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保育士ママがこうもりの絵本を作る話(6)
7月
リサーチの方法(1回目)
さっそく出来上がった物語を、第三者に見てもらう。
幸い身内に児童福祉関係者がいたので、zoomでレビューをお願いした。
自分でもできるだけ客観視したかったので、Kの下書きイラストに自分の声を吹き込んだ読み聞かせ風のムービーを準備しておいた。
![](https://assets.st-note.com/img/1664686766178-ODq82lAqur.png?width=1200)
A: 30代女性(母子保護施設勤務経験) / B: 60代女性(養護教諭・定年退職)
この2人に、あらすじを伝えて<絵本のねらい>(※後述)を伏せた状態でストーリーを聞いてもらう。その上で3つの質問に回答してもらった。
うまく物語が書けていれば、その「ねらい」も伝わっていくはずである。
・お話を聞いていかがでしたか?
・誰に感情移入しましたか?
・分からないところはありましたか?
結果から言うと、主に3つの指摘をもらった。
■ 登場人物の多さ
現状のストーリーでは、食べ物を探すピッピが、森で遭遇するサブキャラクターとして、クモの親子、大きな木、りんごの子供たち、という森の生き物たちが登場する。
作り手としては「様々な生き物」がいることにフォーカスした描写だったのだが、読み手としてはノイズに感じたようだ。
■ 違和感
食べ物を探しているピッピが、りんごの子供をかじってケガをさせてしまうという描写があったのだが、そもそもりんごを擬人化したことに違和感があったようだ。
その理由は「読み聞かせ対象の子供たちは、日常生活でりんごを食べ物だと思っているから。」
この指摘については目から鱗で、自分がファンタジーの世界に浸かりすぎていて気がついていなかった。
■ 主人公の成長が分かりにくい
これはピッピが、ある出来事を通じて「ぼくは、ひとりじゃない」という感覚を得るのだが、なぜそう思えることができたのか分からないということだった。
ここは作者が伝えたかった重要なシーンではあるものの、長すぎる物語を削っていく段階で、かなり進行が駆け足になっている部分だった。
そもそも話が煩雑だという評価。
惨敗だが、このフィードバックを貰うための会なのでその点は良かった。
段取りどおり、絵本のねらいを伝える。
<絵本のねらい>
・ 孤独感を抱く児童や、過去そうであった大人に共感してもらい、
「ピッピの孤独感が解消する」第一歩を絵本の中で追体験してもらう。
・ 子供の声を聞ける人と聞けない人がいるということ。
・ 何度も子供に読み聞かせできるように工夫する。
「「あ〜なるほどね!!」」
リサーチ対象の2人も、ここでどんなフィードバックをすればいいか的を射たようだ。
登場人物が謝る、ということ
最終的に、今回のフィードバックの中で最大の論点となったのが、
このnoteでも何度か出てきている、以下のシーンだった。
ピッピが寂しい気持ちを堪えきれずに思わず叫ぶと、そこに救世主のような存在が現れ、「こうもりくんが さびしいっていわなきゃ こうもりくんのこと きづけなかったよ ごめんね」と謝る。
読者の感想としては、
・親コウモリが、子供のコウモリにそれを言うならわかるけど、 救世主的なキャラが「(ピッピの存在に)気づかなかったことをごめんね」というのがよくわからなかった。
・誰かが「罪の意識」を持つという部分が、絵本の登場人物だと気になった。
Kが一番最初に書いた、たたき台の時点から存在したこのシーン。
掘り下げていくと、このシーンはKの中にある社会(=大人)への怒りや失望感が内包されている部分だ。
「孤独な子供たちに対して、現代社会(=大人)は無頓着である。
もしその子の存在に気がついたのであれば、いまここで彼らに謝るべきである。」
そのくらい強いメッセージだと解釈している。
言いたいことは、わかる、わかるよ。
でも(読んでいる)親を、大人を、そんな責めないでほしい。
という気持ちが湧いてくるのも、正直な気持ちだ。
「こんなフィードバックがありました。Kさん、この謝るシーンってどうしましょうか?」
「う〜ん・・・。・・・でも、やっぱり入れたいです」
![](https://assets.st-note.com/img/1664747001922-KhA4MMUCCo.jpg?width=1200)
話し合い。
(1) Kの一番伝えたいメッセージは、ピッピの成長や感動の部分ではなく救世主(社会・大人)からの「ごめんね」だと仮定する。
(2) 一旦「ごめんね」のシーンをクライマックスにした物語を作ってみる。
(3) もし上手く話が書けたとすると、読者の子供は「社会・大人が謝る」というシーンで、感動体験をするはずである。
(4) しかしこの構成で感動できるとすれば、認知発達上で他者の視点が理解できるような(脱中心化している) 8〜12歳頃の小学生である。
(5) 自分で本を読める年齢になっているので、読み聞かせるはずの大人は介在しなくても良い。
(6) Kが伝えたい「ごめんね」は、読み聞かせるはずの大人ではなく小学生が受け取るメッセージになる。
(7) めでたし めでたし?
