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ただの雑記

絶望とか裏切りとか、そういうのに強くなりたかったんだと思う。心はあんまり凸凹していないほうがいい。陶器みたいにつるんとしていて、ハローキティのようにシンプルな方が、要らない感情の「埃」を絡め摂らずに済むと思うから。すべては泣いて寝れなくなるよりも、笑って飛ばせた方がいい。
私は相変わらず愚行を繰り返している。この記事だってゼミの課題を差しおいて打っている。本当は良くない身のこなしをそのままに披露してしまう自分がいて、本当はもっと抑えた方がいいのに、直感が信じられずに大抵反省を繰り返している。

元々、孤独には強かったはずだ。そんな中サブカルチャーは常に一定の面白さで手を伸ばす先にあって、それがよかったんだと今、改めて思う。絶望に強くなりたいと思うし、いつだって裏切られる時のことを考えていたい。

目の前に起こったことを喜んで、ちょっと悲しんで早めに死にたい。阪急線に乗ろうとすると、人身事故で運行復旧の目処が立たずにいた。私たちが何食わぬ顔で息をしているときにも、どこかになんかの理由で死にたい人がいるのだ。今日の人は死ななかったみたいで、後遺症とか残るのかなと手早くまとめられたネットニュースを見ながら私は思った。

世の中にはどうでもいいことをどうでもよくないことにしたい人が一定数いて、私はその逆になりたいと強く願っているし、無関心をどこまでも装い続けたいと思う。


夜通し点いていたテレビは朝までずっと3つの広告を朗らかに、順番に、何度も流し続けた。朝5時になると朝の番組が始まった。テレビで朝の人が喋り始めると、ただそこにあっただけの個別具体的な夜が、もうそこにはなくなっていた。本当はさっきまで信じ込んでいた「夜」なんてどこにもなくて、とめどなくただ時間をドードーと流し続けていただけだったのではないかと、ちょっと気付いてしまった。これはどうしようもない虚だ。

だから私はテレビが嫌いなんだ。所詮、私とかその他大勢の心から湧き上がる感情なんて地球の自転や世界の経済にねじ込んだ、まやかしに過ぎないと自覚させられてしまうから。

今日も、秒針を噛んで喰いしばる。


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