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短編小説:同窓会

今まで沢山恋をしてきたけれど、学生時代の恋は未だに忘れられない。

正也とは大学のディベートサークルで知り合いすぐに意気投合した。偶然にも同じ埼玉県出身ということでも親近感があった。

商学部にいた正也は賢くて明るくてスポーツ万能。知的な会話が楽しめる彼は、私の自慢だった。

大学同士のディベート大会でも常に優秀な成績を収める正也は、皆が一目を置く存在になった。

正也と一緒に帰りたいがために、本当なら電車一本で行える学校までは、別のルートで電車を乗り継いで通うことにした。サークルのない週末は、夏にはテニス、冬にはスケートと私がこれまで経験したことのない世界を見せてくれた。

大学三年目の時、隙間風が吹いた。

将来は商社に勤めて海外に出てみたいという夢があった正也は、私に外国語を勉強する様に勧めてきた。その頃、私たちは卒業後の将来について話し合うことが多くなっていた。彼は結婚も視野に入れてくれていたようだった。

経済学を専攻していた私には、語学はあまり興味の持てない分野だった。ラジオの語学番組のテキストを揃えてみても、なかなか乗り気がしない。そんな私を見かねて、正也は私が外国に興味を持てるよう、外国の映画や海外から来たお芝居や映画に誘ってくれた。

聞いた事のない舞台。興味も無かった外国映画。頑張って勉強してみようかと思っても、なかなか身が入らなかった。

結局は正也の将来の夢に乗り切れない自分がいた。

正也の将来の夢と私の将来の夢。商社で働いて外国との懸け橋になりたいという夢と、証券会社で働く夢。海外で挑戦したいという正也の夢と、特に海外には興味が無く、このまま日本で暮らしていきたいという私の夢。二つは結局重なり合うことがなかった。

何度も話合い、何度も泣いて、結局私たちは別の道を行くことにした。嫌いで別れたわけではない。私たちはその後も顔を合わせれば喋ったし、良い友人の一人として接した。

卒業後、私は希望した証券会社に入社できた。そして程なくして結婚した。相手は商社に勤める三歳上の人だった。

完全に私の一目惚れだった。

優しい性格に加えてすっと整った顔立ちの雄介は、会った瞬間に私の心を確実に捉えた。

この人が好きだ。そう思ったらもう気持ちにブレーキをかけることが出来なかった。思い切って私からプロポーズをし、受けてくれた時の喜びは今も鮮明に覚えている。

慌ただしく挙式を済ませ、家を借りて、私たちは夫婦になった。

海外勤務が多くなる雄介と話合い、せっかく入ったばかりの証券会社を辞めて、彼について二度の海外駐在を経験した。

どこに行っても、語学をやっておいた方が良いと言う正也の声がずっと耳にこびりついていた。

インドとモロッコ。どちらの国に言っても日本語はおろか英語さえなかなか通じない。片言のヒンズー語やフランス語、ベルベル語などの言葉で暮らす日々。

それでも私たち夫婦は異国での生活を、日本語で暮らせる現地の日本人コミュニティの中でなんとか乗り切った。

日々の生活は片言の現地の言葉でどうにかなっても、日本語で思いっきり喋れて、日本食が簡単に手に入る日本人コミュニティでの生活は心から安堵できるものだった。
現地で雇わなければならないメイドは、日本語が通じる者を必ず使った。時々招かれる大使館でのパーティーでは、こちらのペースに巻き込んで、すべて日本語で押し通した。英語を使うというプレッシャーは強かったが、私は自分のスタンスは変えなかった。

正也は希望していた商社に入った後、自身の希望していたスペイン語圏での勤務を着々と開始した。南米各地を廻り、スペインやメキシコにも長期で駐在したそうだ。人づてに聞いた話では正也はまさにスペイン語圏との仕事のために生まれてきた人だとのことだ。これまでに無い程に生き生きとしていた、とも。

私はなぜ学生時代のあの日、自分がもっと努力しなかったのか自分自身を責めた。これならばもしかしたら正也との未来もあったのではないか。雄介の海外赴任に同行する度に、不謹慎ながらもそう思ってしまった。

私たち夫婦が六年間のモロッコの駐在から日本に戻ってきた後、私は久しぶりに学生時代のサークルの友人から同窓会の誘いを受けた。

「瑞樹の他にも正也君も今メキシコから戻ってきてるんだって。それに涼子ちゃんも北海道勤務から帰ってきてるんだよ。久しぶりに集まれる人が多いからおいでよ」

幹事の道子が明るい声で誘ってくれた。

正也が来る。それだけで私は同窓会に行くことを決めた。もう会わなくなって十年位になるだろうか。彼に会いたい。会って今までの自分を振り返りたい。そんな焦燥にかられた。