***
「あれ・・・?確か本の読み聞かせという行為が、小さい子供が寝る前にホッとする瞬間だねって、話し合いをしませんでしたっけ?」
遡る事3月。
Kから、子供に物語を伝えるツールの魅力と、絵本と比較検討したレポートを受け取っていた。
絵本、紙芝居、ヒューマンライブラリー、パネルシアター、エプロンシアター、カルタ、ブックレット。
絵本は、本と読み手の一対一の関係 というより、絵本と読み手と聞き手の三者の関係といわれる。
読み手の声・間、表情を通して絵本の世界がふくらみ、聞き手にとどけられ、 聞き手の反応により読み手を支える。
といった相 互の関係により完結する世界ということである。
( 論文:絵本とは何か -民話・昔話絵本を利用につなげよう- 児玉 孝乃(図書館学)より)
こうしてみると、「保育者・親が子どもに寄り添う」という観点で見れば、やはり絵本が一番しっくりくるのかなと思います。
「僕はやっぱり、あの子たちに読んでもらって、寝る前の少しだけでもホッとしてもらいたいんです。」
「そうでしたよね・・・。」
「読み聞かせもありますけど、小学生向けだとするともっと内容にボリュームが必要かもしれません。」
「確かに。」
「それとフィードバックにある、絵本の中で「誰かが罪の意識を持つのが気になる」ってありましたけど、ちょっとここ掘り下げてみたいです、
以前、こんな楽曲を聞いたことがあるんですが、Kさんご存知ですか?
<般若 / 2018.3.2>
https://www.youtube.com/watch?v=aoNDIeBXFxU 」
「いや!知らないですね。」
「自宅近辺で児童虐待の事件があったことを描いている歌なのですが、このアーティストは身近でそれが起きていると気がつかなかった無念の気持ちも歌っているんです。」
***
私はKに、この曲をきっかけに自分なりに考えたことを伝えた。
・周りが子供の被害状況に気づかない、気づけないということは、隠されているという一面もあり、隠すのは加害者の大人である。
・そんな「加害者を作ってしまう社会」を周りの大人が作ってしまって「ごめんね」と言いたい気持ちは個人的には理解できるが、幼児目線では分からないと思う。
・この楽曲から考えた場合、その加害者、または加害者の周りにいた無関係の社会人に替わり、絵本の登場人物が謝るということ、それがこの絵本で本当にやりたい事なのか確認。
・この物語からは切り離して、大人向けになるかもしれないが別の物語にした方がいいと思う。
***
「すみません、長々話してしまって。Kさん的にはどうですか?」
「うーん・・・確かに、ちょっと難しそうです。もっと子供が楽しんで読める、ワクワクできるものを作っていきたいです。」
「どう改善したらいいかな・・・」
「・・・僕、いまこの話を3人称視点で書いているんですが、1人称視点で書いたらもっと子供の目線になるかもしれないです。」
「おお、確かに!」
「さっそく考え始めてみます!」
こうして、1つ目の突破口を見つけた。