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7. いつもじゃないけど、看護は自分との闘いⅢ〜その人の前で私は妻だった

モンブランの思い出

ある日、街中で交わした夫との会話。

私「ケーキって、こんなに高かったっけ〜」
夫「そんなもんじゃないの」
私「ほらほら、見てないでしょ〜。自分が興味ないからさ〜」
夫「いやいやいや」
私「あのさ〜、何?いやいやいや、って。興味あるの、ないの?」
夫「ない」

こんな他愛もない会話に大笑いできるのは、とても幸せなことだと思います。

この時目にしたケーキの中に、見事なモンブランがありました。まもなく季節は夏に。私の脳裏に、「栗は秋。秋はモンブランが美味しいんですよ」と楽しそうに笑った女性の記憶が蘇りました。

女性はヤジマさん(仮名)。私より5歳ほど年長で、関わりがあった時期、私は30代の終わり、矢島さんは40代前半でした。アート関係の仕事をしていて、特に映画や映画関係の音楽に造詣が深い、とても知的な人だったのです。

モンブランの会話を交わしたのは、最初の入院の時。仕事が忙しく疲れたと言い、1ヶ月近く休養して退院しました。

「もう、無理はやめようと思います。無理をしろと言われたら、そのクライアントとは仕事はしません」。そう言って病棟を後にしたヤジマさんは、颯爽としていて、ああ、入院して元気になったのだな、と嬉しい気持ちで見送ったのでした。

2度目の入院

約1年が経った頃、ヤジマさんは2度目の入院をします。この時は、前回入院の時のような消耗感はなく、むしろ高揚感があり、主治医からは「恋愛問題でかなり不安定になっている」との情報がありました。

当時私は精神科病棟の看護師長。人員が少ないこともあり、部下の看護師に混ざって看護業務をしていました。

主に請け負ったのは、入院時の情報収集とそのまとめ。医師の記録などから入院までの経過を把握した後、患者さんから現状を聞き、部下に引き継ぎます。

ヤジマさんとは前回の入院でかなり雑談にも興じていました。私が入院までの経緯を聞かせてほしいというと、とても喜んで、近況をいろいろ話し始めます。

「なんか、ちょっと仕事を引き受けすぎちゃったんだと思うんですよね。気が立って眠れないというか。フリーだから、仕事をセーブするのもやっぱり不安で。前回退院する時は、無理をさせるクライアントは願い下げ、なんて言ったけど。やっぱり断るのって、難しいですね。人間関係もありますし」

この時のヤジマさんは不調こそ訴えるものの、なんか肝心な所を外すというか。まさに隔靴掻痒の感があって、私はなんとも言えない、気持ち悪さを感じました。

ただし、医師に相談している内容を、決して看護師に言わない人というのは、珍しくありません。恋愛や家庭の問題は、誰にでも話せるものでもなく、無理に聞き出さないのが私たちの基本的な態度になっています。

私はヤジマさんの話を中心に入院時の記録一式をまとめ、部下に引き継ぎました。

「ヤジマさんは、今回2回目の入院。前回は過労による消耗からうつ状態になって、約1ヶ月の休養入院でした。1年ぶりの入院で、この間定期的に外来に来て、眠剤の処方を受けていたようです。今回は、恋愛関係のトラブルから、かなり不安定になって、本人希望での入院。ただ、私には一切恋愛絡みの話はしないので、こちらからは聞いていません。何を話さないかも大事な情報だから、ここは強調しておきますね。この後も、この問題は主治医に任せて、私たちは遠巻きでいいと思う。立ち入っても、仕方がないことなので」

これは今に至るまで、悩みを抱えた患者さんへに対する、私の基本的な態度。話す権利も、話さない権利も尊重しなくてはなりません。

男性からの相談

しかし、このような私の静観的な態度は、ある日を境に難しくなってしまいました。主治医から、ヤジマさんがかなり逸脱した行動をしている、どうしたら良いだろうかと相談を受けたのです。

概要のみ記すと、ヤジマさんはシングルで、今付き合っている男性は既婚者でした。その妻にヤジマさんとの交際がわかってしまい、妻が激怒。慄いた男性はヤジマさんに別れたいと申し出、ヤジマさんが不安定になったというのが、今回入院までの経緯でした。

そして、入院を盾に、ヤジマさんは相手の男性にプレッシャーをかけ、電話をしては、別れるなら死んでやると言い続けるのだそうです。

困り果てた男性は、主治医に電話で状況を伝え、このように相談してきました。

「自分がもちろん悪いのだが、どのように関われば良いのか。途方に暮れています。本当に自殺してしまうのではないかと思うと、はっきり態度を示せない。けれどもこのままずるずると付き合うわけにはいかない。別れると彼女は本当に自殺してしまうのでしょうか。先生から見て、どう思いますか」

主治医は落ち着いた年配男性。どんな時にも落ち着いていて、私はとても信頼していました。私は、その男性の言葉に、彼がどう答えたのか。非常に関心を抱いたのです。

医師の返答は、「率直に言って、医師でもわからない」。その一言でした。男性は拍子抜けしたかもしれませんが、これは精一杯の誠実な返答だと思いました。

私の経験に照らして考えると、自死した患者さんには、絶対に死ぬと決めていたな、と思う人と、自分を傷つけた結果として、死んでしまった。そんな印象を受ける人がいます。

ですから、死ぬという意志が強くても、たまたま人に見つかったりして助かる人もいる。一方で、薬を飲んでいるうちに吐き、吐瀉物が詰まって亡くなってしまう、という人もいる。もちろん、精神的な安定を図るべく医師は治療をします。それでも、止められない死というものも、あるのです。

