「自転車」・・・実際に聞いた話ともう一つ。
『自転車』
あれは確か、学生ホールでQ子を含めた4、5人で話している時だった。
誰からともなく怖い体験の話題になったんだ。
多分、Q子がいたからだろう。
後輩のQ子は、よく絡まれる。
但し、絡んでくるのは人間ではなく、妖怪・幽霊の類だ。
Q子が引っ越してくると平穏なアパートは事故物件並みに騒がしくなり、
結婚式では花嫁の入場曲になぜかお経が流れて、スタッフが大慌て。
海水浴で海に入ると、必ず足首に人の手の形をしたあざが浮かび上がる。
七不思議が八つにも、九つにもなるというので、きゅうこわ(九怖)からQ子と
呼ばれるようになった。
この時も当然のように、Q子に質問が飛ぶ。
「今までで一番怖かった体験ってどんなの?」
Q子は、まるで聞く覚悟を確かめるように、全員の顔を眺めた。
「怖かったのは、自転車かな。
アタシが駅からアパートに帰ろうとしてる時にね。
急に自転車の荷台が重くなったの。
まるで誰かが上から押さえてるみたいに。
アタシ慌てて途中のコンビニに寄って、しばらく時間を潰したら
元に戻ったの。怖かったわ・・・」
噺を聞いていた全員が少しがっかりしているのが分かった。
九怖(きゅうこわ)のQ子らしくない、ありふれた体験談だ。
その空気を感じ取ったのだろう、Q子は声を低くして話を続けた。
「自転車が重くなるのは序の口で、本当に怖いのは軽くなる時なの」
「え?軽くなったらなんで怖いんだよ?」
その前の不完全燃焼気味の話に対する不満もあった俺は、
思わず強い口調で責めてしまった。
Q子は少し微笑んだ。
「坂道とかで急にペダルが軽くなったりする時があるでしょう。
それは、宙に浮いた悪霊が、自転車の荷台を握って持ち上げてるから。
スカッ。スカッと空回りするように感じるのよ。
そんな時は、絶対に後ろを見ちゃダメよ。
悪霊と目を合わせちゃうからね。
目が合ったらそのまま、向こうの世界に連れていかれちゃうのよ」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「そんな時はね・・・」
そこから先の話を覚えていない。
肝心のところを忘れるなんて、馬鹿だな俺は。
コンビニも見当たらないし、どうしたものか。
何としても思い出すんだ。さもないと向こうの世界に連れていかれてしまう。
この坂を上り始めてから、ずっと自転車の荷台が軽くなった気がするのだ。
時々タイヤが、スカッスカッと空回りしているような感触まである。
早く坂を上り切りたいと焦る気持ちとは裏腹に、
まるで地面との接触が無くなったように、ふわっとした漕ぎごたえなのだ。
おわり