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自分の頭で考えるお金の話 その5~デフレでも経済成長する

前回の『その4』は、煮えきれない話で終わってしまいました....

「貨幣錯覚」の話は、再度取り上げようと思います。

今回は、気を取り直して、デフレの話、それもデフレであっても経済は成長するのだという話を、既存の本の力をお借りして、日本の歴史の中から拾い上げてみたいと思います。


★ 江戸時代はずっとデフレだった

ぼくが上掲書の存在をしったのは、nuricoさんのノートによってです。

ヘッダーが画像に紹介されているのは、日本では有名な池上彰さんの著作の方ですけれど、どちらかというならば『韓国の~』の方を、是非。

著者の視点と、その視点を支える情熱がいい。著者は申尚穆(シン・サンモク)という方だそうですが、著作を拝見して感じられるのは〈愛国者〉だということ。自国を愛して、自国の成長を願ってやまないがゆえに冷静に現実を見据えようとする情熱の傾きがあって、傾きが視線になっている。

【愛国】というと、他者(他国)との比較優位を証明しようとする情熱(の傾き)・視点を想像してしまうきらいがあって、閉じたものという印象を持ちますが、申さんの〈愛国〉は開いています。

だから、韓国の【愛国者】にとっては忌むべき存在であろうはずの日本と日本人にも、申さんの著作は知識の取得の役に立つだけではなくて、(日本人として)心地の良いものを提供してくれます。


それだけではありません。

「日本が成功したが韓国は遅れた」と申さんが言っていることは、現在の日本のことでは必ずしもない。確かに、明治維新以降の日本は、当時のアジアのなかでは唯一といっていいでしょう、成功したと言えます。けれど、申さんの〈愛国〉に倣って視点を現在の日本に向けるなら、現在は失敗続きと言わざるを得ない。

「過去の日本は成功したが、現在の日本は失敗が続いている」理由と「(かつて)日本は成功したが韓国は遅れた」理由との間に共通点はあるとすれば――。


『韓国の外交官が語る 世界が見習うべき日本史』の内容紹介については、これまた、他の方の力をお借りしましょう。

韓国では、江戸時代には刀を持った侍に、農民が支配されていたと認識している。しかし実際のところ大名たちは、自己の財産で経済や文化を盛り上げ、農民は農業に精を出すことにより、各地で経済的な相乗効果を発揮していた。

この認識はつい最近までは「日本の認識」でもあったと思います。少なくともぼくが中高生時代に教わった日本史は、そのような認識のものでした。


江戸時代の日本では、お上も庶民も、それぞれのやり方で経済や文化を盛り上げることに勢力を傾けていた。その成果が、後の明治維新以後の「日本の成功」につながっていく――申尚穆さんの主張を端的にまとめると。

申さんの主張に納得と同意をする一方で、ぼくはもうひとつの認識を付け加えてさせていただきたい。それは、江戸時代はずっと「デフレ状態」だったということです。


★ 江戸時代はインフレが進行していた!

いきなり直前の記述と逆さまになってしまいますが、、、、(^_^; 「お金の話」の面倒なところです。

「物価の上昇=インフレ」だと考えれば、江戸時代はずっとインフレ、もう少しいうと「米価安の諸色高」でした。「諸色」とは物価のこと。

幕府は農民から徴発する米を財政の基盤にしていましたから、米価が下がって他のモノの物価が上がったのでは財政運営は難しくなる。加えて幕府や諸藩は、上掲書に記されているようにお金を使って常に経済振興策を行っていたようなものですから、官(武士)は貧しくなっていく一方だったが、民は豊かになっていった。

この「民の豊かさ」が明治維新以降の「成功の起爆剤」なのですが、そうした「物質的豊かさ」で、例えば司馬遼太郎の『坂の上の雲』、渡辺京二の『逝きし世の面影』に描かれたような「豊かな情景」ができあがるかと思うと相当に足りないところがあるような気がします。

これらの書にあるのは「心の豊かさ」ですから。

...と、またしても話が逸れました。


江戸時代を通じて、「諸色(物価)」上昇し続けたのは事実です。このことは、言葉にすると「インフレが進行した」ということですが、「インフレが進行する」ことと「インフレ状態にある」こととは、イコールではありません。同様に、「デフレが進行する」ことと「デフレ状態にある」こととも一致しない。

「デフレ状態」のなかで「インフレが進行する」ということはあり得て、江戸時代はまさにそうした状態だった。江戸時代だけではなく、昭和の高度成長期もまた「デフレ状態でのインフレ進行」状態だった。そうした「景気」のなかで出現したのが、下のような「情景」です。

...また、話が逸れました。


話を元に戻すついでに(?)お詫びを申し上げますが、「インフレ状態」「デフレ状態」というのは、ぼくの造語です。専門の用語もあるのでしょうけれど、勉強が不足していて言葉を知りません。なので、適当に既存の言葉を入れ込んでみました。

