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#あの選択をしたから **破綻の回避**

大学に就職して

俺は、大学時代に研究者になりたいと思った。でもどうすれば良いかはよくわからなかった。会社員ならルートはわかりやすいが、研究者などというのは親戚にもいないので全くわからなかった。とりあえず大学院に進学して、博士号は必要だろうからと、東京の大学院で博士号は何とか取った。しかし、就職口はすぐにあるわけではなかった。半年ほど臨時職員として研究室の仕事を手伝っていたら、運良く地方大学の助手の口があって、すんなり就職した。そして3年ほど経って大学院の頃の教授の紹介で結婚もした。ここまでは、比較的に順調な人生だった。俺はかなり楽観的な性格だから、これがそのまま続くと思っていた。

結婚したら

ところがである、結婚してみたら予想だにしないことが起こり始めた。俺には姉や妹はいなかったので、中学や高校や大学で友達だった女の子というのが普通の女だと思っていた。でも世の中には、そんな普通の人間ばかりではなかった、当然なのだが、、、。


結婚して間もなくだったが、大学から帰宅したら、女房が何か言っている。内容がよくわからないので、詳しく聞いてみると、なんでも俺が浮気をしたので、仕返しをしておいたということらしい。もちろん大学には女の子などほとんどいなかったし、俺は浮気をするようなタイプではなかった。仕返しとは一体何だろうか、俺は洋服ダンスのある部屋に入って思わずゾッとした。俺の洋服ダンスは、左側に鏡のはめ込んだ昔から使っていたもので、右側が扉になっている。この右側の扉が引きちぎられていた。折ったとか壊したとかではなく、蝶番のところから引きちぎられているのである。これは尋常な力では引きちぎれるものではなく、男の俺でも難しいほどだ。何かよっぽど怒りが溜まっていたのだろう。タンスの中を見てさらに驚いた。5つあった背広のうちで3つまでもが、ハサミでめった斬りにしてあるのだ。俺は全く浮気などしていないのに、、、。ただその背広のうちで、八つ裂きにされた三つはデザインが気に入らず、あまり着ていなかった。そこのところはよくわかっているのだと少し安心した。

また、日曜日の朝に目を覚ましたら、仰向けに寝ている俺の真上に女房が馬乗りになっていて、首を絞められている。苦しくて跳ね除けようと焦ったが、真上に馬乗りになっていられるとなかなか跳ね除けられず、苦しさに悶えた。なんとか彼女の攻撃から逃れて、理由を聞くと俺が浮気をしたらしい。毎日が地獄だった。

ある日は、突然包丁を持ってきて突き出す。このまま刺されたら危ないと思うくらいまで近寄ってきたので、俺も覚悟を決めて、「刺すなら、刺せ!」と言った。これで俺の人生も終わりかなとどこかで思ったが、彼女は気がおさまったのか包丁を台所に戻した。

結婚して2、3ヶ月経った頃だろうか、同僚からテニスの練習の帰りに、「お前、ずいぶんやつれたな。」と言われた。「普通、結婚したら少し太ってふくよかになるのになあ。」と言われたのもショックだった。確かに、毎日、家に帰ってからは命の危険と鉢合わせで、心休まる暇もないので仕方ないと思った。それが、顔に出ているとは思わなかった。

船着場

そんな心を紛らすためと彼女が不安定になった時は、ドライブに連れ出すと心が安定するので、夜には近場にドライブに行った。そんな中に、フェリーの船着場があった。昼間行くと、フェリーの客だけではなくて、ハゼ釣りなどをしている人もいて、結構にぎやかなところだった。フェリーは釜山まで行くので結構大きく、その割には船着場は結構お粗末だった。岸壁にフェリーが直接横付けするのに、岸壁には何の柵もなく、車で突っ込んだらそのまま海の底に行ってしまうなあと思った。あの船着場にいったい何回行ったろうか、、。

民生員からの苦情

そうこうしているうちに、民生員から呼び出しを喰らった。なんで民生員から呼び出しを喰らうんだろうと思いながら面会した。話は、女房のアパートでの所業についてであった。このアパートは大学のもので、住人は全て同じ大学関係者という構成だった。お互いあまりトラブルを起こしたくないという自制のために直接は苦情を言いにくかったのだろう。民生員を通しての苦情であった。女房は、昼間、5階のベランダから大声で何かを叫んで水を撒いたり、近所の子供を大声で脅したりしているらしい。昨日は子供をたたいたりして、ついに子供に手を出した。「今日はご主人にその旨申し上げて、奥さんを病院に連れて行って受診させてほしい」、ということだった。確かに女房はかなり正常から外れていたので、俺は次の日に大学を休んで病院に連れて行った。

