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人はなぜ陰謀論にハマってしまうのか

 今の世の中は、陰謀論に溢れています。

 最近出回った例としては、「新型コロナウイルスは〇〇がわざとバラまいたもの」であるとか、「新型コロナワクチンは〇〇がマイクロチップを埋め込むために作ったもの」などがありますね。

 人はなぜ陰謀論にハマってしまうのでしょうか? 上の主張を荒唐無稽であると笑うのは簡単ですが、多くの人が信じ込んでしまうのも事実です。陰謀論を信じてしまう心理については、心理学や歴史学などさまざまな分野から分析されていますが、ここでは、「陰謀論自体に、あらかじめ陰謀論に対する批判を無効化する力が備わっていること」に絞って説明してみます。

 ここで言う、「あらかじめ批判を無効化する理論が備わっている主張」とは、具体的にはどのようなものでしょうか。 

 例えば、「この世界は、実は五秒前に作られたものである」という主張を考えてみてください。
 これに対しては、「いや、われわれには五秒前よりも前の記憶があるし、この世界には作るのに五秒以上かかる物質で溢れている」という反論がすぐに浮かびます。
 しかし、この反論は、「いや、それは五秒前に世界が作られるときに、われわれの記憶や物質が五秒前より前のものであるかのように見える形で作られたのだ」と、簡単に再反論できます。

 この場合、「この世界は五秒前に作られたものである」という主張は、これに対するあらゆる反論・批判を無効化する理論があらかじめ内包されている、ということになります。

 陰謀論は、基本的にこれと全く同じ構造を備えています。例えば、「世界の実権は中国共産党が握っている」という陰謀論を考えてみてください。
 この陰謀論に基づき、「新型コロナウイルスは共産党によって人工的に作られバラまかれたものだ」という人に、「WHOや種々の研究がはっきり動物由来であると示している」と反論しても、「みな共産党の陰謀で動いているスパイだ」とか、「WHOは共産党の支配下だ」と簡単に再反論されます。これに対して、「先日、WHOの中国入りを共産党は拒否したではないか」と反論すると、またもや「これも共産党の陰謀で、敢えて不仲を演出したのだ」などと再反論されます。
 つまり、陰謀論を唱える人に、その理論に不利なデータや事実を提示したとしても、「そのデータは陰謀で作られたものだ」とか、「そう見られるようにわざと不利な事実を作り出したのだ」といった方法で、簡単に反論されてしまうのです。

 これは、日本語で簡単に言うと「ああ言えばこう言う」状態ですが、ご覧の通り一つ一つの反論全てに対して再反論が用意されているわけですから、もとの陰謀論が誤りであることは証明できていないようにも見えます。しかし、そうはいっても、上のような再反論についてなんだか「ずるい」感覚を覚える方が多いのも事実でしょう。

 この「ずるさ」をどう表現すればいいのか? こんなときこそ、悠久なる「哲学」の知の出番です。これを「科学哲学」(科学に関する哲学)という分野の用語で表現すると、「上のような陰謀論は、反証可能性がない理論である」と一言でまとめることができます。

 「反証可能性」とは、1934年、カール・ポパーという人が唱えた考え方です。実際のところ、ポパーの議論は厳密すぎる面があり、そのまま全ての科学や主張に適用できるわけではありませんが、「科学的主張とは何か」という問題を考える上で、大きな示唆を与えてくれるものでもあります。

 ここでは、伊勢田哲人『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会、2003)をもとに、ポパーの考え方を紹介していきましょう。

 まずは、ポパーの考える「科学」のモデルを見ておきます。

 科学者は実験や観察をする前に仮説を立てなくてはならない。次にその仮説が間違いであることを示すために全力を尽くす。具体的には、その仮説が誤りだと示すのにもっともよい実験や観察を考案し、それを実行する。運よく仮説が反証されたら、どんなふうに反証されたかを参考にして、よりよい仮説を立てることができる。運悪く仮説が反証の試みを生き延びたら、今度こそ反証しようと別の角度からさらなる反証を試みる。仮説を壊し作っては壊しするのである。(p.37)