「インフレ状態」とは、――社会の中でお金が余っている状態。日本では”アベノミクス”、アメリカでは”QE”と呼ばれるような「量的緩和政策」――どうにも誤魔化しがある言葉だと思いますが――は、「インフレ政策」というよりも「インフレ状態政策」と言った方が正確だと思います。

(ついでにいうと、「”行き過ぎた”インフレ状態」から「”適度なインフレ状態」へと移行させることを”出口戦略””テーパリング”などと言います。最近はそれは無理ゲーだと認識され始めて、高額紙幣の発行禁止が検討され始めました――要するに、自然利子率マイナスが定常状態になってしまったということです。)


「デフレ状態」とは反対に、社会の中にお金が不足している状態です。江戸時代や高度成長期前の昭和の時代――だけではなくて、人類の経済は基本的にずっと「デフレ状態」の状態でした。

(その状況が世界的に覆っていくのがコロンブスのアメリカ”新”大陸発見以降のことですが、ここはまた別の機会に語ります。)


江戸時代、「インフレが進行」していたことについては、もちろんさまざまな証拠があります。同時に、江戸時代は「デフレ状態」であったことにも色々と証拠がある。箇条書きに列記してみると、

1:東日本は金本位、西日本は銀本位の経済だった
2:度重なるか貨幣改鋳が繰り返された
3:幕府は藩札の発行を認めざるを得なかった

などです。


★ 江戸幕府は知恵が足りなかった?

「ついでに」ということで書いてしまいましたが、「インフレ状態」を出現されるような知恵(金融の方法)があれば、上の1~3はカンタンに解消することができたはずものです。

江戸時代は、大阪堂島での米市場に早々と「先物取引」が出現するなど、世界に先駆けて金融工学が発達しましたが、現在の経済の常識からみると、たった一つ、欠けた知恵があった。それが「紙幣を発行する」ということです。この知恵が無かったばかりに、江戸時代はずっと「デフレ状態」に甘んじていなければならなかった。


東西で本位貨幣が異なることは、江戸時代の日本の治安と秩序を保つ責任を担っていた幕府には都合が悪いことでした。本位貨幣の違いは両替商を生み、民生は豊かになったが、幕府や武士は相対的に貧しくなった。もっとも、両替の仕事は幕府が取り上げてしまえばよかったのでしょうが、「武士は食わねど高楊枝」、プライドがそれを許さなかったのでしょう。

貨幣改鋳(改悪)がたびたび行われていたことは、「お金不足」を示す直接的な証拠と言えます。また、大規模な貨幣改鋳が行われて通貨の流通量が増えると、その後に好景気がやってきてもいます。元禄文化は綱吉の時代のインフレ政策が功を奏したものだと言われていますし、田沼意次の重商政策も文化の興隆をもたらしたと(こちらは近年になってから)されています。

幕府とは基本的に対立関係にあった諸大名に、独自の通貨の発行を認めることも、本来ならば幕府にとっては都合が悪いことだったはずです。


これらの不都合は、元を正せばすべて「お金が足りなかった」ことから生まれています。江戸時代の幕府、に兌換紙幣を発行して金本位制また銀本位制に移行するという知恵がもしあったなら、上記のような不都合はたちまちのうちに解消することができたはず――。

が、けれども、もし、そうなったとすると、日本に明治維新の大成功をもたらした「江戸時代の実り」があったかどうかは、甚だ疑問です。お隣、朝鮮半島の李氏朝鮮のように、中央政権が民の力を吸い上げてしまって民生に力がないという状態になっていた可能性は相当に高いだろうと考えます。ことに「心」の部分については。


★ 補足:「金(銀)本位制」には2種類ある

単に言葉の(定義の)問題ですけれど、金あるいは銀といった貴金属などによる「本位制」には2種類あります。

金や銀を、取り扱いしやすいようにコインや大判小判に成型することはあっても、それそのものを通貨と見なす本位制。”金(銀)貨”本位制というそうです。

もうひとつは、金や銀に「本位」を置くことに変わりはないけれども、中央銀行が金(銀)地金と交換が可能な兌換紙幣を発行する体制という意味での金(銀)地金本位制。


江戸時代は、幕府が金貨銀貨の鋳造権を独占していましたが、金貨銀貨本位制です。中央銀行と呼べるものは存在していませんでした。

中央銀行は、金(銀)地金本位制に移行して初めて出現します。1971年の「ニクソン・ショック(ドル・ショック)」以降は、中央銀行は存続するものの兌換紙幣の発行は行われなくなっています。現在はいわば「”無”本位体制」です。


★ 参考

ちなみに、現代の日本には、デフレが進行していても経済は成長するという議論を展開されている方がおられます。

ぼくは三橋さんの議論にはしっくりこないことが多いのですが、この部分は面白いと思います。


『その6』へ続く

感じるままに。