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懐かしくてやさしい 現代短歌

最近、小説が読めない。
物語の世界に浸ることがあんなにも楽しくて、わくわくするのだと再認識したはずなのに。積読が机の上で待っているのに、どうも開く気が起きない。


きっとなんとなく気分が沈んでいるせいだ。夏から秋へ移り変わるこの時期、いつも調子を崩してしまう。
浮きつ沈みつしながら仕事へ行き、家に帰り、疲れて眠る。生活するだけでエネルギーを消耗してしまう。
能動的に文庫本の文字を追うよりも、受動的にドラマを眺めていたいし、それすらしんどい日は静かな音楽を流して、じっと目を閉じている。


分厚い小説は読めないけれど、別の世界に連れて行ってくれるものには触れたい。絵でも、詩でも。
そんな中で手にしたのが、現代短歌の歌集だった。岡野大嗣さんの『サイレンと犀』。

岡野さんの短歌は、挿絵を担当されている安福望さんのイラストに惹かれて知った。物語の世界みたいな、淡くてやさしい安福さんの絵がとても好きだ。

安福さんのイラストを眺めるうち、岡野さんの短歌にも惹かれていった。

31文字が無限の世界を見せてくれる。目の前の日常が一瞬遠のく。そして、懐かしい記憶に想いを馳せる。詠み人である岡野さんの記憶を私は知らないはずなのに、なぜか懐かしく感じるのだ。それが不思議。そして、短歌のそういうところが好き。夜の住宅街を歩いているときに、ふんわり漂ってくるお風呂の香りが好きなのだけれど、その感覚に似ている。自分の家とは違う石鹸の香りなのに、なぜか懐かしくなるあの感覚。

いくつか、心に残った歌を挙げてみる。


ここじゃない何処かへ行けばここじゃない何処かがここになるだけだろう

いまの場所でもうすこし踏ん張ろう、そんな気持ちになる歌。


もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい

ああ、わかる。あまりにもしんどいときって、つい死にたい、と思ったりしてしまうことがあるのだけれど、そうじゃないんだよな。今だけ消えていたい。苦しみの山場を超えたあたりで戻ってきたい。そんな感じ。


E席の車窓に海がひろがってそれをAより見ているこころ

新幹線が思い浮かんだ。海や富士山が見える僅かなひととき、E席の人に遠慮しつつ、視線を窓に向けたくなる。海や富士山が、E席の窓いっぱいに広がっているんだろうな、いいなぁ、とちょっと羨ましく思いつつ、つい見てしまう。


そうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出てゆく瞬間がすき

地下鉄って暗いから、ふと地上へ出た瞬間にぱっと明るくなって、これまでが夢だったみたいに世界が切り替わって、思わず顔を上げてしまう。
思い浮かんだのは丸の内線。御茶ノ水あたりで地上に出るとき、車窓から降り注ぐ日差しにいつも顔を上げていたなぁ。


かなしみを遠くはなれて見つめたら意外といける光景だった

今の苦しみがこうだったらいいなぁ、と願っている。些細なことに囚われて苦しかったり悲しかったりするけれど、あとで遠くから見返したとき、必要な時間だったのだと気付けたらいいなぁ。


ここに挙げたのはごく一部。素敵な歌がまだまだたくさんある。
ふとしたときに読み返して、懐かしくてやさしい世界に何度だって浸りたい、と思う。


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