 上の文章を図に整理したのが以下です。この二つのプロセスを経て、科学は発展するということになります。

①「仮説形成⇒予測⇒予測と観測が一致⇒仮説は生き延びる⇒別の反証を試みる」
②「仮説形成⇒予測⇒予測と観測が不一致⇒反証が成立したので仮説を放棄⇒よりよい仮説の形成⇒前進」

 「反証」を試みること(または他人から反証を受けること)、そして「反証」を受けて仮説を訂正すること、これが科学の営みであるとポパーは考えたわけです。

 ここから、「その理論が反証を受け得るものであるかどうか」によって「科学」と「疑似科学」(科学のようで科学でないもの)の区別を行うのが、「反証主義」の考え方です。反証を受け得る主張は科学的主張、反証される可能性のない主張は非科学的主張、となります。

 ちなみに、ポパー自身が「疑似科学」の例として挙げているのは、フロイト派の精神分析です。伊勢田氏の解説がたいへん分かりやすいので、合わせて掲げておきましょう。

 ポパーは、原理的に反証不可能な仮説は科学的仮説とはいえないと考え、これを科学と疑似科学を分ける基本線とした。ポパーが疑似科学として攻撃した理論の一つであるフロイト派の精神分析を例にとろう。フロイト派の理論では、人間の心を自我、超自我、イドの三つの部分に分ける。われわれが意識する「自我」の背景には巨大な無意識の欲求の領域であるイドが広がるが、その働きは道徳的・社会的行動を強制する超自我によって押さえつけられている。この枠組みの中で、たとえば「Aさんは潜在的な欲望Xを持っている」という仮説を立てたとする。この仮説は反証可能だろうか?もしその欲望を示唆するような行動があればそれは当然この仮説を検証するものとみなされる。もしその欲望を示唆するような行動がまったくなかった場合、それは超自我によってその欲望が抑圧されているからだ、と説明できる。つまり、いかなる人の、いかなる潜在的欲望についての仮説も、検証されてしまう(反証されない)ことが原理的に決まっている。ここでの問題は、フロイト派の理論の中に都合の悪い証拠を説明する機構がすでに組み込まれていることである。したがって、この理論の支持者はどんな経験に直面しても理論を取り下げる必要がないことになる。(p.39)

 フロイト派の精神分析でも同じく、「当初の理論の中に、都合の悪い証拠を説明する機構がすでに組み込まれている」ことが問題とされています。

 誤解されないように申し添えておくと、ポパーは、別に陰謀論を攻撃しようとしたわけではありません。しかし、彼の考え方を使うと、「陰謀論者がよくやる手」を簡単に見抜くことができます。

 では、もう一度、最近Twitterで見かけた陰謀論的な主張の例を見てみましょう。「反証可能性」という考え方を使うと、それぞれの論理のパターンがすぐに見抜けると思います。

①アメリカの国会議事堂襲撃事件は、トランプ反対派が、トランプ氏の株を落とすために敢えて襲撃した。
②愛知県の大村知事リコールの書名において不正票が多かったのは、大村派の勢力が味方を装ってスパイを送り込み、故意に大量の不正署名をした。

 どちらも陰謀論に対して不利な証拠のはずが、「敢えて」「故意に」という魔法の言葉を付けることによって、もっともらしく説明できてしまうわけです。このような論理構造が危険なものであるということを知らないと、うっかり納得してしまうかもしれません

 逆に言えば、一度この理論を(悪い意味で)自家薬籠中のものとしてしまうと、どんな反論を受けても、「魔法の言葉」で納得させられ、誤りに気が付かない、ということになってしまいます。「人はなぜ陰謀論にハマってしまうのか」という問いの答えの一つは、ここにあると思います。

 こうして、百年近く前の哲学者の知恵を借りることで、陰謀論の論理構造を暴くことができました。「哲学」も、なかなか役に立つものではないかと思いませんか?

 ちなみに、「陰謀論」のWikipediaのページは、きっちり専門的に書かれた英語版をもとに翻訳して作られた部分が多くを占めていますから、内容がしっかりしています。上に書いた反証可能性の問題以外にも様々な観点が示されており、「人はなぜ陰謀論にハマってしまうのか」という疑問には他の回答も色々考えられることが分かります。ぜひ、参考に読んでみてください。

 

 


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