同窓会の当日、店が少し分かりにくい所にあるということで、私たちは渋谷の交差点の前で待ち合わせた。十名ほどが集まる予定だった。

時間が少し早かったせいか、交差点周辺は込み合っておらず、旧友達もすぐに見つける事ができた。

久しぶりの再会に話が沸く中で、私はなぜか落ち着かなかった。

服装はちゃんとしてる?このところダイエットをしていたから9号の服が楽に着られる。靴は変なものを履いてきていないだろうか?美容院には行ったばかりだから髪型は大丈夫。鞄も買ったばかりのコーチのバッグ。これなら大丈夫。外国ずれしているとは思われたくない。正也とあったらどんな風に挨拶をしよう?そんなことばかりが頭を駆け巡った。

駅の方を見ると、改札からちょうど正也が出てくるところだった。私たちは大声で正也に呼びかけ、私はちぎれんばかりに腕を振った。

相変わらずすらっとして、チャコールグレーのスーツをスマートに着こなしている。変わらないくしゃっとした笑顔で正也が近づいてくる。私の所に来てくれる。そう思った瞬間、私は正也が自分を見ていない事に気が付いた。

足早に駆け寄ってきた正也は私には目もくれずに通り過ぎると、私の後ろの方に立っていた千春に駆け寄り、親しげに挨拶をした。千春はなぜか正也に丁寧にお辞儀をして、その後も私たちの分からない、二人だけの会話を続けている。

心にちりっと痛みが走った。正也が、私にだけ見せていたあの笑顔。その顔で千春を見ている。千春も正也に親しげに話している。

この二人、そんなに仲が良かったの?私は自分に冷静になるように言い聞かせた。

レストランについて席に着くと、相変わらず正也と千春は隣同士で座り、まだ喋り続けている。幹事の道子曰く、最近、正也と千春が偶然にも一緒に仕事をすることになったという。

電子機器メーカーに勤めている千春は、学生時代はこれと言って目立つ方ではなく、どちらかというと人の後ろをついて回るような大人しい人だった。私たちサークルの面々の様に将来の夢もこれと言ってなさそうで、私はてっきり彼女は卒業後には家事手伝いか何かになるのかと思い込んでいた。

道子が正也に呼びかけた。

「ねえ、そこの二人!最近なんか仕事で会ったんですって?」

「いや、会ったというわけじゃないんだけど、うちで扱っている商品のメーカー側の担当者が千春でね。千春が三羽電機に入社したのは聞いていたんだけれど、まさか俺が担当していた商品を千春が担当しているとは思いもよらなかったよ。メーカーから来たメールを見たら千春の名前があって、もしかして、と思って電話してみたら案の定千春だった」

「こっちは肝を冷やしたよ。初めて担当する商社の方にメールを送ったら、すぐに電話があって、これはもしかしてクレームかな、と思って恐る恐る出たら正也君だった。私、正也君がてっきりまだメキシコかスペインにいると思い込んでいたんだよね」

「仕事で学生時代の関係者につながるって、そうそうないよね。俺も驚いた」

「これからあの商品を売っていただくのだから、こっちも頑張らないと」

楽しそうに仕事の話をする二人を見ていて、私はある感覚に襲われていた。この親しげな雰囲気はただものではない。

また心がちりっと傷んだ。まるで焼けた細い針金を心臓に押し付けられたような痛み。

正也とは結局話せず、私は涼子の北海道での生活の話をぼんやりと聞いていた。正也も千春も遠くに座っているので、二人が何を話しているかよく聞こえない。

隠れ家的なレストランでの珍しい創作料理も、道子が吟味して用意してくれた珍しい食前酒やワインも、すべてが味気なく思われた。

隣にいた梨花が話かけてきた。

「ねえねえ。正也君と千春、昔みたいに元のさやに納まるのかな?」

元のさや?
私は思わず聞き返した。

「あれ、知らなかった?あの二人、しばらく付き合ってたんだよ。学生時代、確か三年生の時だったかな。結局千春がアメリカに留学して、正也もスペインに留学したじゃない?遠距離でどうしても続かなかったみたい」

心臓を刺す針金が太く、さらに熱くなった気がした。

私の知らない所で、正也とあんなに冴えない千春が付き合っていたなんて。ほのかな、ほんのわずかな嫉妬が込み上がってくる。

「二人とも昔から海外志向じゃない?千春も結局留学から帰ってきてすぐにメーカーに入ってから、シンガポールとかオーストラリアに転勤になって、色々忙しくして。なかなか日本にいないから、私オーストラリアに遊びに行ったことがある。すごくちっちゃいワンルームのマンションで、ソファーベッドを出してもらって、夜通し話して」

