語り始める描き始める

最近、描きすぎじゃない? と美沙は不安そうに尋ねる。それはそうだ。そもそも画家として生きて行く僕に、ついて来てくれたこと自体が奇跡なのだ。それが、これまではひと月に一枚で仕事をしていた僕が急に一週間に一枚のペースで描き始めたのだから心配にもなる。枯れてしまうのではないかーー 美沙がそういう風に思うのももっともなことだ。

「描けるときに描けるだけ描くんだ。貯めておいたって、後でまたそのイメージが湧いてくるかどうかなんてわからないからね。人間の記憶や才能ってかなり曖昧なんだ。それに、今、僕の絵は売れてる」
 美沙は、そう、と頷いて今コーヒー淹れるわ、と部屋を出て行った。彼女を心配させないようにするのも僕のもう一つの仕事だった。絵を描いていればいいという訳ではない。経済的にどれくらい彼女を安心させていても、足りない部分はあった。
 僕は主に花の静物を描いた。それは抽象であることも稀にあったが、なんの花かわかるように描くのが僕の描きかたで、クロード・モネほど印象にこだわることはないがスタンスは真似している。ありのまま、僕に見えたままに描く。それを一番初めに美沙に見せるのだ。花屋の娘だった美沙は花言葉にかなり詳しいので、毎度その出来上がった絵画の後ろに花言葉を書き入れてもらうのだ。

カーネーション。熱い愛情。
スターチス。変わらない心。
ゼラニウム。予期せぬ出会い。
アネモネ。信じて待つ心。

美沙は可愛い丸い字を書く。そして普通の花言葉を彼女なりの言葉に変換して書くのだ。その花言葉と僕の絵が絡み合って美しさの滝を登っていく。

カーネーション「あなたのことは決して忘れません。記憶の中で、ずっと、あなたを愛し続けます」
スターチス「素敵な人生でした。あなたのおかげで。生まれ変わったら別の誰かと出会うことにします。あなたを愛するのはあまりにも素敵すぎて息切れしてしまうもの。さよなら」
ゼラニウム「もう一度会えて、嬉しい……。手を、握ってもいいかしら?」
アネモネ「わたしのとこに帰ってくるって信じてたよ、ねえ、二人でカイツブリを見に行こう? あの子、泳ぐのがとっても上手なの。見たことある? 」

描きすぎなんてことはないんだ。才能と花は一緒だ。ある日急に咲いて、咲いて、咲いたら、あとは枯れて、もう二度と咲くことはないのだ。窓の外の金木犀の香りと反対側にあるドアから漂うコーヒーの香りが僕の目の前で渦巻く、渦巻く。

「美沙、今度のは、リナリアだよ」
「この恋に、気づいて」

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