今日から息子は1歳児クラスに進級。1年前はメソメソしていたわたしだけど、今どう思っているかを残しておこうと思う。 1年前のメソメソ記事はこちら 1年前は本当に寂しかった。まだまだ一緒にいたかった。同じ職場のみなさんは大体1年の育休を取って復帰する。が、わたしは半年足らず。制度としては取ることはできるのに、希望の保育園に途中入園できるかどうかを運に任せることができず、まもなく生後半年というタイミングで預けることを決断した。 1年経ってみて、この選択に後悔はない。結果的にや
我が家の冬はこのノロから始まった。 簡単に時系列でまとめると 12/9(土) am 息子感染 12/9(土) pm わたし感染 12/10(日)pm 両親感染 12/11(月)am 夫感染 大人の症状は2日ほどで落ち着いたが、息子は完全回復まで1週間くらい要した。大人も1週間くらいは怠さ、食欲不振は続いたかな… ことの始まりは12/9の朝食。息子がいつも通り朝ごはんを食べているときに咳をして、その反動もあってか少量の嘔吐。「あら〜お口にパン詰め込みすぎちゃったね〜」
あるとき久々にXを覗いてみると、「子持ち様」に対しての不満が綴られた投稿を見かけた。 わたしはその投稿を読んで、なんとも言えない負の感情がぶわっと湧き上がった。負の感情というのはその投稿者に向けられたものではなく、妊娠してから現在までの自分の行いについて。 その投稿に対してはたくさんの意見があった。否定的な意見もあったが、肯定的な意見も。その肯定的な意見を読みながら、「そうだよな、そりゃ不公平だと思うよな…」と気持ちがずーんとなり、しばらくの間その気持ちを引きずった。 な
訳あって時間ができたので今までの記録を。 復職してからの生活を残しておこうと思ったのに、あっという間に時が過ぎ、まもなく復職後1年を迎える。 「慣らし保育振り返り」という書きかけの下書きが残っていたけど、慣らし保育?1年前の話だぞ… 昨年4月に復帰し、それはそれはもう怒涛の日々の始まりで、てんやわんやな毎日。それでもなるべく楽しく穏やかに過ごすことを心がけて、完璧を求めず、「まあいいか!」「どうにかなる!」と割り切ることも大事だと知った。絶対に効率は悪いけど、夫婦2人で息子
いよいよ明日に迫った入園。 息子の哺乳瓶拒否はなんとか終わり、ミルクを飲んでくれるようになった。 原因はわからず。なんだったのだろう。 せっかくミルクを飲むようになってくれたので、母乳を減らし、ミルク寄りの混合育児を始めた。 すると母乳の出が悪くなった。 そりゃそうだよな〜と納得しつつも寂しさが。 もう母乳を飲ませる機会も残りわずかと思い、毎回噛み締めるように授乳している。 息子よ、今までたくさん飲んでくれてありがとうね。 息子はもうすぐ生後半年。 成長はゆっくりちゃん
保育園入園まで1ヶ月を切りました。 入園説明会へ行き、準備物を揃えて、お名前シールをたんまり買って、母の気持ちもなんとか前向きになりつつあって。 そんなとき、生後5ヶ月の息子が哺乳瓶を拒否するようになりました。 今まで母乳もミルクもどちらも問題なく飲んでいて、なんなら最近はミルク200mlをぺろっと飲んでしまうようになり、今まで使っていた200mlの哺乳瓶から240mlのものに変えんといけんな〜と思っていた矢先の出来事。 あんまりお腹空いてなかったかな?と思い確実に空
タイトルの通りです。 かわいそうなのでしょうか。 妊娠中、1歳になる頃から保育園かな〜なんて考えながら、でもまあ早めに調べておいたほうがいいだろう!ということでなんとなく始めた保活。 すると1歳になる頃の入園(途中入園)は厳しく、1歳4月入園はもっと厳しく、0歳4月で入園させるのが確実ということが発覚。 なんとか1歳まで一緒にいられる手段はないか調べまくりましたが、残念ながらそんな手段はなく。 そっかあ〜生後半年で保育園かあ〜寂しいな〜でも仕方ない。それならせめてこの子にと
妊娠検査薬で陽性が出た日、朝起きた瞬間から「今日は何かおかしい」と思った。 急いで検査薬を買いに行き、検査をするとあっという間に2本線。 ずっとずっと見たかった2本線。 なんとも言い表せない感情がぶわ〜っと湧きあがってきた。 「ありがとう、よろしくね。」とお腹をさすりながら言った。 今まで何箱も購入した検査薬。 真っ白な検査薬を虚しい気持ちでゴミ箱に捨てていたあのときのわたしに言ってあげたい。 「大丈夫だよ、のちに天使が来てくれるよ。」 そしてじわじわとやってきたつわり。
はじめまして。 0歳息子の育児に奮闘中のヒナタと申します。 妊娠中のことや育児のこと、保活のことなどなど、つらつらと書き残したくなりnoteを始めてみました。 どうぞよろしくお願いいたします。 読んでいただきありがとうございました!