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世界のお酒と旅:アイルランド:人類最古のお酒、ミード(蜂蜜酒)

昔、アイルランドで中世の晩餐会を模した夕食に行ったことがある。

場所はアイルランド西部にあるバンラッティ城。夕刻に会場に行くと、そこには小ぶりの正方形の塔の様な建物があった。昔は実際に城として使用されていたそうだ。外には薪に火が灯され、中世の衛兵の服装をした人たちが出迎えてくれた。


バンラッティ城
https://de.wikipedia.org/wiki/Bunratty_Castle#/media/Datei:Bunrattybig.jpg

夕食会場では中世の貴族の衣装を纏った大勢の人々が出迎えてくれた。部屋の奥では中世の音楽を奏でる人がいたり、天井からつるされた頑丈なシャンデリアからは蠟燭を模した照明が薄明るく灯っていたり、雰囲気は抜群に良かった。自分たちの服装を忘れれば、400~500年ほど前にタイムスリップしたかのようだった。

緑のビロードのような布のドレスを着た、まるで中世の女王様の様な方が、我々に「ようこそ」と言いながら飲み物を差し出してくれた。足の着いた小さな金属のカップに入っていたのはお酒で、うっすらと蜂蜜の様な味がする。

これはミード(蜂蜜酒)だろうか。飲み物を出してくれた人に尋ねると、やはりミードだった。軽い甘さと蜂蜜の香りが良く、すっと飲める美味しさだった。普段はお酒を飲まないという人でも、「これは美味しい」といって少しずつ味わっていた。

ミードは中世のアイルランドでは良く飲まれた飲み物で、こうした晩餐会ではウエルカム・ドリンクの様にふるまわれていたのではないか、との説明があった。

その日は、中世のアイルランドの夕食を楽しみながら、中世の音楽や唄を堪能した。

ミードという蜂蜜酒は、人類が最初に口にしたお酒と言う説がある。

当時の人々は狩猟生活を行っていたと推測され、蜜蜂の巣も甘い蜜がある場所として認識していたようだ。その蜜蜂の巣が雨風で壊され、中にあった蜜が露出してしまうことがあったそうだ。

雨の水分を含んだ蜂蜜が巣の上で発酵し、それを飲んだ我々の祖先が気に入った、という説が濃厚なようだ。

発酵に必要な酵母という微生物は自然界にあるもので、植物の表面などに存在している。その酵母が何らかの形で蜂の巣に入り、偶然にも発酵がすすんだものを人類が飲んだようだ。


記録に残る最初のミードは紀元前6500年、中国で記録されている。また、紀元前3000年頃にはエジプトでも盛んに養蜂が行われ、ミードが生産されていたという記録もある。

ヨーロッパで記録に残るミードは紀元前2800-1800年頃で、陶器の中にミードの痕跡が残っていたとされる。これはスコットランドなどでも発見されている。

ミードはアイルランド語で(Miodh)と呼ばれ、これもキリスト教がアイルランドに入ってくる前6世紀の前の時代まで遡ることが出来るそうだ。

古代アイルランドの神族である「トゥアハ・デ・ダナーン」の伝説の中の「リールの子供達」という逸話で、リールという神の娘の一人、フィオンヌアラが、白鳥に姿を変える前に、美味しいミードを飲んだ事を思い出すと言う場面もある。


リールの子供達
https://en.wikipedia.org/wiki/Children_of_Lir#/media/File:John_Duncan_(1924)_Children_of_Lir.jpg

そのアイルランド神族が住んでいたとされるのが「タラの丘」という場所で、歴史的にはアイルランドの上王(High King)の住まいがあった。


ここには「大ミード・ホール」という来客をもてなす非常に大きなバンケットホールがあり、1000人もの客をもてなすことが出来たと言う。来客は、皆大きなメザーと呼ばれる四つの取っ手がついた大きなカップからミードを回し飲みのような形で飲んでいたそうだ。


タラの丘
https://www.discoverboynevalley.ie/boyne-valley-drive/heritage-sites/hill-tara

また、アイルランドの古い風習で、5月1日頃に行われるベルティネという春の到来を祝う祭りでは、タラの丘の上王が諸国の王達や民を招き、大きな薪を囲み、踊りや音楽に興じながらミードを楽しんだそうだ。

アイルランドは古来より養蜂が盛んで、紀元5世紀にはアイルランドに養蜂がもたらされたと言われている。

アイルランドに養蜂をもたらしたアイルランド出身の司祭モドムノは、現在はアイルランドの聖人の一人として数えられている。

モドムノ司祭はアイルランドの由緒ある家の出身で、スコットランドとウェールズの修道院で修業をし、そこで養蜂家としての訓練を受けた。その間、ウェールズの守護聖人である聖デイヴィッドの弟子でもあったと言われる。その後、モドノム司祭はアイルランドに戻り、養蜂を伝えたそうだ。

モドノムがアイルランドに帰還した時の逸話として、アイルランドに戻るモドノムの後を蜜蜂が追いかけてきた、というものがある。故郷に戻ったモドノムは養蜂を続けた。彼は蜂に刺されることがなかったそうで、蜂と会話を交わして怖がらせないようにした、という民話も伝わっている。


この5世紀の頃から、アイルランド語に「蜂」や「蜂の巣」という言葉が出てくるようになったと言われる。

養蜂が伝わったアイルランドでは、ミードの生産が続いた。中世の時代は宮廷などで好まれて飲まれたと言われる。

しかし、十六~十七世紀に入ると、新大陸から砂糖がもたらされた。蜂蜜は砂糖に取って代わられ、これまで蝋燭作りに使用されていた蜜蝋もクジラの油に置き換えられていく。アイルランドの養蜂やミードの生産は次第に衰え、十九世紀には完全に廃れてしまったそうだ。

ミードが大量生産される製品の一つとして復活したのは近年になってからとのことだ。現在では、伝統的なアイルランドの結婚式で、蜂蜜とハーブで香り付けしたミードで乾杯するそうだ。また、結婚式で蜂蜜酒を飲むことから、「ハネムーン」という言葉が生まれた、という説もある。ミードはアイルランドの結婚式の贈り物の一つとしても利用されている。

現在では、アイルランドのスーパーマーケットでもミードを購入することができるそうだ。

一度は廃れてしまった事のあるアイルランドのミード。現在では製造する蔵元もあり、冒頭でご紹介したバンラッティ城の近くでも作られているそうだ。

今回はアイルランドのミードをご紹介したが、歴史の古いお酒であって様々な国で作られていたお酒でもある。旅先で見かけることがあったら、その土地のミードを試してみるのも面白いかもしれない。


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参考文献

Royal Residences in Ancient Ireland: Tara (libraryireland.com)
https://www.libraryireland.com/SocialHistoryAncientIreland/III-XVI-7.php

The History of Mead - Kinsale Mead Co.
https://www.kinsalemeadco.ie/history-of-mead/


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