宮子あずさ(看護師&コラムニスト)

1963年東京生まれ。1987年から看護師。東京厚生年金病院(現JCHO東京新宿メディ…

宮子あずさ(看護師&コラムニスト)

1963年東京生まれ。1987年から看護師。東京厚生年金病院(現JCHO東京新宿メディカルセンター)に22年間勤務(内科、精神科、緩和ケア病棟)。看護師長歴7年。2009年から精神科病院に勤務。現在慢性期閉鎖病棟に所属。博士(看護学、東京女子医科大学)。

マガジン

  • 猫のぐぅ吉と腎不全

    猫の腎不全について、経過や治療の知識をお伝えしています。猫は腎臓を悪くしやすい動物ですが、飼い主にできることはたくさんあります。飼い猫と長く生きていきたいと願う、全ての猫飼いさんに届きますように。

  • 看護師を長く続けてわかること

    看護師を37年続けてわかったいくつかの大切なこと。およそ月に2回のペースで書いていこうと思います。

最近の記事

11. 動物の死・人間の死Ⅰ〜猫の死は、シンプルに悲しい

初めての飼い猫どん私は高校時代に友人から子猫をもらい受け、以来、独り立ちした後の1年程度を除いては、常に猫を飼っていました。 子猫は雄猫で、つけた名前は「どん」。当時親しかった友人の一人が同じ名前の猫を飼っていて、なんとなくいいな、と思っていたので。ちゃっかりいただいてしまったのです。 当時はオカメインコ・スージーがいたので、どんは私の部屋に閉じ込めて飼うことになっていました。スージーはメス。名前は幼い頃からのアイドル、スージー・クアトロのスージーです。 スージーは母に

    • 10. 臨床を離れたら、きっとわからなくなることⅢ〜臭くても顔に出さない、看護の基本

      ヘンな医師の名言私が1984(昭和59)年に入学した東京厚生年金看護専門学校(現在はJCHO東京新宿メディカルセンター附属看護専門学校)には、実習病院である東京厚生年金病院から、臨床医が疾患についての科目を教えに来ていました。 その授業の中で、ある医師が授業中に言った一言を、私は今も大切にしています。 それは、「医者も看護婦も、臭い時に臭いと顔に出しては絶対にいけない。鼻をつまむなど許されない」との言葉。授業の態度も内容もかなりヘンな男性医師でしたが、その一言だけは、妙に

      • 9. 臨床を離れたら、きっとわからなくなることⅡ〜誰が悪くなくても悲しいことは起きる

        救命できなかった若い女性私がまだ20代の頃、内科病棟でオオムラさん(仮名)という、21歳の女性の死を見送りました。幼い頃両親が離婚し、母親が女手ひとつで育てられたとのこと。きょうだいはなく、そばに付き添うのは母親ひとりでした。 母親曰く、オオムラさんは、短大を卒業して就職し、毎日が本当に楽しくてたまらない。そんな日々を送っていたそうです。 そんなある日、オオムラさんは、突然40度以上の高熱が出てしまいます。症状は頭痛程度。ちょうど仕事が忙しく、2日間は解熱剤を飲んで出勤し

        • 8.臨床を離れたら、きっとわからなくなることⅠ〜腰が抜けるようながっかり感

          「まあまあですね」はいい答え訪問看護の仕事を始めたばかりの頃、病院のデイケアに長く通っている50代の男性・ササキさんの家を何度も訪問しました。 ササキさんは小学生の終わり頃から人と関わるのが怖くなり、中学校はほとんど行かなかったそうです。それでも教育熱心だった両親は、家で勉強をさせ、通信制の高校を卒業しています。 その両親もササキさんが40代の時に相次いで死去。きょうだいもいないササキさんは、両親が残した家に住み、平日はデイケアに通いながら、変化のない生活を送っていました

        11. 動物の死・人間の死Ⅰ〜猫の死は、シンプルに悲しい

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        • 猫のぐぅ吉と腎不全
          6本
        • 看護師を長く続けてわかること
          12本

