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「絆」・・・実際にあった、不思議な親子の愛情の話。


『絆』


小学校からの盟友で、都内のIT系会社に勤める日野嘉数己は、
「感動屋」だった。

幼いころから、ほんの小さなことでも「ヤバイ」「心が震えた」「泣ける」と口にし、すぐに他人の幸不幸に影響を受けていた。

しかし、そんな日野にはどんなに感動しても絶対に使わない言葉があった。

「絆」だ。

他人との心の結びつきの代表的な表現である「絆」。

誰もが使うその言葉を彼は絶対に使わない。


数年前の大災害の後、
ボランティアや被災者が助け合っている姿をテレビで見ていた時だった。

日野は、私の手を取り、何度も

「良かったな。感動したな。何よりも心が救われるよな」

と繰り返して涙を流した。

ところがテレビから「人々の間に絆を感じます」というセリフが聞こえてきた途端、表情が硬くなり、俺の手を放しテレビに背を向けた。

何か奇妙なものを感じた私は、少し探るように、日野に問いかけてみた。

「こういうのを、人と人との絆って言うのかな?」

すると日野は

「ああ。人間同士の結びつきだな」

と言葉を変えて答えた。

どうやら、心のつながりが嫌いという訳ではない。
「絆」という言葉だけを意図的に避けているようなのだ。


先日、久しぶりに飲む機会があったので、その理由を聞いてみた。

「実は以前、「絆」について考えさせられる出来事があったんだ」

一言ずつ言葉を選びながら日野は答えた。

「途中入社の中国人スタッフで、サイトにあげる日本文の原稿の校正も担当していた優秀なスタッフがいた。
仮に名前を香(シャン)さんとするけど、その香さんがある日、仕事の打ち合わせ中に、お腹に違和感があると言い出したんだ。

それほど苦しいわけではないが、少し痛みもあると言うから、
打ち合わせは先に延ばし、すぐに医者に行かせた」

「それは心配だな。大丈夫だったのか」

「ああ。急性虫垂炎。つまり盲腸だったが、まだそれほど危険な状態ではないということで、手術は二日後になった。
急変の可能性もゼロではないし、事前の検査や準備もあるから大事を取って、そのまま入院すると連絡があった」

「そうか。でも心配かもしれないが、盲腸なら驚くほどじゃない」

「ああ。俺もそう言った。だけどな、その後で香さんが言った言葉、俺は驚いたんだ」

「何? 手術をしたくないとか言い出したのか」

「違う。手術はする。どちらかと言うと前向きに考えていて、
何も心配していない、と言っていた」

「なら良いじゃないか」

「その心配しない理由が驚きなんだ」

「心配しない理由?」

「ああ。彼女はこう言った。『私が盲腸の手術をするとお父さんに電話したら、すぐにお父さんが手術を受けてくれて、先に盲腸を取ったから安心です』ってね」

「何? 父親が先に手術を受けた?」

「そうなんだ。彼女の両親は中国で暮らしているんだが、
診断が出てすぐに親元に電話したらしい。
中国のある地方では、家族が大きな手術を受ける時に、
成功を祈る親や親戚が、先に同じ手術を受ける風習があるって言うんだ」

「そんなことが? 本当なのか、それ?」

俺は聞き返した。日野の言うことが簡単には信じられなかったからだ。

「嘘ついたって仕方ないことだし。本人が言っているんだから間違いないだろう。それに、最近ではあまり見られないけど、昔の日本にも『水垢離(みずごり)』や『お百度参り』みたいな、祈りの方法があるだろう。それと同じさ」

「同じじゃないだろう。健康な親の体を傷つけるんだから」

「勿論、家族の犠牲だけが「絆」の証だとは俺だって思わないよ。
このような風習が、現代も残っていることに驚愕しないか。
まあ。それは置いといて、絆の話だ。
数日経ってから、手術を無事に終えた香さんに俺は言ったんだ、
『お父さんとの絆のおかげだね』ってね」

「そうだな。まさにその通りだ」

「ところが、香さんはあまり良い顔をしないんだ」

「どうして」

「絆という言葉は、元々は飼っている鷹などを、木につないでおく綱の事を指すらしい。
『しがらみや呪縛、という意味がありますから、ちょっと違います。
愛という方が嬉しいです』って『校正』を入れられたんだ。
俺は笑ったよ。『こんな時でも文章の校正は忘れないんだね』って」

私も日野と一緒に笑った。

「さすが、校正までこなすスタッフだな。
でも知らなかったな。『絆』が人の結びつきや助け合いという意味になったのは最近の事だったのか」

「そうらしい。だから俺は、『絆』という言葉を使う時は、
慎重に考え、軽々しく使わないようにしているんだ」

その時から、私も日野に合わせて「絆」という言葉を使わないようにしている。

                       おわり


この話は、実際に私の知り合い(香さん・仮名)から聞いた話を元にしています。
香さんのお父さんは、実際に娘の手術に先立って健康な盲腸を切る手術をしたそうです。
その話をしてくれた時の香さんの涙が、今も忘れられません。
世界には親子の情愛を示す、色々な風習があるんですね。





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