統合失調症

医者の見立ては、統合失調症ということだった。この病気は、18-19歳くらいで発症し、なかなか良くはならないらしい。それにかなり重症らしい。もちろん統合失調症と言っても軽いものから重いものまであるらしいが、発病してから10年以上経過しており、妄想も激しい。やはりそうかという感じと、このままうまくやっていけないだろうということは明らかになった。

逡巡

俺は、途方に暮れていた。実家に帰って、両親に話すが、あまり上手い解決策があるわけではない。俺は、難しい問題に出くわした時、あまり他人に相談するタイプではなかった。他人に相談しても同じ結論しか出ないだろうと、いつも何処かで思っていたからだろうか?この時も全く同じだった。

とにかく毎日が地獄だったから、早くこの地獄から抜け出したいと思っていた。そんな時に、あのドライブでよく行った船着場のことを思い出した。あすこから突っ込めば、楽になれる。そういう思いが日に日に増していった。迷いながらも、下見に3回も女房を連れて行った。1回目と2回目は、十分可能だと確信した。でもかなり迷いがあった。

俺は研究者になりたくて、長い間、大学や大学院で化学の勉強をしてそれなりに物理化学の世界を理解したような気になっていた。そして今、やっとアカデミックポストを得て、これから自分の知りたい物理化学の世界を自分の意志で切り開いていけるチャンスが目の前に大きく広がっている。これをみすみす自ら捨ててしまうのかという、自問である。それは俺にとっては何とも残念なことであった。

普通、こういう場合は、小説などでは両親の顔が浮かび、先立つ不幸をお許しくださいというようになるらしいが、俺の場合はそれは全くなかった。俺は、親不孝者なのだろう、自分のことの方が未練だった。せっかく研究者になれて、アカデミックポストが得られたのに、自らそれを捨てるのか。

決行前夜

しかし、上手い解決策もないので、明日の晩に船着場に突っ込もうと腹に決めた。この世に未練はたっぷりあるのだが、俺は一度腹に決めるとけっこう落ち着いた。

その晩に、珍しく実家から電話があった。それも珍しく、親父が話があるという。親父は、昔、弁護士を志し、弁護士事務所で働いていた。長野の実家が、大恐慌の煽りを受けて、やっていた銀行や絹糸事業が倒産した。その財産整理のために実家へ帰ったために、結局は弁護士にはなれなかった。しかし、法律にはめっぽう詳しく説得力があった。

親父の話はこうだった。俺の場合は、民法の離婚の対象となるらしい。離婚を要求できるのは、1)配偶者が浮気をした場合、2)配偶者が浪費家で生活が成り立たない場合、3)配偶者のどちらかが、夫婦関係を続けられないしかるべき理由がある場合の3つの場合だそうだ。俺の場合、この第3項に該当するので離婚は可能らしい。

「早まるな!」と言われた。俺は、この親父の言葉ではっとして目が覚めた。そうだ、何も船着場に突っ込んで、無理心中をする必要なんかないんだ。何か急に肩の荷が下りたようだった。

俺は、弁護士にはなれなかった親父を何処かで尊敬していた。親父は法律の勉強を良くしていたから、農地法の改正時に実家の被害を最小で食い止めることができた。だから、実家は今でもあの地方では結構な山と畑の所有している農家だった。自分ではほとんど何も相続しなかったけれど、、、。そんな親父が俺は好きだった。だから、親父の忠告が素直に受け止められたのだと思う。親父が、法律を学んでいなかったら、親父が俺の心を見透かしていなかったら、俺は今頃、あの冷たい船着場の海の底に沈んでいたのだろう。人生とは、本当に微妙なものだ。

その後

その後、俺は離婚して研究者としての道を進んだ。生きていることに感謝しながら、、、。

「はやまるな」オヤジの言葉で救われた 行くはずだった 港の底に 

才なきが 悩みながらも見つけたり 海が割れてく この道を行け


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