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心理学の上級(ピカソの戦略を真似る)

心理学を学び始めた際に、ピカソの商売上手なやり方に感銘を受けました。

ピカソとはどういう芸術家だったのか簡単に説明すると、ピカソは91歳まで生き、約78年の芸術家人生において、絵画、版画、本の挿絵、彫刻、陶器を合わせると15万点もの作品を作り上げました。
そして、亡くなる際の資産は日本円にして7,500億円も有ったと言います。

ピカソの父も画家でしたが、ピカソが19歳の時にピカソの才能に敗北を感じた父は、ピカソに画材道具一式を譲り、画家を辞めたと言われています。

ピカソの絵というと幾何学的な絵を想像される方も多いと思いますが、元々人物画を描かせると、本物と見分けがつかないくらいの画才を持っています。

ピカソは作品が出来れば、画商を集め展覧会を開き、作品の背景を事細かく説明し、画商同士を競わせて高額で販売しました。

ピカソは絵そのものよりも、絵の背景にある物語に人は惹かれ価値を見出すことを知っており、画商を競わせることで高額で販売できることを理解していたからです。
ピカソは才能が有っただけでなく、自身の価値をお金に換える方法も心得ていたという訳です。

また、儲けるだけでなく、買い物にも天才的な考え方を持っていました。
ピカソは小額の支払いでも小切手を使いました。店主は有名なピカソのサイン入り小切手を換金することなく、店に飾ってピカソご用達の店と披露したり、大切に金庫に保管し、銀行で換金されることなく、タダで購入しています。

こうして、生涯で7,500億円もの資産を残すに至りました。
これは心理学で私がランク付けした、上級者という位置づけになります。

私が技術者だった頃の話に移します。
30歳、技術者として確かに工場や事業所から名指しで声が掛る技術者になっていました。
しかしながら、主に開発を行っている言語はCOBOLという古い言語でした。

このままCOBOLの技術者を続けていて良いものか、上司にオープン系の言語を学びたいと申し入れをしました。

上司は快くVB5.0の初級編3日、応用編2日、計5日間の講習会に参加できるよう調整してくれました。
講習会も終わり、確かに1本だけVBでの開発をさせて頂きましたが、またCOBOLの技術者に戻りました。

折角学んだのにと、自宅のPCにVBの開発環境を作り、参考書を中古本含め大量に購入し、自己研鑽に励みました。

便利なフリーウェアを使用して、不都合を感じれば、自身でどうやって作っているかなど想像して制作してみる。
この機能はどうすれば良いのか分からなければ、また参考書を読み漁る。

これを繰り返し、半年ほど経って自身の能力が如何ほどか実力が知りたいと考えるようになりました。
実力を計るため、当時Vectorと呼ばれる、フリー・シェアウェアの総合サイトがあり、出来た作品を投稿してみました。

しかしながら、一ヶ月後、数十ダウンロードという結果に終わります。
諦めることなく、二作品目も投稿、これも一ヶ月後に同じ結果となってしまいました。

私の実力はこんなものなのか、挫折感を覚えながらも、ふと作品のアイデアを思いつきました。
これは絶対に売れる、しかし今までのやり方では結果は同じになる、ここはピカソの売ってくれる画商を自ら作るしかないと考えました。

考えた策は二段階、まずは一段階目の実施です。
作品が出来て、Vectorに投稿した直後に「まぐまぐ」というメルマガ総合サイトで、フリーウェアの紹介をしているメルマガ編集者を探しました。

その中でも会員数が数千を超える編集者に的を絞り、編集者当てにメールをします。
いつもメルマガを拝読しています、現在、Vectorで〇〇という作品を展開している作者です。

この作品をダウンロードし、評価して頂けた方には、シェアウェア版を抽選で差し上げたい。
この企画を次回のメルマガで配信して頂きたい。

というような案内をし、10名ほどの編集者から面白そうとの返信と快諾を得て、同時期に数万件のメルマガが配信され、一挙にVectorのダウンロードランキングが7位まで浮上しました。

このランキングが浮上するまでの間に、もう一段階の策を用意していました。
CD-ROM付きでソフトウェアの紹介を行っているコンピュータ誌に関してです。

まずは自宅に有ったコンピュータ誌、その後は、色んな本屋をめぐり、知らないコンピュータ誌を見つけては、編集者宛の連絡先をメモしてきました。 買えよと言うのは無しです(笑
その数は10雑誌ほどになります。

そして、ダウンロードランキング7位という実績が出来た瞬間を狙って、メモしておいた雑誌社に一斉にメールしました。
現在Vectorでランキング7位にランキングされている〇〇というソフトの作者です。

使用目的や、使用方法なども記載の上、よろしければ、御誌に掲載をお願いしたいと申し入れをしました。
直後、5雑誌の編集者から掲載しますとの連絡が入り、実際に掲載されました。

自身のHPも作りました、自身のHPでもダウンロード出来るようにし、掲示板も作り、ヘルプデスクのようなHPです。
多いときは1日で5,000PVを超える日も有りました。

その後も作品が出来るたび、編集者宛に連絡をしていましたが、ある時からフリーのライターからも直接連絡が来るようになります。

〇〇誌のライターをしている者です。△△誌のライターも行っており、ぜひ△△誌の方にも掲載をさせて頂けないでしょうか。承諾の有無をご返信ください。

もちろん快く承諾し、その後は編集者だけでなく、ライターにも直接連絡をするようにしました。
特にライターの気持ちになって考えると、自身でインストールし、実際に動かしてみて評価とコメントを考えています。

もし、実際にインストールしたけれど、思ったような内容でなければ、また次を探してを繰り返しているに違いない。

この手間を私が代行すればライターは楽になる、そう推測してライター用のコメントを考えて連絡するようにすると、100%掲載されるようになりました。

ライターと仲良くなると、元々全く評価されてなかった初期の2作品も掲載して良いかと問い合わせも有り、快諾しました。

最初は一作品だけの掲載でしたが、掲載されればされるほどに、一つの雑誌に複数作品の紹介がされるようになり、最大7作品が同時掲載されるということも有りました。

掲載された際の副産物として、掲載の連絡とともにサンプルの雑誌が送られてきました。
毎日ポストを見るのが楽しみで、気が付くと2段の本棚が全て埋まりました。
その数、2年間で200冊という掲載数です。

将来は自作アプリを販売し生計を立てたい、家を買ったら書斎を一部屋作って、その棚を全て私の作品が載った雑誌で埋め尽くしたい。
それが技術者だったときの夢の一つでした。

ピカソから学んだことは、どんなに優れた作品だろうと、人の目に触れなければ無価値であること。
特に日本人は、新製品を提案する際に、良いと感じても、販売実績はと質問されること。
相手の心理も考えて行動すれば、より提案が通りやすいことです。

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