人生100年時代じゃなかったんかおい
週末またカロリーマックスだったことを呑気に書こうかな~なんて思っていたら、母からとても悲しい知らせが届いた。
実家の裏にあるお寺の前住職がお亡くなりになったそうだ。
近所で檀家というだけで、別に親戚でも何でもないご住職が亡くなっただけだが、亡くなったことがこんなに悲しい他人はなかなかいないというほどにショックを受けている。
大好きなご住職だったのでお亡くなりになれば悲しむだろうと前々から思っていた。だから折に触れてお元気だと聞いてはホッとしていたが、とうとうその時が来てしまった。
ああ、この前帰った時なんで会いに行かなかったんだろう。姉にその話をしたら、姉は先日後姿を見かけたのに話が出来なかったのを悔やんでいた。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
去年だったか姉がたまたま会った時に、餃子の名前の漢字を聞かれたので教えた、と言っていた。何でかは分からんけどまあ何となく気になったんだろう。気に掛けてくださっていたのが嬉しかった。
赤子時代には寺の境内で離乳食を食べ、境内をヨチヨチと歩いて遊び、母と遊んでいる時にご住職に撮ってもらった写真は今も大切にしている。
補助輪なしの自転車に乗れるようになったのもお寺の境内だった。
近所に公園らしい公園がなかったので境内にお砂場やブランコを作ってくださっていつも近所の子供で賑わっていた。
まるで我が家の庭のような、公園のような、そんなお寺だった。
ふらふら一人で遊びに行ってオヤツを頂き、雪が降るねえと寺の中からおじちゃんと二人で眺めた覚えがある。
春になれば満開の桜が咲き誇り花まつりには大きな真っ白な象の像(象の像)がお出ましし、お釈迦様に甘茶をかけた。夏になればお寺の親戚の子や近所の子が集まって花火をした。秋には銀木犀の良い香りに包まれる境内で稚児行列前に集合写真を撮った。
祖母とお説法を聞きに夜のお寺に行くのが楽しみだった。夜の外出、長時間正座して大人に混じる自分も少し大人びたようで何だかワクワクした。
除夜の鐘を聞きながらああ年が明けるなあと思いながら眠りについた。
私にとってこんなにお寺が身近だったのは家が近いからだけでなく、住職ご夫婦がとても優しかったからだと思う。
境内に【ボールあそびをしてはいけません】と張り紙がしてあるのに友達とボール投げをして遊んで、案の定ガラスを割ってしまったことがある。
二人で謝りにいって、怒られた後「ちゃんと謝れて偉かった」とオヤツをもらったことが忘れられない。誰がどう考えても偉いことなんかないのに、あれは子ども心に情けない思い出だ。
父や祖父母が亡くなった時、こんな人だった、あんなことがあった、と故人との思い出や人となりに触れてお話して頂いたが、他所のお葬式や法事に出ると、一般的な法話や近親者からこんな方だったと聞いた、という話が多く、故人を知って一緒に偲んで頂けるのはとても貴重で有難いことなんだなぁと思った。
私にとってはご住職というより「お寺のおじちゃん」といった感じで、親しみを込め大人になっても「おじちゃーん!」と手を振って駆け寄っては周りの大人たちに窘められたが、おじちゃんは気にすることなく、ああ帰っとったんね!元気にしとるん?と聞いてくれていくつになっても大好きだった。
偉ぶることなくいつも優しくウイットに富んだ方だった。
ああ、悲しい。もう会えないのか。
人は必ず死ぬ。ただしいつどこでどんな形で亡くなるか、その瞬間まで分からない。
特に他人は、何年も前に話したのを最後にそれがお別れになることも少なくはない。
何度経験しても、頭で分かっていても、あの時こうしていれば・・という後悔はなくならない。多分一生そうだろう。
ああ悲しいやら寂しいやら。
次帰ったらお線香を上げさせてもらおう。
きっとご住職は仏様のところへ行かれたんだから悲しむことではないんだと思うが、どうしても現世におる人間は煩悩だらけなので悲しい。
ご住職は恐らく90歳目前といったところ。タイトルの通り100年時代とはいえなかなか100歳まで生きられるものではないんだなあと改めて思う。
最後になったけれど、ご冥福をお祈り申し上げ、南無阿弥陀仏を唱えておわり。
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