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白黒思考と私
去年不安障害になったが、不安障害を引き起こした考えの偏りがある。
一言でいうと白黒思考である。
この考えの偏りは物心ついた頃から感じていたが、違和感をもちながらも具体的に把握できていなかった。
いつも胸のあたりにモヤモヤがあって、大きくなったり小さくなったりした。
考えの偏りを自覚したのは20歳の頃。
テレビで高校野球の負けたナインの母親へのインタビューを観たことがきっかけだった。
私は親の愛を知らない。
「本当によく頑張ったと思います。私を甲子園に連れてきてくれてありがとうと言いたいです。」
涙ながら話していたが、ウソ泣きに見えた。
「この親、今はこう言ってるけど後で子供を責めるんだろうな。」
「テレビだからまあそう言うよね。」
その2年後に友人が母親になった。
テレビもない、私しか見ていない前で、友人は穏やかに子供と接していた。
子供がやりたいことを見守る。
子供がとろくてもじっと待つ。
絶対だめなことは叱るが、それ以外のことは従わせようとしない。
それは22年経った今も変わらない。
高校時代の彼氏に言われた「晴嘉は家族ってどういうものなのか知らない」という言葉の意味が徐々にわかってきた。
高校野球のインタビューをきっかけに、さらに友人の育児を近くで見ていくにつれて、自分は親の愛を知らないのだと自覚せざるを得なかったのである。
親しくなると高圧的になってしまうこと。
定期的に人間関係をリセットしたくなること。
その全てが親の愛を知らないことによる後遺症だと自覚したのである。
愛されなかった過去を受け入れる。
友人の子供はのびのびと育っていった。
自分の子供だからって何言ってもいいわけない。
影響力が強いからこそ言い方に気をつけないといけない。
私なら絶対従わせようとする場面で、友人は、待ったり導いたりする。
私の辞書に載っていない行動ばかりだ。
友人の子供として生まれたかったと本気で思った。
その考えは自分が正しく愛されなかったことを受け入れることと同義である。
受け入れるのに15年かかった。
愛されなかった子供は、愛されている子供よりも愛に飢えている。
元保護者との決別
元保護者に連絡しなくなって10年経つ。
過去を受け入れ検討した結果、決別することにしたのだ。
なぜなら人は変えられないからだ。
変えられるのは自分の行動だけである。
携帯の番号を変えていないので完全に逃げているわけではないのだが、向こうからも連絡は一切ない。
酷い娘と言いふらしているようだ。
黒だと決めつけ導きはしない。
あの人の辞書に載っている行動であり、残念だが私の辞書にも載っている。
受け入れるまでは本当に苦しかったが、決別を決めた瞬間に感じた爽快感は忘れられない。
ずっと胸のあたりにあったモヤモヤが無くなった。
今もその爽快感は続いている。
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