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コロナにかかって自宅療養

1.一人暮らしでコロナになった。

実家は関西。
学校も関西。
就職も関西。
異動で半年前に関東に来た。

2021年始まって早々。
緊急事態宣言が鳴り響くなか、乗りたくもない流行りに乗ってコロナを引っ掛けた。
どこも出かけてない。
ほんと日用品の買い物くらい。
年末年始外食もしてないし、実家にも帰ってない。
まあそんなこと言ってもどうにもならなくて。
PCRで陽性になった。

無症状で特に基礎疾患もなかったから、自宅療養となった。
家から1歩も出たらだめ。
ゴミ捨ても遠慮してねって言われた。
誰にも会わずにひたすら家に引き籠もる10日間が始まった。

2.ひとりぼっちの長期休暇

私にとって1人でいることはそんなに苦じゃない。
むしろ、ひとりで絵を描いたり音楽を聴いたり、文章を書いたり。
そんなことが日常生活で一番落ち着く時間だったりする。
1人の時間がいくらあっても、楽しみを見つけるのは軽いもんだった。

退屈じゃなかったけど、問題はあった。
私の職場は介護施設だった。
労働集約型の王道。
シフトで回る仕事な上に感染拡大防止の緊急対応が始まって、現場はパンク寸前だった。
先輩は文字通り、朝から晩まで働いていて、いつ帰宅してるのか分からなかった。
そんななか私はなんにも力になれない。
しかも施設内にウイルスを持ち込んだのは私だって可能性もおおいにあった。
申し訳なかった。
職員の皆さん、入居者様やそのご家族様方。

3.今の職場を選んだ理由

私は、あまり人付き合いが得意な方ではない。
友達が欲しいとかはあまり思わないタイプ。
そんな冷めた私にも、けっこう前から欲しいものがあった。
それは、仲間。
なんかめちゃめちゃクサく聞こえるかもだけど、いいなーって思ってた。
雑談だけの友達は要らないから、同じ目標に向かって本気になれる仲間が羨ましかった。

私には、誰かと協力して目標に向かった経験があまりない。
内に籠もってばっかだったから、当然っちゃ当然なんだけど。
だから、憧れたんだ。
映画や本の世界に広がる、青春ストーリーがめちゃめちゃ眩しかった。
マンガはあんまり読まないけれど、少年マンガにはお気に入りの作品がいくつかあった。

だから思った。
就職活動してるとき、私はなんのために就職するんだろうって。
それで出した答えはこれだった。
「仲間が欲しい」
今の会社に決めた一つは、社員さんだった。
月並みな表現しか出来ないけれど、先輩社員が熱くていいなって思ったんだ。
そして会社の歴史がかっこいいなって思ったんだ。
創業社長の想いを聞いて、私もこんな風に語れる人生を創りたいって強く思った

だれも喜んでくれなかった。
両親は特に。
2人の涙を初めて見た。
浪人してまで国公立大学に行って、1年海外留学もさせてもらった。
もっと違う就職先を期待されていたんだと思う。
誰にも期待されない道を選んだ。
両親のことが嫌いなわけじゃない。
だけどだからこそ、私が自分で選んだんだって胸張って言える選択だった。

いざ入社すると、目の前のことに必死になるにつれ仲間がどうのこうのなんて考えることはなくなっていった。
やればやるほど出来ないことが見えてきて、もどかしくて悔しくて、だけど楽しかった。
職場が大好きだった。

4.コロナ陽性になって

そんななかで起きたのが、今回の陽性事件。
高齢者の住む介護施設でクラスターだなんて、命のかかった大事件だった。
私にとって大切なものだからこそ、申し訳ない気持ちをどうしていいかわからなかった。

保健所から陽性の電話を受けて呆然とした私のもとに、やってきたのはひとりぼっちの時間じゃなかった。
会社の皆さんからの電話やLINEのメッセージ。
丁寧な文章や短いジョーク、体調を気遣う優しい言葉や笑顔を引き出す軽快なトーク。
心配して家まで牛乳やプリンを届けてくれる人もいた。
社長からは551の肉まんが届いた。
人によって色んな個性があって、どれも温かい気持ちがこもっていた。
店舗のことは任せてくれという言葉が心強かった。
嬉しいのか悲しいのかなんなのかわからないけれど、涙がこぼれて止まらなかった。

年齢も経験も様々な方々に対して、一緒くたにこの言葉がふさわしいのかわからない。
だけど、それでも言いたい。
私にも仲間ができたんだなって。
もう独りじゃないんだなって。

5.あの日の私へ

1年前の私を思い出す。
自分を信じて進路を決めたけど、不安で仕方なかった。
入社式の日にも言われた。
「本当にそこに行くの?」
入社直後の決意表明で私は言った。
「仲間が欲しい」

もしもあの日の私に会えるなら、伝えたいことがある。
「大丈夫。心配せんくていい。大丈夫よ。」

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