(書評)日本の山には何かがいる---『山怪』(全3巻)
★「山怪 山人が語る不思議な話」(全3巻) 田中康弘 (山と渓谷社)
夏といえばホラー、怪談。
いやー、この本は地味に怖かった。スティーヴン・キングの本がどんなに怖くても、それはフィクション、作り話。読んでいる間は怖くても、自分でも作り話の前提で楽しんでいる。
でもこれは作り話ではなく、ごく普通の人々が淡々と語る体験談集なのだ。
「日本の山には何かがいる
生物なのか非生物なのか、個体なのか気体なのか、
見えるのか見えないのか。
まったくもってはっきりとはしないが、何かがいる。
誰もが存在を認めているが、それが何かは誰にも分からない。」(まえがきより)
これは北から南まで全国各地の「山人」たちの怪しい体験談を採集してまとめた本。山人とは、マタギ、猟師、林業関係者、登山者、山間部の住人、山の近くの旅館の主人…等々。著者は、長年山で暮らし、山で仕事をしてた人たちに「不思議な体験をしたことはないか」訊いて回った。古い話でも昭和頃だから、そんなに昔の話ではなく現代の話だ。
基本的に実名と職業が記載されているから、嘘を吐くとご本人のリスクが大きいと思う。彼らは自ら「こんな体験をした」と売り込んだのではないし、著者に訊かれて重い口を開いた人ばかりで、怪異を信じている人ばかりでもない。「こんな話をして周囲からおかしい人間だと思われたくない」と渋る人も多い。淡々と語られる内容はリアルで詳細だし、ホラではなく、どれも本当の体験だろうなと感じる。
下に挙げたようにタイトルはセンセーショナルだが、いかにも「出るぞ、出るぞ」という内容ではなく、おどろおどろしい描写もほとんどない。
「何だか分からない、得体の知れない怖さ」「闇の中に何だか分からないものがいる気配」を感じる話が主だから、ホラー小説や映画のような派手な恐怖を期待する人には物足りないかも。でも、「日常に感じる違和感」「生理的な恐怖感」というのは派手なものでなく、「一見地味に見えて妙に尾を引く」「その時は気付かないが、後で怖くなる」ものではないだろうか。
「ホラー映画のように、これでもかとけたたましく人を怖がらせる何かは、山に存在しない。むしろ逆で、しみじみと、そしてじわじわと恐怖心は沸き起こる」(本書から)
一つの話は2〜3ページ程度で短い。以下はタイトルの一部。
・もう一人いる ・響き渡る絶叫 ・山塊に蠢(うごめ)くもの
・帰らない人 ・不気味な訪問者 ・闇に笑う男 ・叫ぶ女
・遭難者が見たモノ・穴から出てくる人 ・案内する火の玉
私は「ちょっ…怖いんだけど(;´Д`)」と思いつつ、やめられなくて全3巻読んでしまった。
マタギも林業関係者も、山はいわば裏庭のようなもので熟知しているのに、なぜか突然道に迷って行方不明になり、ずっと離れた無関係の場所で発見される話も多い。彼ら自身にも何が起きたか分からず、人に訊かれても説明できない。大人だけでなく子供も同様で、突然消えて子供の足では絶対に無理な遠い所で見つかったりするが、誘拐でもない。不可解なケースばかり。
東北には特に「狐に化かされた」不思議な体験談が多く、全国的には狸に化かされた話も結構ある(前述のように江戸時代とかではなく現代の話だ)。「狐だの狸だの馬鹿馬鹿しい」と思っても、完全に否定できない怪異現象が実際に起きていて、滑稽というよりは不気味だ。被害者が「狸に化かされた」と言う場所に行ってみると、実際に巨大な狸が死んでいたり… (;゚Д゚)
熊や大蛇など、山の動物が出てくる怪異談も多い。
食物連鎖の頂点にいる鷹は勇猛な性質で、抜群の視力を持つ。鷹匠が馴れた鷹を連れて山に入ったら、人の目には何も見えないのに鷹が一点を見つめて凍りついて動かなくなってしまった話も。鷹はたぶん「何か」を見たのだ…(意外にもコウモリの話は出てこなかった。小さくて見えないからかな)
また、どこから聞こえるのか、何の音なのか分からない音がする話。狐火、火の玉、人魂、UFOの目撃談。親族・知人が亡くなる前や直後に挨拶に来た話も非常に多い。音や狐火を否定して「自衛隊の演習音」「燐光」と合理的に解釈する人達もいるが、その理屈では説明しきれないケースも多い。
著者は、本人達もそういう合理的な解釈に心底納得しているわけではないと言う。仕事や生活をする場所に怪異の存在を認めてしまうと精神的にきついので、自分にそう言い聞かせているのだろうと。通りすがりの人間とは違い、嫌でも毎日そこで仕事や生活をしないといけないのだから…。
「世の中には怪異を心底完全否定する人がいるのは事実だ。世間に不思議なことや怖いことなど存在しない。そんなことがあるならば是非遭ってみたいもんだと豪語する…
果たしてそうなのだろうか? 私はこの乱暴な意見にはもちろん賛成しかねる。人知を超えた存在は少なからずあり、それを恐れ敬う行為は人として必要だと考えているからだ。」(本書より)
私も著者の意見に同感。昔から日本では山には神が宿るとされ、熊は山の主だった。山でしてはいけない禁忌(タブー)もあった。
だが、近年はそんなのは原始的な迷信だとでもいうように、山を切り崩して巨大な太陽光パネルを敷きつめ、国から補助金の出る針葉樹ばかりが植林されてドングリ等の木の実が激減し、空腹のあまり里に降りてくる熊を害獣と見做して殺処分する…山への畏敬は失われてしまっているかのようだ。
そんな、自然への感謝と謙虚さを失った人間の傲慢さには、そう遠くない時期にブーメランが返ってくるのではないだろうか。
「山怪」シリーズを読むと「この世には(現代でも)人知の及ばないこと、未知のものがある」こと。手を触れてはいけない、そっとしておかなければいけない場所があるのを感じてしまう…特に日本には。
↓山を切り崩してメガソーラーに。土壌に重金属が染み込み、火災が起きても消防による消火ができない。そこにいた動物たちは住処を失っている。
★私の体験した不思議な話★
肉親の火葬の日に親族数人で火葬場の控室で待っていた時の話。
突然携帯電話の呼び出し音が数コール鳴って切れた。皆が聞いた。私の携帯は電源OFF、他の人の携帯にも着信履歴がなく、皆「何だったんだろう?」と不思議がっていたけど、あれは故人の別れの挨拶だったと思う。
( ´-ω-)
ところで、休む前まではnoteで交流のある方以外の、知らない方からのスキが毎日結構ありましたが、休んでいる間にそういう方からのスキ(過去記事への)は、ほぼゼロでした。ということは、そういう方々は今まで一体どういう経路で当方を知って訪問されていたんだろう? という個人的な謎が残りました(´-ω-`) …ミステリー。
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