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わたしは何者? Gyakkon

ビジネスパーソンとして「最後に勝てばいい」

わたしは何者か?・・・
友人から見ると、「転職の多いヤツ」になっているでしょう。
同僚から見ると、「色々あったヤツ」になっているかもしれません。

正社員として8社。アルバイトとして2社(学生時代のアルバイトは除きます。)を経験してますから、そう思われて当然です。

しかし、ビジネスパーソンとしては、結局のところ、「最後に勝てばいい」わけですから、勝つためにどれだけの戦闘力があるかが重要です。


1.わたしの主な経歴

わたしは、大学卒業後、メーカーA、専門商社A,メーカー・小売A,専門商社B,介護会社A、介護会社B,メーカーC、メーカー商社A、
ディーラ―A、現在Aの順番で転職しました。
「転職」という星のもとに生まれてきたようなキャリア人生です。
それぞれの経験年数を集約するとこんな感じになります。

2.わたしの転職理由

わたしが、もし新卒時にこのキャリアを狙って、あえて転職を繰り返してしたなら、それはそれで、なかなか格好いいと思いますが、もちろんそうではありません。
その理由を並べてみると、なかなかのクズです。
 ①大手量販店バイヤーとの交渉に自信が持てなくて逃げ出した。
 ②買収した投資会社の経営方針により従業員解雇が行われた。
 ③人員削減をする立場に耐えられず、逃げ出した。
 ④親会社の経営方針により従業員解雇が行われた。
 ⑤実際に働いてみて、単価と産出量の限界値、市場の伸びから将来を考え  て離脱した。
 ⑥経営不振による従業員解雇が行われた。
 ⑦親族の権力争いに巻き込まれて干され、耐えられず逃げ出した。

3.わたしの起死回生

わたしがいかにクズであったかお分かりいただけたと思いますが、わたしなりの起死回生もしています。
ⅰ)メーカー商社Aにて、主体的な交渉をすることとなり、交渉に自信が持てるようになり、上記2-①のクズを克服した。
ⅱ)上記2-③は、会社の方向性に合わせられない人に対する措置としての人員削減が主であったが、現職で、該当人材に対し、事前に能動的な方向性是正の動きをとれるようになった。
ⅲ)そして、なによりもメーカー商社Aでの経験が、今のわたしを方向づけるトリガーとなりました。

4.わたしなりの逆襲

(1)きっかけ

メーカー商社Aの前職の会社では、ほぼ倒産に近い中、法的に守られる形で退職となりました。会社都合でしたので、失業保険を受けながら就職活動をしている中で、メーカー商社Aに出会いました。当時、地域でお世話になっていた方に、「社長であった父親が会長になり、弟が新社長になった。弟は、これまでと違い、営業活動に積極的な経営をしていきたいと言っているので、ウチに来ないか?」と誘われました。正直、当時は、それまでの経歴から、安定した職に就きたいと思っていましたので、お断りしましたが、ある日、半ば無理やりその会社に連れて行かれました。その会社がメーカー商社Aです。

(2)出会い

メーカー商社Aで、ご自慢の商品を見せられました。衝撃でした。素材へのこだわり。ものづくりの姿勢。開発の誇り。どれにおいても、商品・会長から一級の匂いがしました。専門商社AとBでアッパー層の商品を扱っていたから嗅ぎ分けることができたかもしれません。
 しかも聞くと、当時、10年以上も売上が変わっていない商品でした。会長も社長も嘆かれていましたが、10年以上というと、リーマンショックの時ですら売上が変らなかったということになります。それだけ強い商品力であることを、わたしは直感しました。

