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今日も「自分」を重ねていく。


いきなりだけど、(人から)見えない部分、あるいは特定のだれかにしか見せない部分に「自分」を重ねていく行為は、内面から溢れる美しさにつながるのではないか、と思ったことがあった。


例えば、冬のペディキュアや下着、毎朝の白湯や青汁、寝る前のストレッチ、とか。

なんでもいいのだ。
あ、でもこれは、すこしの「秘密」と「自分をいたわる時間」、みたいな要素がポイント。


妹が下着の販売員をしていて、下着の魅力や大切さをよく語ってくれるのだけど、その日も「外側に気を遣うって当たり前の話でしょ。差が出るとしたらそれは内側をどれだけケアしてるかだよ。だから、わたしは下着の魅力を伝えたい。」と、豪語していた。

ふむふむ‥確かになあ‥と、いつも通り相槌を打っていたわけだけど、なぜかその日は深いところに響いて、下着に対する意識がころっと変わってしまった。

あまりに無頓着なわたしは、今まで下着に対してそこまでのことを考えるに至らなかったのだけど、確かにかわいい下着を身に付けていた日は、背筋が伸びていたことに気付く。

服の中のことで、無差別にだれかに見せるものではない下着は、わたしだけが知っているわたしを魅せてくれるアイテムになっていたんだなぁと思った。


わたしは、次の日早速、下着を新調した。


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ここ数年マインド(内側)を整えることに重きを置いてきたのだけど、昨年末あたりからボディ(外側)にも目を向けるようになった。


ズボラかつ「なにをやってもだめ」と、自分自身にレッテルを貼り続けていたわたしにとってこの変化は、信じられないことなのだ。大袈裟でもなんでもない。ここだけの話、リップを20代後半に入るまでまともに塗れなかった。リップたるもの、わたしみたいな人が使うものではないと思っていた。メイクはしっかりするし、髪型だって自分に似合うものをずっと探り続けている。おしゃれはだいすきで、ファッションも探求していた。万年、美容業界にいたにも関わらず、なぜかリップには手を出せなかった。

振り返ってみても、我ながら意味不明だな、って思う。想いと行動の矛盾、思考のゆがみ、、これは一種の洗脳、、?(自分で自分を縛ってるものって結構多いんだよね。)とっても奇妙。笑



外側を整えることで、内側に変化がある人もいれば、内側を整えるのことで外側に変化がある人もいる。わたしは完全に後者。


大した努力をする前に自分自身を諦めていたのだけど、内側(マインド)を整えていたら自分自身に興味がでてきた。今までさぼりにさぼり続けた(そんな自覚もなかったけど)外側(ボディ)の方にも、やっとやっと意識が向きはじめた。


日々を少しでも前向きに過ごすためには、あらゆるツールが必要で、それは内側からも外側からも両方の要素があるといいんじゃないかな、と考える。



久しぶりに、ペディキュアを塗った。

冬のペディキュアに、こんなにきゅんとしたことはあったかな。


サンダルを履く季節ではないし、寝るときまで靴下を履いてるわたしは、お風呂のときくらいしか自分でも見ない部分。そして、爪がちいさくてすきじゃない。でも、そういう部分をあえて気を遣うっていうのはとてもいい。自分のこと大切にしてるなぁ。っていう感覚が手に入る*


だれのためにでもなく、自分のために自分のすべてを愛せるように。

コンプレックスさえも愛せるように、今日も「自分」を重ねていく。





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