「あー、私も千春んちに行かせてもらったわ」

涼子も懐かしそうに話だした。

「シンガポールに千春がいた時、屋台に連れてってもらったよ。自宅にも呼んでくれて、やっぱり徹夜でしゃべったよ。千春は大人しいけれど、ここぞという時はこっちの話をよく聞いてくれるし。多分今日も正也君の話の聞き役に回っているんじゃないの?」

「そうかもね。私もよく千春に話を聞いてもらったもんなあ。あれだけ聞き上手だと、ついこっちが話しちゃうんだよね。そういう人がいると落ち着く」

あの野暮ったい千春がそんなに世界を広げていたとは夢にも思わなかった。学生時代はファッションや流行にも疎く、いつも本ばっかり読んでいた千春は、私の眼中になかった。とてもじゃないけれども仕事や、ましてや海外に挑戦するような野心をもっている様には私には見えなかった。

食事が終わり二次会に向かう途中、私は千春に話かけた。上背があり太めの身体。学生時代と同じ重苦しいショートヘア。着ているクリーム色のスーツと茶色のローファーが相変わらずやぼったく見える。

「久しぶり。ねえ、正也と昔付き合ってた、って聞いたんだけど・・・本当?」

「うん。ほんのちょっとだけどね。その半分は遠距離だったし、結局それが原因でフェードアウトしちゃった」

「千春は今ご結婚とかされてるの?」

「ううん。なんだかずっとばたばたしていたから、結婚を考える余裕もなかったし。今は仕事も楽しいから、しばらくは無いだろうな」

「もしかして・・・正也とは?」

「それは無い!無い!私、この間付き合い始めたばかりの人がいるし、さっき正也君が言ってたけど、彼、婚約したんだって。学生時代の二つ下の人だって言ってたよ。」

婚約?

心臓に充てられた熱い針金がさらに太くなり、全身を貫いた気がした。正也が誰かほかの人のものになる。そんなことすら自覚していなかった自分がいたのをまざまざと思い知らされた。

その日の二次会は、ぼんやりとしてあまり記憶に残っていない。ただ、正也の婚約について周りが盛り上がっている事だけは聞こえてきた。

あんなに楽しみにしていたのに、結局正也とは一言も話せなかった。

家に帰ると、雄介が起きて待っていてくれた。

「瑞樹、おかえり。どうだった、楽しかった?」

「うん。皆元気だったよ」

「学生時代の友人ともなかなか会えなかったもんな。お風呂入ってきなよ。明日は休みだし、もう少し飲む?」

「うん」

雄介は優しい。いつも気を使ってくれて、私が夜出かけるのも嫌な顔一つしない。

お風呂から出ると、雄介がビールと缶チューハイを用意して待っていてくれた。

「明日から三連休だもんな。お疲れ様」

そう言って好みのラガービールを美味しそうに飲み干していく。私も自分の好きなグレープフルーツのチューハイの缶を開けた。

「そうそう、明日話そうと思ってたんだけど、待ちきれないから今話していい?」

「うん?何?」

「俺、また海外支店に行く辞令が出そうなんだ」

「また?」

「うん。今度は南アフリカ。行くとなると、今度は長く居ることになりそうなんだ」

「そう・・・どのくらい?」

「六年か八年・・・もしかしたらもっといるかもしれない。今度は副支店長のポジションなんだよ。やるなら腰を据えてやらないといけないからね」

六年か八年。気が遠くなりそうな長い期間だ。

「その間子供ができたりしたら、その子の身の振り方も考えないとね。あちらには日本人用の学校もあるし、日本人コミュニティもあるようだから、何とか日本人として育ててあげた方が良いと思うんだけど・・・どう思う?」

雄介のこの一言に私はすぐに答えられなかった。

「ごめん、やっぱり私疲れているみたい。大事なことだし、明日話していい?」

「いいよ、もちろん。ごめん、こっちも気が利かなかったね。明日、箱根までドライブして、歩きながらでも話そうか」

「うん」

子供。
私と雄介の子供。

心の中が正也の顔で一杯の今は、とても将来の事について話す気が起きなかった。ましてや雄介との子供の事など、今はとても考えられなかった。雄介には悪いと思いつつも、その夜は学生時代の正也の笑顔が瞼の裏に焼き付いて離れなかった。

