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愚痴ではない何か

この話は表題の通り決して愚痴などでは無い。
ただ私と、私の妻の日々、日常の出来事を記したものである。


何の話かというと、
妻は「詰め替え」が嫌いだ。
正確には「詰め替える」という作業が嫌いだ。

(ここでいう「詰め替え」とはシャンプーや洗剤のボトル容器に、パウチ容器の製品を投入することである。)

嫌い、という表現が彼女の感情や心情として適当なのかどうか私には分かりかねるのだが、私にはそう見える。

私はというと、ボトル容器の中身が減ってくるとなんだかソワソワしてしまう性分である。
早く詰め替えなければと焦って投入した挙句ボトル容器に入り切らずその日は溢れた大量のシャンプーで髪を洗うという、SDGsが助走をつけてブン殴ってきても可笑しく無い程の愚行を何度もやらかしているような人間であるからして、詰め替え作業自体は苦ではない。
むしろ待ち望んでいると言ってもいい。

それを面倒だと思う妻の気持ちは決して分からないものでは無いのだが、
先日、そこまでかと思うほどの出来事があった。


シャンプーが無くなりそうだ、と妻が言ったので私は薬局で同じシャンプーの詰め替え用製品を購入した。
入浴時に妻のシャンプーのボトルを見ると、確かにあと1〜2日持つかどうかの残量であった。

後から入浴する妻が忘れずに詰め替えを行えるよう、私はご丁寧に詰め替え用パウチを風呂場に置いておいた。

そして翌日、妻はまだ詰め替えを行なっていないようであった。
それは構わないのだが、代わりに私のシャンプーを使用したようであり、ご丁寧にそれが分かるよう場所を移動させてあったのだ。
これはメッセージだ、と感じた。

あなたが私のシャンプーを詰め替えない限り、私はあなたのシャンプーを使い続けますよ。

という意思表示に他ならない。
シャンプーなどの必需品は、消耗品費として毎月お互いに出し合った金額の中で購入しているので、どちらがどちらのシャンプーを使おうが損をする事は無い。

しかし今まで大体揃っていたシャンプーとコンディショナーの詰め替えのタイミングが大幅に狂うのはあまり気持ちのいい事ではない、と思いすぐに妻のシャンプーを詰め替えた。

なんて事は無い数十秒の作業なのだが、おそらく妻の思惑通りに、まんまと押し付けられてしまったのだった。


この話は表題の通り決して愚痴などでは無い。

こんな事で不満を口にしたりするほど、私は器の小さい人間では無い。

ただ、シャンプーの容器がもう少し大きかったら、詰め替えの回数も減るのになあ。
とは思った。

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