本当に残念で、申し訳ないことなのですが……。

ある日の哄笑

ヤジマさんの行動について明らかになっても、当のヤジマさんの様子は、特に変わりません。病棟を出ても院内にいる限りは、特に行動の制限はなし。ただ、20時までには病棟に戻るのが、院内共通のきまりでした。

ある日ヤジマさんは時間になっても病棟に戻らず、残っていた私が院内を見回りに行きました。当時の私は21時頃まで働くのが常態化していて、この時間いるのはいつものことだったのです。

彼女は人気のない外来の待合室で、男性を引き留めていました。私は事情を知っていたので、すぐにその男性と分かりましたが、そこは気付かぬふり。なるべく淡々と言いました。

「ヤジマさん、ご面会の方がいらしたのですね。申し訳ありませんが、今日はここまでで。20時には病棟に戻っていただけますか」。

男性は、私の声をきっかけに、「じゃあ、また」と足早に離れていきます。ヤジマさんも、「あら、じゃあまた」。私はヤジマさんを伴い、病棟に戻りました。

2人きりでエレベーターに乗り込むと、ヤジマさんは大きな声で笑いながら、こう言いました。「宮子さん、彼、おかしいんですよ。私と別れたいなんて言うの。なんてお馬鹿さん。本心じゃないのに。奥さんは、彼のことなんか愛していない。彼を愛しているのは私だけ。私が彼を愛さなくなったら、彼には何も残らない」。

この時の笑いは、まさに哄笑。心に突き刺さるような、激しい笑いでした。

ヤジマさんが男性のことを話したのは、後にも先にもこの時だけ。私は何も言えず、無言で彼女を病棟に戻し、「ゆっくりおやすみください」と言って、病室に戻ってもらいました。

その翌日、ヤジマさんは日中ベッドから飛び降りたり、窓ガラスに突撃しながら、「死んでやる」と絶叫。鎮静剤を使っても全く治らず、その日のうちに閉鎖病棟のある病院に転院しました。

前夜の出来事については、エレベーターの中で語って以降は、何も語らないまま。別れ話がこじれたことは間違いなく、いよいよ行き着くところまで行った感がありました。

ヤジマさんの死

その後、転院先から紹介元の主治医に、治療経過の報告があり、2週間ほどで退院したと知りました。退院時はまた元の主治医の所に通院すると言っていたそうですが、結局来院せず。そしてある日私が夜遅くまで残っていると、病棟に都内の警察から電話が入りました。

ヤジマさんが自宅で亡くなっているのが見つかり、自死と考えられる。病院の診察券があったため、治療経過を教えてほしい。そうした内容でした。

当時の職場は、こうした場合、なりすましの可能性も考え、すぐに情報は提供しないことになっていました。相手の連絡先を聞き、主治医に連絡。主治医が警察に電話を掛け直し、病状について説明する流れでした。

実はヤジマさんの自死を聞いた瞬間、私は彼女が1人で死んだとは思えなかった。きっと男性を道連れにしたのではないかと、激しい不安に襲われたのです。

しかし結果は、ヤジマさん1人の死であり、男性の生活はおそらく変わりません。それはそれで、なんともやりきれない気持ちになりました。

ケーキ屋でモンブランを見ると、今も私は、ヤジマさんを必ず思い出します。最後の夜、私は哄笑した彼女に対して、心底恐怖を感じました。

当時はまだストーカーという言葉は知らず、彼女の「愛されているはずだ」という確信が、全く理解できませんでした。妄想というには、他の思考はしっかりしていて、とにかく怖くなったのです。

この点は、今ならストーカーの心理として、理解はできます。もちろん深刻さは変わらないわけですが、事象が名付けられることの意味を改めて考えさせられます。 

とりあえず自分は傍に置く

そして、私が長い間抱えてきたのは、自分は果たしてきちんと看護師として、ヤジマさんのことを考え切っただろうか。その問いなのです。

私はヤジマさんが哄笑し、「奥さんは、彼のことなんか愛していない。彼を愛しているのは私だけ」と言った時、それは妻にあんまりだ、と思いました。

この時私は、妻という立場の人間として、妻の側に立ってしまったのではないか?そう思うと、ヤジマさんに申し訳ない気持ちになるのです。

看護師という仕事は、生活に近いだけに、自分の生活実感が反映されやすい面があります。それを無理に相手に一致させるのは、とても難しい。だからこそ、その難しさを理解し、ありのままの自分はとりあえず傍に置く……。

いろいろな失敗を経て、今ならそんな関わりが多少はできる。いや、できなくとも、できていない自分は、自覚できると思うのです。

今もモンブランを見ると、私はヤジマさんのことを思い出します。時が経つほどに、蘇るのは、ヤジマさんの楽しそうだった表情ばかり。
なんともやりきれない終わりでしたが、才能ある彼女は、幸せな時間もたくさんあったはずなんですよね。

「栗は秋。秋はモンブランが美味しいんですよ」。
そう言った笑顔を、私はずっと忘れない。それが何よりの、ヤジマさんへの供養になるような気がします。

七夕の都知事選挙は、蓮舫さんが負けてとっても残念な結果でした。よき反省のためにも、まずはゆっくり休んで英気を養います。反省のしすぎもよくありませんから。ともに闘った皆さん、お疲れさまでした。猫に休養を学びましょう。

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