(3)第1の逆襲

それから程なくして、わたしはメーカー商社Aに入社しました。「この商品を世に広めないといけない。」と使命を感じたのです。メーカー商社Aでは、それまで営業経験者がわずかしかいなく、しかも皆、売り方がわからないと言って去って行ったと聞いていました。わたしが入社した時も営業員はおらず、たった1人で一からのスタートでした。それでも、それまで約15年間、営業の世界で生きてきたわたしです。商品力があるだけに、当時は、それほど苦戦するとは思ってもいませんでした。しかし、スタートしてから半年間、全く売れませんでした。営業として自信を無くした程です。それから悩みに悩み、それまでの営業スタイルを一旦捨てることにしました。経験したことの無い、チャネルの特性を持っている業界でした。チャネルの特性に合わせるには、それまでのスタイルでは通用しないと感じたのです。あらゆるチャネルを経験していたからこその直感でした。生まれ変わった気持ちでもう半年頑張ってみて、成果が出なければ辞める覚悟で再スタートしました。
アナログな会社でしたので、10年分の送り状を1枚1枚紐解き、ニーズを突き止めるところから始めました。チャネルの特性から、商品の魅力がもっと伝わるために、ディーラ―の開拓も1から始めました。関西の主要ディーラーはほぼ制覇することができ、単身で乗り込んだ関東でも2大ディーラ―の口座を開設することができ、約7年で入社当時の2.2倍の売上を記録することができました。

(4)挫折

入社当時の2.2倍の売上を記録した時は、わたしは既に社内で大きな影響力を持っていました。若かったこともあり、尖がっていたところもありました。そんな時に、昔、追い出された親族の1人が帰ってきました。会長、社長は、私の知らないところで、わたしが承諾すれば、その親族を復帰させてもいいと言っていたそうです。そんなことはつゆ知らず、過去に起こったことも知らされていなかったわたしは、初対面の態度では見抜けず、復帰を承諾したのです。
追い出されただけの人です。後々知りましたが、クセ強極まりませんでした。社内で影響力を持つわたしが気にいらなかったのでしょう。私の営業戦略は全否定され、しかも、従業員を巻き込み、いつの間にかわたしは孤立していました。今ほど強くなかった私は、孤立に耐えられず、孤立後、わずか4か月で退職をしました。

(5)第2の逆襲

わずか4か月で転落となったわたしでしたが、なによりも気が滅入ったのは、わたしが積み上げてきた成果を否定されたことでした。約20年間、営業の世界で生きてきた自分にとっては、結果が全てと思っていましたので、高い成果を出しながら集団で否定をされたことについてはパニック以外なにものでもありませんでした。これが、経営学を学ぶトリガーとなったのです。
メーカー商社Aを退職してから中小企業診断士のテキストを購入し、企業経営理論から学び始めました。学ぶというよりは、「自分がやってきたことは間違っていたのか?」と答えを求めてテキストを開いていました。
すると自身で悩み、試行錯誤してトライアンドエラーし、成果を出した一連のプロセスが次々とテキストに出てきたのです。逆OJTと言いますか、先に実施しているので、テキストに出てきたロジックを自分のものにするのに、それほど時間はかかりませんでした。これが、今、継続中の、自身の中でロジックと体験を組み合わせる体系化の始まりです。

5.これから

体系化を始めてから早7年が経とうとしています。今年に入り、この体系化を世に残し、社会に還元していきたいと思い始めました。こんな気持ちになるって、きっと年齢のせいでしょうね。
今日も変わらずサラリーマンとして、課題解決と生産性向上に全集中しています。サラリーマンとしては引退前となるであろう10年後には、引退直前で大リーグに挑戦した桑田真澄さんのように、世界最大手の課題解決会社に行くのが今の目標です。メーカー商社A時代に、世界に商品を広めるために始めた英語も10年後引退前の挑戦のために続けています。
昔は、友人に会うと、「また転職したん??」と言われるので、あまり友人に会いたくなかったのですが、「また転職した」からの今の体系化人生です。心が折れることがあっても最後に勝てばいいんです。
引退まで、引退後の人生でこう宣言することを楽しみにしながら、ビジネスパーソンとして今日も課題解決と生産性向上に努め、戦闘力を高めていきます。

「最後に勝てばいい!」


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