オキナワンロックドリフターvol.83
志望校のオープンキャンパスに行ったものの、やはりアウェイ感は半端なかった。
親御さん、ないし友達と連れだって行く高校の制服姿の子たちの中、数年前に買ったリクルートスーツを着ている挙動不審気味な私は完全に浮いていた。
現に、「え?この人も受験するの?」とちらちらこちらを見ている高校生もいた。私はいたたまれなさもあり、一乗寺教授に会いたくてしょうがなかった。
この日のオープンキャンパスは公開講座があり、どんなことを学ぶのかと私はそれを楽しみにしていた。
志望する専攻の公開講座が始まった。
講師はケニー・アーリントン准教授。『ターミナル』という映画の、トム・ハンクス演じるビクターを目の敵にする国境警備局主任に似ている、小柄な男性だった。
どうやら、高等部でもたまに授業をしているようで、内部エスカレーターで入学するであろう高等部の制服を着た女の子たちが「イエーイ!アーリントン!」と手を振ると、「黙れ!貴様タチー」と返していた。
辛辣かつ軽妙なトークを軸としたアーリントン先生の講座はおもしろく、聞くところによると週3回あるという専攻内のトップ10のみ受けられるという特進クラスはアーリントン先生が担当とのこと。受けたい!と切に思った。
それにはこの大学に受からないと。それまでの長い道のりを考え、私は深いため息をついた。
アーリントン先生の講座が終わり、他の公開講座を受けようかなとうろちょろしていたら、一乗寺教授に偶然出会い、挨拶をした。
「あらー。うちの大学に来てくれたのね。嬉しいわ」
さらさらのボブカットをなびかせて一乗寺先生は微笑んだ。
「せっかくだから、ちょっとコサイさんにお願いがあるの」
私は一乗寺先生に手を引かれ、教授の研究室に招かれた。
教授は自閉症、ないし発達障害の研究の権威である。ちなみに、話は大きく脱線するが、私は18の頃、父親との絶縁から祖母の家に引き取られた際に、私の情緒はかなり不安定になり、一乗寺先生と叔母に連れられて心療内科を受診した。
その際に私の生い立ちを聞いた担当医が訝しげな表情をし、担当医の勧めで知能テストをしたのを覚えている。
私が抱えている困難を知ったのは3ヶ月前、受診した際に私に付き添ってくれた叔母に大学受験を打ち明けた時だった。
「ミキさんは自閉スペクトラムって障害を知ってるよね。ミキさんはそれなんだって。ミキさんが18の時に受診した病院で知能テストを受けたでしょ?そこで結果がきたの。ミキさんには黙っていたけれど、そろそろ知っておくべきかなと思って」
なるほど。私の中にまとわりついていた重い曇天のような状態の原因はこれかという納得と「なんでそんな大事なことを今まで黙っておいたのか!」という強い怒りが入り交じった感情が芽生えた。
それについて抗議すると、叔母は申し訳なさそうに「早く知ることで障害を言い訳にしたらいけないと思って。でもここまでつらい思いをして、追い詰められていたんなら早く教えるべきだったね」と呟いた。
閑話休題。一乗寺教授は、私にアンケートを手渡した。発達障害当事者の現状や不具合のサンプルとして私にアンケート要請をしたのだ。
「お車代程度だけれど、後で謝礼をするからね」と一乗寺先生はにっと微笑まれた。
かなり膨大なアンケートだった。
60分くらいはかかったのを記憶している。書き終えると、教授は白い封筒と小さな袋に入ったおやつを手渡された。
「ありがとう。助かるわ。本当に来てくれてありがとう。お礼とお詫びを兼ねて私が学内を案内するわ」
再び、一乗寺教授に手を引かれつつ学内をまわることになった。
学生支援室、各教授の研究室、図書室、学食、休憩所、体育館、チャペル、PCルーム、自習室等を教授の解説込みで案内して頂いた。至れり尽くせりである。
チャペルへ案内される際、背の高い、面差しが優しげな、エイジア時代のジョン・ウェットンを思わせる白人男性がミネラルウォーターをチビチビ飲んでいるのに出くわした。どうやらこの人も大学教授らしい。
「コサイさん、この方もあなたが受験する専攻の教授よ。紹介するわ、プレストン・ベルガー教授」
すると、ベルガー教授は私を軽く一瞥し、柔らかなテノールで言った。
「君がプロフェッサーイチジョウジが言っていた子だね。ふうん。よろしく」
そのふうんはなんだよ、そのふうんは!
と、思ったが。心象が悪くなったら嫌だなと思い、ひとまずひきつり笑いながらも笑顔を握手を交わした。
そんなことがあったが、大学の印象は図書館の蔵書はやや少ないのが残念だが、こじんまりとした大学ならではのアットホームさが心地よさそうという印象だった。
オープンキャンパスは終わった。
私は帰りの電車を待ちながらそっと封筒を開けた。
中には「オープンキャンパスきてくれてありがとう。ささやかですがアンケートの謝礼です。それでは、来年の4月に学生として貴女に会えますように」という手紙と、3000円が入っていた。
封筒と一緒に渡された袋に入った、たぶんオープンキャンパスの際のおやつだったであろうキットカットやソフトサラダをむしゃむしゃ食べながら、大学に入りたいと切に思った。
しかし、夢みたいな時間を過ごした後の現実はつらく、職場でのあまりの冷遇に憤り、主任に抗議したところ、主任は冷たく笑ってこう返した。
「あんたが正常でなかけんたい!あんたみたいなきけしゃん(精神病罹患者)を置いてやるだけありがたいと思わんね!」
……今なら労働基準局に訴えたら勝ち目があるが当時は訴えてもなしのつぶてだった。私は仕事が終わると心折れて、駅のホームでよく泣いていた。
先の見えなさ、困窮、パワハラ、家に帰ると暗い顔の私を見て、祖母からよく叱られ、喧嘩の回数が増えた。
私の顔の吹き出物はますます増えた。
さらに追い討ちをかけるように7月の終わり、下地さんからメールがきた。
「正男が心筋梗塞で入院した。あと、俊雄と連絡がつかない」と。
なんで不幸せは立て続けにくるんだよと私は蒸し暑い部屋の中で突っ伏して泣いた。
(オキナワンロックドリフターvol.83へ続く……)
(文責・コサイミキ)
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