翌日、私たちは箱根へ車を走らせた。庭園の美しさで有名なホテルで食事をした後、庭の花を眺めながら、来るかもしれない辞令について、私たちは話合った。

「南アフリカはとにかく遠いよ。ヨーロッパで乗り継ぎをしなければならないし、日本までしょっちゅう帰るわけにもいかない。本決まりになったら、ご両親にもよく話しておいた方が良いよね。孫ができても、スカイプで顔を見せてあげることは出来ても、実際に会って遊んでもらったりすることもなかなかできないし」

雄介の話を聞きながら、私は遠い南アフリカの事を考えていた。物理的に正也や千春と離れてしまえば、今感じている心の痛みはすぐに癒えていくのではないだろうか。それに二人とも他の誰かがいるわけだから、あの二人が一緒になることは無い。それを自分に言い聞かせた。

けれども、心の中で、もう一人の私が喚いていた。あの時、外国語を勉強しておこうと正也が言ってくれた時、少しでも真面目に勉強して、正也の言っていることに答えられれば。正也の夢を後押しして、卒業後にしばらく仕事をした後、正也と歩む人生もあったんじゃないかと。

「瑞樹、聞いてる?」

ふと気が付くと、雄介が心配そうにこちらを覗き込んでいる。私はぼんやりとした顔で雄介を見上げた。

「もしかしてまだ疲れているかな。ごめん、昨日が飲み会で、今日はドライブだと休んだ気がしないよね。今日は早く帰ろうか」

「うん・・・」

帰りの道すがら、私たちは言葉が少なかった。正也の事がどうしても忘れられない。そんな自分を責める気にもなれなかった。

家に着くと、雄介が部屋から紙包みを持ってきた。

「ごめん、もっと早くに渡せばよかったんだけど。昨日と今日、タイミングを逃して」

中を覗くと、一本の検査薬が入っていた。私が先日、買い物に行く雄介についでに頼んでおいたものだった。

「いつでもいいから調べておいて」

私はぼんやりした頭のまま、何も考えずにお手洗いに行った。

五分後、検査薬には陽性の反応が出ていた。

鈍器で頭を殴られたかのような感覚に襲われた。私は幾度となくその検査キットを見続けた。どこをどうみても陽性の反応が出ている。

私はショックと混乱でしばらくその場から動けなかった。

いつどのようにして立ち上がったのか覚えていない。私はふわふわとする足を何とか踏み締めて廊下に出た。

検査薬を見せると、雄介は感極まったかのように私を優しく私の肩に手を添えてくれた。

「やっと授かったね。なかなか子供ができなかったけど、これで一安心だ。おめでとう」

赤ちゃんが出来ている。この人の子供を授かっている。

考えてもしないタイミングで妊娠が分かった。

私は混乱した。自分の中に新しい命が宿っている実感が全く無い。

目の前にいる雄介の目が見える。出会った十一年前と変わらない美しい瞳。途端にこれまでに経験したことの無い程のひどい罪悪感に駈られた。

私達は十年間、子供に恵まれなかった。

結婚して二年程経って、おかしいと思い病院を受診した。二人とも子供ができにくい体質だと告げられた。治療を始めたものの、度重なる海外赴任で中断せざるを得なかった。

私は子供を持つのは半ば諦めていたが、雄介は違った。

子供が好きな雄介は、私にプレッシャーにならない程度に、「一人位子供がいても良いよね」と言っていたものだった。

私の目の前で妊娠をこんなに喜んでくれている。それなのに私は正也との未来を夢想していた。

この優しい人を裏切るような事を考えていたなんて。

ショックから徐々に立ち直ってみると、ぼんやりしていた頭が少しずつ晴れていくような気がした。

「時間を見て、実家に連絡しようか。それとも落ち着くまで待った方が良いかな」

雄介は少し興奮気味にしゃべっていた。

気が付くと、私の中の熱い針金がだんだん細く小さくなっていくような気がした。

ちりっという感覚が消えたわけではない。でも、もう引き返せない。

心に空いた穴は、雄介とこの子が埋めてくれる。私の目の前にいる大事な人が忘れさせてくれる。私は心の中で雄介に感謝した。

この人をパパにしてあげる事ができる。十年越しにやっと。

これで正也のことも、過去として忘れなければ。そして雄介の赴任に付いて行けば、また忙しい日々が待ち受けている。現実を見据えなければ。
昨日の同窓会からほんの僅かな間、昔に戻っていた私の中の時計を前に進めよう。昨日の事は早く忘れよう。

正也が千春に向けていたあの笑顔も。

外国語を学ばなかったと後悔していた自分自身も。

どうか、このまま順調に子供が育ってくれますように。そして元気に産まれてきてくれますように。

そしていつの日か、自分の子供を抱いた私が同窓会に行って、笑って正也や千春と顔を合わせる日が来ますように。



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