        記事

          7. いつもじゃないけど、看護は自分との闘いⅢ〜その人の前で私は妻だった

          モンブランの思い出ある日、街中で交わした夫との会話。 私「ケーキって、こんなに高かったっけ〜」 夫「そんなもんじゃないの」 私「ほらほら、見てないでしょ〜。自分が興味ないからさ〜」 夫「いやいやいや」 私「あのさ〜、何?いやいやいや、って。興味あるの、ないの?」 夫「ない」 こんな他愛もない会話に大笑いできるのは、とても幸せなことだと思います。 この時目にしたケーキの中に、見事なモンブランがありました。まもなく季節は夏に。私の脳裏に、「栗は秋。秋はモンブランが美味しいん

          7. いつもじゃないけど、看護は自分との闘いⅢ〜その人の前で私は妻だった

          6.いつもじゃないけど、看護は自分との闘いII〜考え抜いたか自分に問う

          看護学生との関わりを通して今日は私が卒業した看護専門学校行き、精神科看護の授業を行ってきました。授業、そしてその準備を通して、私自身が学生に何を伝えたいのかが明確になります。人に教えることは、教える側にとっても、大きな実りがあり、こうした機会をもらえることに、心から感謝しています。 私が卒業した1987年から37年が経ち、私が通った当時とは、実習病院も学校も、名前が変わりました。当時はそれぞれ東京厚生年金病院と東京厚生年金看護専門学校。今は病院名がJCHO(地域医療評価推進

          6.いつもじゃないけど、看護は自分との闘いII〜考え抜いたか自分に問う

          5.いつもじゃないけど、看護は自分との闘いⅠ〜積年の恨みに行き当たる

          看護は自分と向き合う機会でもある看護は患者さんあってこその看護であり、常に患者さんが中心であってほしいと思います。なかなか理想通りには行きませんが、この基本は忘れたくないものです。 一方で、看護は自分自身の感情や信念、こだわりを再発見する、自分と向き合う機会でもあります。そして、その感情や信念が、目の前にいる患者さんを受け入れがたくしてしまう。そんな困難に直面することがあります。 自分をなだめすかし、自分の限界を乗り越えながら行う看護は、さながら自分との闘い。今回は、そんな自

          5.いつもじゃないけど、看護は自分との闘いⅠ〜積年の恨みに行き当たる

          4. 病気は運。そう考えることにしたⅡ〜病気はバツやバチではない

          父は運のいい糖尿病オオタさんの死は、予想以上に大きな衝撃だったと言えます。「あんなに努力をしても報われないなんて……」。そう思うと、自分の努力まで否定されるような気持ちになりました。 その後も内科病棟には、糖尿病の患者さんが入院しましたが、その経過は、オオタさんよりはるかにましに見えました。 40代以降に発症し、多少食事に気をつければ、70代以降もそこそこ元気に暮らせる。そんな経過の人も、たくさんいたのです。 身近なところでは、私の父・宮子勝治(1927〜2000年)も

          4. 病気は運。そう考えることにしたⅡ〜病気はバツやバチではない

          3. 病気は運。そう考えることにしたⅠ〜オオタさんの完璧だった食事療法

          1日4回の血糖測定内科病棟で働き出したのは、24歳になる年です。当時はなんでも慣れて覚えろ、の時代。注射や採血などの、侵襲的な(平たくいえば、人の体を傷つけて行う)医療処置についても、一度は見学、次から実施が当たり前でした。 不器用だった私は、1つの技術を身につけるにも、かなりの時間を要しました。だから、採血が難しかった人や、回数が多かった人については、うまくできなかった申し訳なさと主に、記憶に刻まれています。 1日に4回定期的な血糖測定の指示が出ていたオオタさん(仮名/

          3. 病気は運。そう考えることにしたⅠ〜オオタさんの完璧だった食事療法

          2. 病気になるのは、それだけで本当に大変なことⅡ~看護師のキャリアによって、病気の見え方が決まる

          初めての有料記事配信にあたってNoteマガジン<看護師を長く続けてわかること>の記事も今回で3本目となります。今回から初めて有料設定をしますが、書きながらドキドキ。私自身が有料記事って買い方がよく分からず、敬遠してしまうので………。 そんな方が困らないよう、無料部分で概要が掴めるよう、設定しておきます。そして、いずれすべての文章を1冊にまとめてお届けできるよう、がんばります! 慢性疾患と急性疾患「病気になるのは、それだけで本当に大変なこと」。私がそのように言う時の「病

