6.いつもじゃないけど、看護は自分との闘いII〜考え抜いたか自分に問う
看護学生との関わりを通して
今日は私が卒業した看護専門学校行き、精神科看護の授業を行ってきました。授業、そしてその準備を通して、私自身が学生に何を伝えたいのかが明確になります。人に教えることは、教える側にとっても、大きな実りがあり、こうした機会をもらえることに、心から感謝しています。
私が卒業した1987年から37年が経ち、私が通った当時とは、実習病院も学校も、名前が変わりました。当時はそれぞれ東京厚生年金病院と東京厚生年金看護専門学校。今は病院名がJCHO(地域医療評価推進機構/ジェイコー)東京新宿メディカルセンターに変わり、学校はその附属看護専門学校になっています。
校舎も移転し、以前より病院がうんと近くなりました。学校で実習服に着替え、そのまま病院にも行けるようになったのは、とても楽そう。実習が始まる前は、病院の学生用ロッカーに実習服その他を持っていかなければならなかったのが、懐かしく思い出されました。
授業は90分授業を14コマ。1日2コマずつ、7日間で終了です。5月から、ほぼ毎週火曜に通った授業も、いよいよ今日で終わりです。
授業は、カリキュラム上求められる内容を網羅しつつ、折々に私が経験した事例を多く盛り込みました。いざ語ってみると、あれで良かったのかと考えてしまう事例も少なくありません。
そして、私が学生に伝えたいのは、まさにこうしたこと。ああでもない、こうでもないと考え続けるプロセスこそが、看護なんだということなんです。
居宅支援を拒んだヨシハラさん
最後の授業は、訪問看護の話を中心に行い、とことん拒絶的だったヨシハラさん(仮名)の話をしました。ヨシハラさんは70代。若い頃からの統合失調症に加え、60代から重症の慢性肺気腫を患い、在宅酸素療法を行っていた方です。
ちなみに、精神疾患を抱える高齢者の中には、ヘビースモーカーが多く、慢性肺気腫が問題になる人は珍しくありません。慢性肺気腫は、長い時間をかけて肺機能が低下し、進行すれば在宅酸素療法が必要になります。
40代までのヨシハラさんは激しい妄想が収まらず、入退院を繰り返していました。妄想から逃れようとして依存したアルコールで、さらに事態は悪化。傷害事件や窃盗などの前科もあります。
精神状態が落ち着いたのは、いわゆる晩期寛解と言われる、加齢による精神症状の改善に加え、慢性肺気腫による呼吸不全から、活力が失われたこともありそうでした。
精神科での入院中、肺炎による一時的な呼吸機能の悪化から、身体科の病院に転送にもなっています。そこで在宅酸素療法が必要と判断され、精神科病院に戻って以降も酸素が手放せなくなりました。
ヨシハラさんが在宅酸素療法を行いながら自宅で生活するのは、かなり難しい。看護師を含めた支援者は、そう考えていました。しかし、本人の退院希望は非常に強く、ホームヘルパーや訪問看護などの居宅支援をがっちり入れて、退院が決まったのです。
ところが、退院してまもなく、ヨシハラさんはホームヘルパーも訪問看護も、拒否するようになりました。電話をしても、「来るな」と一言。行っても、部屋のドアは開けてもらえません。
それでもなんとか安否が確認できたのは、宅配弁当のおかげです。宅配弁当は、本人の応答がなければ、ドアノブに引っ掛けておく、いわゆる置き配。それがなくなっていれば、本人が自室に持ち込んで食べたことが推測されたのです。
危険な在宅酸素
ヨシハラさんの強い拒否は、妄想の影響もあり、「外からくる人間は悪魔」「みんなが俺を殺そうとする」と激昂する声が室内から度々聴かれました。
若い頃に比べれば暴れる力もありません。しかし、ドアの鍵をかけ、支援者を入れてku
れなければ、支援はできないのです。
何回かに一回ヘルパーが部屋に入ると、宅配弁当の空き容器に残った食べ物が腐敗。悪臭を放つ状況でした。
また、ある日訪問看護が部屋に入ってみると、在宅酸素の機械は、作動に問題はなかったものの、危うい点がいくつも見つかりました。室内を動き回れるように長く伸ばしたチューブは、上にものが乗っていたのか、一部が潰れています。
さらには、退院にあたってやめたはずの喫煙が再開しており、吸った跡がありました。酸素のそばで火を使うことは、まさに自殺行為というほかありません。
私物の取り扱いには、全て本人の承諾を得てから対応しますが、残り少ないタバコとライターだけは、緊急避難的に看護師が持ち帰り、保管することにしました。
このように、拒否されている中でも、何度かは訪問でき、危険な状況が回避できたのは、不幸中の幸いだったと言えるでしょう。
ヨシハラさんの願いとは
ヨシハラさんの呼吸不全は徐々に進んでおり、息切れで動けなくなってきていました。酸素を吸っていても、酸素飽和度は徐々に低下していきます。こちらから見れば、在宅での生活は危険と隣り合わせ。けれどもヨシハラさん自身は、満足しているように見えました。
