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保育士ママがこうもりの絵本を作る話(5)

前回のお話


4月

登場人物は大人の代弁者か

Kから最初に届いたイラスト付きの下書きは、子育て中の母親目線でみると、とても庇護欲を掻き立てられる内容だった。

私は小さな主人公に感情移入して少し泣けた。


物語を要約すると、

ひとりぼっちのコウモリの子が日常に溢れる数々の家族愛を目にして、言葉にならない寂しさを募らせていく。

ある時、そんな寂しい気持ちを堪えきれずに思わず叫ぶと、そこに救世主のような存在が現れ、

「こうもりくんが さびしいっていわなきゃ こうもりくんのこと きづけなかったよ ごめんね」と謝る。

その後、コウモリの子が他者の存在から、
自分を心の痛みを客観的に判断できるようになる。


というような流れだ。


コウモリの子が寂しがる姿はとてもリアルで、その可愛らしいイラストとは対照的なほど強いメッセージが浮かび上がってくる。

4月の会議ではその点について話を深めた。
以下はその時のヒアリングメモ。

・大人に対する教訓を伝えたい
・子供に対しては「助けてくれる人はいるよ」と伝えたい
・あなた(こども)に責任があると、というメッセージにはしたくない
・他の登場人物も、コウモリが擁護が必要な子だと知っていたら
 助けてくれただろう
・救世主的な存在(=大人)「ごめんね」がいいたい

4月ヒアリングメモ

どれもわかる。現場にいれば「子供を守る」という意識が強くなるのは当然で、その保育者としての思いが反映されているのだと分かった。

ただし、Kも私も初めの創作で、絵本としての正解は手探りだ。

ひとまず我が子に読み聞かせをして反応を見たところ、
反応する絵や言葉、退屈するページ、絵にびっくりして私を置き去りにして逃げてしまうページなどの情報を得た。(n=2)

(出版社の人だったら、事前に何人くらいの子供でテストするのか想像すると恐ろしくなるので考えるのをやめた。)

また自分が音読していて「私はこんな救世主のような包容力を持てる自信がないぞ・・・」と、軽く挫折感を味わう所もあった。

"こうもりくんのこと きづけなかったよ ごめんね"

これを、読み聞かせる大人に言わせるのはきついかも。
自分の社会人経験なんて子育てには全く無意味だ、と分かった絶望感を彷彿とさせる・・・。いやでもKの思いが一番込もっているセリフなのだから、ここを起点に物語をつくるべきだろうか?・・・この絵本で?
孤独な思いをする子供に、なかなか気付けない社会を構成する一員として、私もそういう子に出会ったら謝るべきなのだろうか・・・。

そんな事をぐるぐると考えていた。

これは・・・難しいぞ・・・!
もっとシンプルな構造にしなければと思いこう提案した。


「この絵本で、一番伝えたいメッセージを絞りませんか? 例えば大人向けか、子供向けか。いまだとどっちの方向にもできますね。」

「やっぱり子ども向け・・・、あの子たちに向けた話にしたい。」

★やっぱり子どもたちに向けた話にしたい

朝10時から会議を始めて、この時点で14時になっていた。

よかった、これで方向性が定まった。

過去最長のやりとりとなったが、このプロセスを経たことで、
子供向けとはどういうものか」という視点を持つことができた。

子供が3歳と1歳の頃の本棚

改めて家にある絵本棚をざっと見返してみると、

(1) 言語発達を促す本(オノマトペ、繰り返しもの、ことば集 など)
(2) 生活習慣のための本(歯磨き、あいさつ、暦 など)
(3) 身近な社会を知る本(パン屋、学校 など)
(4) 情緒や道徳心の発達を促す本(昔話、名作絵本 など)
(5) 自然科学や化学に触れる本(図鑑 など)
ーーーー
(6) 教育的絵本(遅刻のトラブル、アンガーマネジメント など)
(7) 高学年向けの絵本(社会の理不尽さ、不寛容さ など)
(8) 大人向けの絵本(大人や親の心のわだかまりを癒すもの など)

このような感じになった。

私たちが対象年齢にしているのは、幼児から大きくても小学1年生くらい。

(6)〜(8)は、大人が子供への説教や小言の代替案として、つい手に取ってしまう系統の本だと思う。

我が家でも「ほら、絵本にもこうかいてあるでしょ?」と伝えれば楽だと思って、イヤイヤ期、やるやる期、癇癪を起こして困った時に、特に本棚に増えていった。

ただ絵本越しでも説教感が伝わっているらしく結構嫌がられたので、数回読んだ後は二軍に下がっている。

まてよ、いま作っているのは、こっち系になっていないか・・・?

