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春でぇむん春でぇむん[2021/3/17]



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・パンダガジュマルから新しい葉が出てきた。春でぇむん春でぇむん。

風(かじ)ぬソイソイ
いいあんべぇ
肌持(む)ち清(じゅ)らさ
いいあんべぇ
波音(うとぅ)ん
風(かじ)ぬ声(くぃ)ん
春でぇむん
春でぇむん
(照屋林賢「春でぇむん」抜粋)

・中学の国語の授業で読んだ。「春だなあ」ぐらいの意味だったはず。


・学部生ぐらいの頃までは、漢文の面白さがよくわからなくて、なんで必修なんだろうなと思っていた。いや、もちろん、①「教養」が大事なんてことは当たり前で、②漢文が読めなきゃ明治時代ぐらいの「日本語」だって読むのに難儀して、③漢文が読めない人間が増えるのは人文学にとってとんでもない損失だ、④、⑤、⑥……ぐらいは当然である。それでも、たとえばくずし字みたいに歴史学専攻の必修にするとか、第二外国語みたいに大学で必修にするとか、あるいは一部の社会科科目みたいに高校の文系必修にすればいいんじゃないかなと思っていた。他にもっと優先して学ぶべき事柄がある気がしたのだ。今でも漢文の面白さはよくわからない。

・しかし、日本の「国語」とは、琉球語や中国語など根本的に「外国語」に支えられながら形作られたものであって、「日本語」一本で成り立つものでは全くない(というかこの場合の「日本語」とは、という話である)。そういうナショナリズム的な「思い上がり」を防ぐために必修になってるんだろうな、と大学院生になった頃にようやく理解した。甘えかもしれないけど、なぜ琉球語の詩なのか、なぜ漢文なのか、当時から教えてもらって理解したかったわ。


・神戸大学大学院の難波優輝(ナンバユウキ)氏が公開している修士論文(公開版)のあとがきに自分の名前があってびっくりした。

・同氏の「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」にTwitterでコメントしたからだと思う。

・「ポルノグラフィをただしくわるいと言うためには何を明らかにすべきか」という問いが重要性を持つのは、どこに問題があるか混乱しポルノを「ただしくなく」わるいと論じるポルノ研究の状況がある場合である。ポルノの「わるさ」を言うために“おおまかにただしく”明らかにすべき要点を押さえ、「本当に因果関係はあるのか」「女性を従属させる“のみ”なのか」「問題があるからといって規制すべきなのか」など、その先の問いに進んでいる研究の膨大な蓄積があるなかで、 屋下に屋を架す土台提供なのではないか、と批判した。が、美学、倫理学と社会学のやる仕事はもちろん違うわけで、引用すべきと感じる先行研究群がずれてくるのはまああることかなとも思った。


・論文の構成を大幅に変更する必要性があったので、Wordファイルの文章の、パラグラフ・ライティングでいうところのトピック・センテンスをWorkFlowyにコピペし、並べ替える作業をしてみた。正解だったと思う。1日で完了するようなシンプルなタスクではないのでもうちょっと粘らなければならないが、確実に進捗はあった。

・パラグラフ・ライティングを教条化したりするのは大反対なんだけれども、「ルール」ではなく「コツ」として持っておく分にはいいんだろうなと思う。

・WorkFlowyは、非常にシンプルなアウトライナー。もうこれがないと自分は論文なんざ書けないし、そもそも生活が成り立たない。To Doリストもお買い物リストも読書メモも全部全部ぜーんぶWorkFlowy。自分がWorkFlowyをどのように使っているのかについてもそのうち書きたいんだけど、プライベートがごっそり詰まってるのでなかなか見せながら説明できない。


・授業料の免除申請に向けて動いた。これまでの人生、「私はこんなにお金がないのでどうか助けてください」という旨の文書をどれだけ書いてきたことだろう。まあ、もちろん自分以上に貧困に喘ぐ人もいるわけだからアレだけれども。高校3年のときは、書くことで自分の「外部」となった自分の貧乏を客観的に眺めて傷ついていたけれども、流石に10年目ともなればただの「言葉」になってきた。



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