たまたま訪問看護を受け入れてくれた時、ヨシハラさんに「退院して良かったですか?」と聞いたことがあります。この時ヨシハラさんは苦しそうにベッドに横になり、私は散乱したゴミを片付けながら、反応を見ながら、彼に声をかけていました。
「そりゃ、家がいいよ。1人になれるから」。それがヨシハラさんの答えでした。
病歴を見ると、中学を卒業して町工場で働き出したヨシハラさんは、人との関わりがうまくいかず、その頃から幻聴が始まっていたようです。
実際に聞こえる人の声が、実際より大きく不快に、かつ恐ろしい内容に聞こえてしまう。病歴からは、そんなタイプの幻聴に苦しんでいた経過がうかがえます。
そんなヨシハラさんにとって、人の声が常に聞こえる病院は、決して快適な環境ではなかったのでしょう。身体のことを考えれば、一度入院して十分な身体的休息をとってほしい。けれども、ヨシハラさんは、自分が長く暮らした部屋から離れたくないと思っているのは明らかでした。
「死んでないか、死んでないか、見に来るな!」
その後ヨシハラさんの体調はさらに悪くなり、私たちを拒否する元気も薄れたように見えました。それでも、入院は絶対にしたくないとの意思は固く、ヨシハラさんの気持ちは変わりません。そのため、ケアマネを中心に話し合い、訪問診療を受けながら、最後まで家で見る方向が定まりました。
この時期になると、訪問看護とホームヘルパーが交代で、毎日誰かが部屋を訪れる予定が組まれました。ヨシハラさんの「人をなるべく家に入れたくない」という気持ちも尊重。ヘルパーは一度の滞在時間は、必要最小限とし、短く留めました。
しかし、この体制に組み直して間も無く、ヨシハラさんの家を訪問しようと電話をかけると、「今日は来ないでくれ」と電話を切られてしまいました。この頃になると、酸素飽和度もかなり低く、全身状態も心配です。
顔だけでも見たいと思い、部屋を訪れ、呼び鈴を鳴らしても、ヨシハラさんは出てきません。何度か呼び鈴を鳴らすと、鍵のかかったドアの向こうから、ヨシハラさんの怒声が聞こえてきました。「死んでないか、死んでないか、見にくるな!」。
この言葉は、ものすごく私の気持ちに刺さりました。そう、そうなんです。私たち支援者は、彼が亡くなった時に、なるべく早く見つけられるように。そんな気持ちがあった事実は否定できません。
支援者としては、確実に死が迫っているヨシハラさんに対して、何もしないのは出来ない相談でした。しかし、ヨシハラさんは、なるべく関わってほしくないと言う。悩みながら私たちが出した結論が、毎日短い時間でも、誰かが様子を見に訪問する。そんなやり方だったのです。
しかし、ヨシムラさんにとっては、これは余計なお世話でしかなかったのでしょう。この訪問の翌日、ヨシムラさんは自宅で死去。見つけたのは、ヘルパーさんで、応答がないため、たまたま開いていた掃き出し窓から家に入り、ヨシムラさんを発見しました。
考え抜いたと言えるのか
学生にヨシハラさんの話をしたのは、こちらがよかれと思うケアを全て提供できるわけではない。そんな話をしたかったからです。そうした場合、できないことは諦め、できることをするしかないわけですが、そのいわば退却のプロセスで、どれだけ考え抜いたのか。そこが問われると考えます。
家の中だって、ほこりだらけでは、肺にもよくないし、酸素濃縮器のフィルターだって、詰まりやすくなります。こうした環境のメンテナンスは、患者さんの健康を大きく左右する。簡単に「嫌がるならやらない」で済む話ではありません。
以前看護学生の実習に関わっていた時、「やりたいのにできない」相談をよく受けました。「身体を拭こうと言っても、嫌だというのです」「ベッドの上を片付けようと言っても、受け入れてくれません」などなど。そのほとんどは、確かに必要なことばかりでした。
どうしても勧めに応じてもらえない時、私は学生に話しました。「あなたの言うことは正論だし、私もやった方がいいと思う。でも、今はどうしてもいやだと言っていて、今すぐ命に関わる話では、確かにないんだよね。だから、何が何でも無理にやらなければならないことでもない。だから、無理はしなくていいと思います。ただ、やらないと決める時は、やると決める時の3倍考えて。安易に諦める看護師にはならないでほしい」。
ヨシハラさんについても、私は学生に同じことを言いました。「やらないと決める時は、やると決める時の3倍考えて。安易に諦める看護師にはならないでほしい」。
私は結局、ヨシハラさんに、大したケアはできませんでした。もっとできたことがあったのか?今も時々考えます。けれども、そんな時、私はヨシハラさんについて、支援者みんなで本当にいろいろ考え抜いた。それだけは胸を張って言えるのですよね。
安易に諦めず、かといって、押しつけがましくならないように。これからも考えることの大切さを実践しつつ、機会あるごとに、伝えていきたいと思います。
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