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          2. 病気になるのは、それだけで本当に大変なことⅡ~看護師のキャリアによって、病気の見え方が決まる

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          1. 病気になるのは、それだけで本当に大変なこと(Ⅰ)~17歳で発病した2人の患者さん

          「ただの病気」と「死ぬ病気」看護師として38年目の春を精神科病院の慢性期閉鎖病棟で迎えています。ここで私が日々痛切に感じているのは、長く患うことの大変さ。これに尽きます。 看護師になって9年間、私は内科病棟でたくさんの亡くなる人と関わってきました。この時期、私に強い印象を残したのは、ほとんどが亡くなった患者さんです。人が死ぬ、という事実はあまりにも衝撃的で、その他のことが霞んでしまったほどでした。 その後精神科病棟に異動すると、しばらく人が亡くならない日々が続きました。正

          1. 病気になるのは、それだけで本当に大変なこと(Ⅰ)~17歳で発病した2人の患者さん

          前口上~できることよりわかること

          ウェブ連載始めます今年に入り、株式会社デコの編集者の方から、看護師として働き続けてきたからこそわかったこと、というテーマで、まとまった文章を書かないかとお誘いをいただきました。 デコは、年に4回、調剤薬局などに置かれるフリーペーパー「からころ」を出しています。私は、2006年にスタートした「入院生活の基礎知識」という連載記事からのお付き合い。編集者の方からの質問を受け、その回答をまとめていただく仕事でした。 その連載も終わり、現在の連載はコラム。執筆前に編集者と対話をしな

          前口上~できることよりわかること

          腎不全の猫と長く生きるために(6)

          10年皮下補液をしていても、まだ腎機能は維持できているぐう吉。それでも、18歳のぐう吉は人間の年齢にすれば90歳近く、最晩年になっているのは確かです。 この連載の最後は、いつか来るその日に、日々備えている。そんな私たち夫婦の覚悟を書いて締める予定でした。 ところが……….。 ▲2019年7月20日12時09分。 大好きなベッドで撮った、この世での最後の写真になりました 突然のお別れ穏やかに過ごしていたぐう吉でしたが、突如状態が急変し、あっという間にこの世から去ってしまいま

          腎不全の猫と長く生きるために(6)

          腎不全の猫と長く生きるために(5)

          ▲夜は必ずニンゲンの枕で寝ます。 目が見えなくなって、前よりも人にくっつくことが増えたように思います。 およそ1ヶ月に1回掲載してきたこの連載も、今回を含め、あと2回でとりあえず一区切りです。今回は、慢性腎不全の治療について、今後の展望も含めてお話します。 猫の慢性腎不全:最新情報最近、猫に関する書籍をたくさん目にするようになりました。長寿猫の健康や暮らしに特化した本や、見送った後の悲しみ(いわゆる「ペットロス」)に備える本まで。それぞれに専門家が執筆していて、頼りに

          腎不全の猫と長く生きるために(5)

          腎不全の猫と長く生きるために(4)

          今回は私が家で行っている皮下補液の実際について、詳しくお話します。 点滴方式+加圧バッグ私がぐう吉の在宅皮下補液を始めたのは2009年の8月からでした。皮下補液は、静脈に針を刺す静脈注射とは違い、皮下に刺すので、慣れれば誰にでもできます。 皮下補液にはいくつかの方法があり、私が使っているのは、ソルラクトという水分補給を目的にした薬液500ccに、輸液チューブと翼状針(21G)を繋ぎ(写真1)、点滴をする方法です。これは獣医さんによっておすすめの方法が違うようで、注射器を使っ

          腎不全の猫と長く生きるために(4)

          腎不全の猫と長く生きるために(3)

          今回のテーマは、ぐう吉の食事です。食欲があまりないぐう吉は、すぐにフードに飽きてしまいます。腎不全食を続けるための工夫をご紹介します。 また、目の見えないぐう吉の生活は、このひと月の間にも変化がありました。まずはそんな近況報告から……..。 さらなる視力低下ぐう吉の視力低下がわかって、2ヶ月半が過ぎました。1月に動物病院を受診した際の見立ては、「左眼の網膜が完全に剥離し、右眼も剥離しかけている」というもの。その後、この1ヶ月の間に右眼の剥離も進み、完全に見えなくなったようで

          腎不全の猫と長く生きるために(3)