお、続いているようです。
 科学からすれば、宗教は一種の”お遊び”に見えることもあるでしょう。しかし、宗教からしても科学はただの”冗談”に見えることがあるのです。

 物理の法則の1つに『慣性の法則』があります。物体に力が働かない場合、その物体は同じ状態を維持する法則です。物体にそんな法則があるのと同様、人間にも『感性の法則』があります。

 確かに星の運行は、人間の運命を司っているとは言えないかもしれません。が、星を見ることで『心が安らぐ』ことがある人がいることも事実です。それなら、その人の『行動』になにかしらの変化があってもおかしくはないですね。変化、つまり『影響』です。

 感性を持つ人は、影響を受け、行動は変化します。
 感性を持たない人は、影響を受けず、行動は変化しません。

 まるで物理の『慣性の法則』のように、変化したりしなかったりです。物理法則との違いは、法則は1つだけとは限らないということです。物理法則は1つであることが条件ですよね。それ以外に説明できる法則がないことを求めています。が、感性の法則は人それぞれ異なることが条件です。つまり、法則は”無数にある”ってことですね。

 正規分布において、”両端”の共通点は『少数』ってことやんか。テストの点数が100点の人と0点の人は少数がゆえに、共感することがあるってことよ。んで、その両端をつなげるために都合が良いのがパレートの法則なんや。けど、この方法は完全に”裏目”に出るんや。つなげようとしているのに、反対に分断を産むことになるんやで。

 パレートの法則に従うのは、孤独な人
 孤独な人は、パレートの法則に従う

 どちらも成り立つ、ってね。
 『人間は一人では、人間にはなれない』って言うやんか。孤独な人はまだ人間に成ってない、だから、仲間を求める、そのために環境を”作り出す”…

 この世界はいろんなことが【逆】になっているのですよ。
 孤独な道化師によって、魔法をかけられた世界やな。

 「ヘッドハントされた人が行った先で成果を出せない」という話を聞くことがあります。この場合、”環境が悪い”ことに原因があるようになりますが、果たしてそうでしょうか。
 原因は1つとは限らないのやで。

 もう1つの可能性、それは、そもそも成果を挙げているのはその人ではなかったってことですね。売り上げが上がったときに、”その場に居ただけ”なのは従業員でしょうか、それとも、その上司の方でしょうか?

 本社からすれば、上司が売り上げを上げたように見えるやん。計画とか日報とか受けとるわけやし。けどね、現場から言わせてもらうと、上司がどんな計画を持っていようが、その場にいる人の行動には2つのパターンがある。

 A. 上司の計画を理解し、全員に教える人
 B. 計画には無関係に、必要なことをする人

 この2つがある。んで、A でもB でもどっちでもいいのよ。ここで言いたいことは『実際に行動している人が上司”以外”にいる』ってことなんや。動いてる人は上司ではないのよね。他の人がやっとる。ってことは、それで成果が出たとしても、上司の経験にはならないのや。なぜなら本人はやってない(=動いてない)から。

 もちろん、その上司自身が動いて成果を上げる場合もありますよ。ただ、そうじゃない場合があるってことを言いたいのです。この場合でも、成果の評価は上司がされますが、それでヘッドハントして別のところに行っても同じ成果は得られないでしょう。なぜなら行った先に、上司の”代わりに動く人がいるとは限らない”からです。

 「そんなことはあり得ない!」って反論がきそうやけど、だったらなんで、日本の経済は30年も停滞しているのか? 本当に優秀な人が出世したり、見合う役職に就いているならもっと景気は良いはずやし、社会全体も発展してるはずやんか。けど、現実にはそうやない。【逆】に止まってしもうとるし、なんなら『退化』しとるよな。

 他にも【逆】になっていることは、

I. 『社会保障について』
 税金を上げて予算を組む のではなく、
 給与を上げて予算を組む必要がないようにすれば良い のでは。

II. 『会社の売上について』
 売り上げのために自社の商品を自分で買うと、他人のデータが集まらない
  ↓
 他人に売れる商品が生み出せない
  ↓
 自分で買うしかない
  売れないから、自分で買う のではなく、
  自分で買うから、売れない のですよ。
 データが集まらんのやから当然やな。

III. 『コロナ対策について(給食)』
 大人はしゃべりながら食べていいのに、子どもは黙って食べなきゃいけない。
 大人は我慢しなくて良いのに、子どもは我慢しなきゃいけないのですか?
 【逆】じゃないですか?


 ☆さて、どうやら魔法を解くときがきたようですね。
 ★これ以上魔法にかかったままやと、また『世界戦争』を始めてしまう。
 ☆すぐ近くで”前哨戦”みたいなのが始まってますしね。
 ★止まった砂時計を、ひっくり返す必要があるな。
 ☆簡単なトリックですが、意外とみんな気づかないものですね。
 ★原因と結果、【逆】にするだけで”時が止まる”のや。
 ☆道化師の役割は、子どもを”泣かす”ことではなく、”笑わせる”ことです。
 ★大人が泣いて、子どもが笑う世界なら判るけど、今の世界は、
 ☆大人が笑って、子どもが泣いているのですよ。
 ★だから、どんどん”歪んで(=偏って)”いっとるのや。
 ☆なんか合言葉というか、魔法を解く呪文決めます?
 ★カッコよく英語でいきたいね。
 ☆子どもでも唱えられるくらい簡単なのが良いですね。
 ★日本よ、蘇れ〜🌱

 《 ☆ Reverse For Rebirth ★》

 (★文法は大丈夫なんかな?
 ☆ではではこの辺で、それじゃあ
★またね〜🃏)



*参考書籍*
 ・パンセ ブレーズ・パスカル 岩波文庫
 ・文系でもわかるAI時代の数学 永野裕之 祥伝社新書
 ・理性の限界 高橋昌一郎 講談社現代新書
 ・ひとはなぜ戦争をするのか アインシュタイン/フロイト 講談社学術文庫

*参考記事*


*『片付け』について*

a. 自分への効果… 整理整頓・思いやり・未来予測


α. 他人への効果… 残業時間減少・発達障害の症状緩和・仕事の向き不向き判定


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