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空器官


その人の持っているオーラというか、空気みたいなものって、きっとある。


それはきっと、各々固有のものであるけれど、他人にも伝わるものだと思う。


それはきっと、感情や体調によって、ゆらゆらと、ありもしない形を変えるものだと思う。


私の纏っている空気はきっと、なんか、いつも、少し、ガチャガチャしている。
違法な増築を繰り返された集合住宅のような、勝負が佳境を迎えたジェンガのような、なんだかそんな不安定な感じだと思う。


それはさておき、その人の空気感って、書いた文章にも滲んで見えるものだと思う。


会ったことも話したこともない人なのに、文章を読めばなんとなく、その人柄を推察できるような気さえする。


言葉の選び方、句読点の打ち方や改行の仕方、漢字とひらがなの割合、その他文章から得られるありとあらゆる情報が、その人物と纏う空気を映し出す。


その文章が、どんな感情の時に書かれたものなのかすら分かってしまう、ような気がする。


目に見えない、音も聞こえないのに、人間はどこでその空気を感じとっているのだろうか。
真面目に考えて仕舞えば、これまでの経験やら知識やら、無意識に得た情報から判断しているに過ぎないのだろうけど、それじゃあちょっと面白くない。


今まで見てきた楽しそうな人の話し方や、文章の書き方に似た特徴が見受けられたので、あなたの書いた文章からも楽しそうな印象を受けました。なんて、最近のAIなら簡単にやってのけそうではないか。
感情を感じ取るということに関して、AIに並ばれてしまっては我ら人間の名が廃る。


それでは、空気や雰囲気を感じ取る器官が備わっていると言うのはどうだろうか。
名前はきっと、空器官に違いない。


コイツがどの程度発達しているかで、どれだけ敏感に空気を感じ取れるかが決まるのだ。


脳のどこかにそういう器官があって、相対する他人の言葉や表情を超えたその先にある感情の機微を感じ取っているとしたら。
名前も姿も知らないあなたの文章に閉じ込められた、とうに過ぎ去ってしまった気持ちを感じとっているとしたら。


そんなに素敵な器官があるならば、もっと優しい世界になっていたかもしれないな。
その国の文化や生きてきた環境の違いは、細かな言葉のニュアンスや表現の違いとなって、感情の伝わり方を狂わせてしまう。
やっぱり人間はこれまでの経験や知識から、相手の感情を推し量っているのだろう。


それでもやっぱり、文章から感じられる空気感というものはあると思うし、私のこの感情も文字を通して誰かに伝わるかもしれないというのは、素敵なことだなと思う。


なるべく、柔らかくて優しい文章を書きたいと思っている。この文章もそのつもりで記したのだが、見返してみたらやっぱりなんか、ガチャガチャしている。

AIに見せたら、なんて言うだろうか。

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