目指しているのは「あの子たち向け」だったはずなのに・・・。

Kも、私も悩んだ末に、

もう少し子供目線の物語になるような改定案を私の方で一旦作ることになって、その日の会議は終わった。

まだ、正解はわからない。私にできそうな所から手をつけよう。

***

主人公の名前

会議の少し前に、Kからメールが届いていた。

コウモリの名前案
「ロンちゃん(孤独のロンリーから)」「バタタちゃん(羽ばたく音と英語のバットから)」「ピピちゃん(イタリア語のピピスから)」

タイトル案
「『はぐれこうもり ねぐらで ひとり』(シリーズものっぽく。例えば次があったら『はぐれこうもり こうやで ふたり』のような)」

さて、主人公の名前どれがいいだろう。タイトルはシリーズのことまで考えてくれている。

よし、やっぱり子供たちに聞いてみよう。

「はぐれこうもりの 〇〇は きょうも ねぐらで ひとりです」
この一文に全パターン当てはめて試すために、n=2に再び登場してもらった。

「・・・ピ・ピちゃん」「ピ・・・ピ!」「プィピ!」
我が家では「ピ」が好反応だがまだ滑舌が追いつかないようだ。

「Kさん、ピピって反応よかったです。でもちょっとだけ子どもが言いづらいみたいで、間に小さいツをいれて、ピッピって読んでもいいですか・・・?」

「いいですよ〜」

K氏・・・ありがとう。

この時から主人公の名前は、ピッピが採用されている。

* * *

5月

Kの転職活動が本格化したため会議自体は休み。

私の方では、登場人物(動物や植物)たちの設定を整理していた。

設定は秋の夜なので、実際に活動可能な生き物や、コウモリの種類、生態を調べてキャラクター設定表を作っていた。

去年の秋の満月っていつだったんだろう。結構遅いな・・・。
じゃあちょっと南の方じゃないと寒すぎるな。

<舞台設定> 秋の満月の夜(参考:2021.10.20 鹿児島県 霧島市 満月 ハンターズムーン) 気温 22/14 風速 2m/s)
キャラクター設定 むしくん むしくんのママ おおきなき りんごちゃん りんごたち 月

仕事柄、絵本作りの最中アニメーションアプリの画面が頭に浮かぶ。
舞台やキャラクター設定を考える時間は、本当に楽しい。

空想の中で、秋の野原には肌寒い風が吹き、キャラクターたちは自由に動き回り、小学校で自由帳を描ている時のように童心がくすぐられる。

楽しい・・・楽しすぎる

時間を忘れてwordのページを埋めていった。
それを味わえただけでも、この活動の意味は十分にあると思った。

ただ、設定は筆が進んでも、はっきりいって物語の改訂案の方は限界だった。
主人公は、物語を通して何を得たのか、なんだかぼんやりとしてまとまらない。

これまでの会議と自分の頭を整理しながら絵本の目的を書き出す。

<絵本の目的>
孤独感を抱く児童や、過去そうであった大人に共感してもらい、「ピッピの孤独感が解消する」第一歩を絵本の中で追体験してもらう。
複雑な心理描写もできるだけシンプルに、何度も子供に読み聞かせできるように工夫する。

目的も話し合う内に少しボリュームアップしている気がする。
これでは、せっかくのKの思いが消えてしまう。

そうだ、プロの力を借りよう。

事前にKに承諾をとって、Facebookの知人でシナリオライターをしているプロに添削してもらうことになった。

なんとか拙い文章で、「あらすじ」「設定」「絵本の目的」「検証するポイント」「文中の課題点」を書いて送った。

添削という名目でこんな風に「先生に見てもらう」というのは、生徒側としてはなんと気楽なことだろうか。「プロと本業を協業」する時とは違って緊張感を持たなくていい。
堂々と「私、初心者です!」という姿勢でいさせてくれる。

本当に幸せな関係である。
こんなに人を幸せにできるのなら、私も何かを添削できる人になりたい。

6月

そんなこんなで、シナリオライターに添削してもらった文章をKと共有した。

<あらすじ>
ある秋の夜、孤独に生きるコウモリのピッピは、いつものように、えさを探しにねぐらを飛び立ちます。
ところが、森の中で目にするのは、仲良しの虫の親子や、楽しそうなりんごの子供たち。
言葉にできない苦しさに、ピッピは耐え切れずに涙を流してしまいます。
すると、泣き声に返事が聞こえてきて、ピッピは自分が一人ではない事に気が付くのでした。

シナリオライターの添削

クライマックスでは、強制的に叫ばされていたピッピも添削で自然な描写になった。

「かなしい きもちが だんだん だんだん ふくらんで
とうとう こらえきれずに・・・
「さびしいよ〜!」と さけびました
「うえ~~ん うえ~~ん」と なきだしてしまいました」
 
・感情がこらえきれなかった時は、一般的に演出として良いと言われているのは、〝言語〟より〝非言語〟での表現となります。

シナリオライターの添削

あぁ、そっか。ふと思い返すと、泣きながら話すのは女性が多いかもしれない。
失恋した女子学生が半泣きで「も〜意味わかんなあい〜」とか「はあ〜超寂しいんだけどお〜」とか。中高の教室でよく見た光景。
男児は、そんなふうにならないよなあ。

この叫ぶシーンは、下書きの頃に私が提案した内容でずっと入れてくれていたのだが、

添削を見せたら「(実は)僕も、子供の非言語のメッセージを大人が読み取ってあげる、って方がいいなと思っていました!」と言われた。

・・・そうだったのか、穴があったら入りたい。

男児のはずが、なぜここだけ女子高生キャラになってしまったのか・・・。
著者がどんなに主人公になり切ろうとしても、素人故に経験からくる描写を無意識に優先してしまうらしい。

これからは無意識に女子高生が憑依していないか注意しようと思う。

課題だったエンディング部分に関しても、前半に出てくるサブキャラを活かして、ストーリーをまとめてくれた。

・一度出てきたキャラクターを再度、登場させることで「設定」→「変化」というドラマの基本の流れを作ることが出来ます。

シナリオライターの添削

こうして翌月、絵と文章を合わせた下書きを、こんどは、身近な大人に見せて感想をもらうことにした。

(続く)