1年を振り返る
早いもので、前回の投稿から1年弱経ってしまった。
就活であれこれ忙しく動き回り、残った単位を必死に取り、溜まったやりたい事を片っ端からやった。まるで総決算のような1年間だった。
思い返すと就活は中途半端な自己分析とその場凌ぎで作り笑顔の面接、グループワークをするだけのインターンの繰り返しだった。一生懸命頑張ってはいたけど嫌気がさすことが多かった。自分はひねくれているのだろう。
それを見透かされているかのように自分にはなかなか内定が出なかった。先輩や友人が内定と軽々しく言っていたことの凄さにその頃ようやく気づいた。
そんな自分を横目に仲の良い友人はみな素晴らしい結果を早々と出していた。焦りはしたけども本当に自分のことの様に嬉しくて誰かが内定を出すたびに一緒に酒を飲んだ。
酔ってフラフラと帰った次の日に二日酔いの中1人でESを書くのがなんとも言えなく虚しかった。
そんな一喜一憂の生活を繰り返しているうちに就活は終わった。今までもいつもそうだった。最後の最後でなんとかしてしまうのだ。
なんとか希望している企業のうちの1社から内定をもらい就活は終わった。なんで自分があの会社から内定をもらえたのかはよくわからなかった。もっと自信のあった他の企業からは内定をもらえなかったのに。
ネガティヴな気持ちになることが多かったけど、良い経験になったと思う。大した精度ではないけども自分と向き合って考え、様々な企業の様々な立場の人にぶつけることでアウトプットする機会は大変貴重だ。
大学生活はモラトリアムであるとよく言われるが、まさに就活はモラトリアムの最終段階のようであると思う。
どんな人間になりたいか。将来は何をしたいか。夢は。ビジョンは。
今まで目標を曖昧にして選択肢を広げると言い張ってきたツケをここにきて払わされる気分だった。いやごまかしてはないのだ。具体的な目標なんていくら考えても思いつかなかった。
自分はそれらの言葉が本当に苦手で、トラウマであるとも言える。
長男だったこともあり幼い頃から様々な大人に口を揃えて聞かれるたび、大してなりたくもないのに「サッカー選手」と応えた。サッカー自体は好きだったが。
目標を具体的にすることは非常に大切なことで有効な手段であることも知っているが、そう聞かれるのは本当に苦手だ。脅迫されている気分になる。
ただ、選択肢を広げ続けるための努力は昔からストイックに行ってきた。
未来なんて分からないし、柔軟に対応していくにはそうするのが1番だと思ったからだ。やりたいと思ったことに挑戦し続けたいし、好奇心には素直でいたい。幸せな家庭がほしい。ただ、就活でそれを言語化したところでどうしたらいいのか、なんとも言えない難しさがあり苦戦してしまった。
なんだか、本当に悩んだし苦しんだけども就活を通して友人は増えたし仲も深まった。それは本当に素晴らしいことだと思った。自分の人生に興味を持ち、共感、心配してくれる友人がいることがこれから先も頼もしいと心から思えた。
一緒にESを書いたり、愚痴を言ったり、励ましたり、結果を一緒に見たりした時間は人生で忘れることはないだろうと思う。
それに苦労して試行錯誤することは最も成長につながることだ。結局明確な答えや目標はでなかったけども、かなり良い経験になった。
就活は終わったけども残りわずかな大学生活は残っている。モラトリアムの最後、迷ったこと悩んだことにはすべて挑戦して試行錯誤していきたいと思う。
追記:就活生向け記事
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