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ジョギングではない、ダンスである[2021/5/19]


・最近、ジョギングを始めた。自分でも信じられない。

・村上春樹が『職業としての小説家』や『走ることについて語るときに僕の語ること』で、走ることこそが職業小説家を続ける体力をつくった、みたいなことを書いていてカッケェ~と思ったのがまず一つ。

・去年の12月に、音楽を聴きながら外を散歩していたら、東京事変「透明人間」が流れて思わず走り出してしまい、気持ちよかったのがもう一つ。

・とはいえ、12月にジョギングにチャレンジしてみたら信じられないほどつらくて、1回でギブアップした。最近、ユニクロに行ったらジョギングウェアが上下合わせても3,000円強で売っていて、「まあジョギングやめても寝巻にすりゃいいわ」と思って購入。5月はジョギングしやすい気候なのか、再チャレンジしてみたら思ったよりは走れた、というのが最後に一つ。


・ジョギングのな~~にが楽しいんだよと思ってたけど、4回目ぐらいで自分なりの楽しみ方が分かってきた気がする。

・「走る」と考えていたからつらかったんだな。東京事変「透明人間」を聴いて思わず走り出した、という経験を大事にすべきだった。「音楽に合わせて体を動かす」と考えたほうがいい。僕がやっているのは「ジョギング」ではない。「ダンス」である。

・プレイリストにBPMが165~170ぐらいの好きな曲をまとめておいて、それを流しながら外に出る。すると、体が勝手に走り出している。止まりたくなくなる。テンポを落とすほうが気持ち悪い。自分の心音がイヤホン越しに聞こえてくる。裏拍と重なる。俺がビートだ。俺が音楽だ。

・だからまあ、相変わらず、フルマラソンにチャレンジしたりする人の気持ちはあまり分からない。村上春樹を読んでも。もちろん、競って勝つのは気持ちいいし、誰かや自分に勝つために修行するのも特有のマゾヒズム、恍惚があると思う。が、そのための手段は長距離走じゃなくていいしな~みたいな。



・よく思い出してみれば、僕は中学3年の頃、毎朝6:59に家を出て、学校まで2kmの道のりを走っていた。

・なぜか。吹奏楽部の顧問がめちゃくちゃ怖かったからである。

・僕の中学の吹奏楽部は、北海道大会に安定して出場できる程度にはまあまあ強かった。中高の吹奏楽部の強さなんてのは9割5分「顧問力」なんだけれども。


・あまりに顧問に怒られるものだから、プレッシャーで頭がおかしくなりかけていた。「このシャツを着てる日はめちゃくちゃキレられたから、合奏がある日は着ないでおこう」みたいなジンクスを真剣に信じていた。とにかく行動の指針が欲しくて、朝の占い通りに生活していた。

①顧問が怖いから、できるだけたっぷり朝練して備えておきたい
②顧問が怖いから、できるだけ顔を合わせたくない(音楽室の鍵を借りに職員室に行く必要があるが、7:23ごろ顧問が職員室に到着する)
③顧問が怖いから、できるだけ行動の指針=朝の占いが見たい

を同時に叶えようとすると、6:59のめざまし占いCountDownを観た直後に走って中学校に向かうほかなかった。


・じゃあ毎朝走って1時間朝練して楽器が上手くなったかというと、全く進歩がなくて、結局コンクール曲のソロ担当を下ろされた。正直、心底ほっとした。毎日、職員室で土下座して「お願いですからみんなのためにも僕をソロから下ろしてください」と頼み込む想像をしていた。結局、才能がないというか、適切な努力の方法を嗅ぎ取る嗅覚が、吹奏楽に関しては全く働かなかったのだと思う。ほとんど、「まあ服部は誰より練習してるしな」というお情けを獲得するための朝練だったといえるかもしれない。

・なお、中3の秋、体育の授業の持久走で、初夏に部活を引退した陸上部よりも記録が良かった。「適切な努力」なんてしなくても記録が伸びる間は楽しい。今も昔も、僕は走ることに対して「努力」なんてしたことがない。これが「才能」なのだろうか。





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