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『大河ドラマ 青天を衝け』渋沢栄一さんを九星気学で読み解く ~東西占合戦~

新1万円札の人であり、2021年の『大河ドラマ 青天を衝け』のモデルとなった"日本の資本主義の父"とも呼ばれる渋沢栄一さんを今回は九星気学で読み解いて行きたいと思います。

1万円札と言えば、私にとっては福沢諭吉さんでしたので、まだまだこの渋沢栄一さんには慣れないですね(汗)

さて、そんな渋沢栄一さんは、どんな人かをかんたんにご紹介したいと思います


渋沢栄一って、どんな人?



2021年の『大河ドラマ青天を衝け』の題材となった"日本資本主義の海の親"とも呼ばれる、渋沢栄一さんは天保11年2月13日(西暦:1840年3月16日)生まれの方。

豪農の生まれであり幼い頃から「論語」などを学ぶ。
文久元年(1861年)江戸に出て海保漁村の門下生となり、その後、剣術修行の傍ら勤皇志士と交友を深め、その影響から尊皇攘夷の思想に目覚める。
一時は、横浜外国人居留地を焼き討ちにする――というような過激な思想を強めるものも、惇忠の弟・尾高長七郎(従兄弟)の懸命な説得により、焼き討ちを中止するに至る。
慶応2年(1866年)12月、主君の慶喜が将軍となったことに伴って幕臣となった後、徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行し第一回目となるパリの「万国博覧会」を見学し、運良く明治の大動乱から一線を引くこととなる。
明治の大動乱の後、欧州から帰国した栄一は「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わり、大蔵省を辞す。
1873年、その実績と豊富な知識から「第一国立銀行(現みずほ銀行)」の頭取となり、その後600の教育機関・社会公共事業の支援に携わり、生涯に約500もの企業に関わったとされる。


……と攘夷志士として一時は倒幕運動すら考えた、渋沢栄一さん。

数奇な運命と呼ぶには、数奇すぎる彼の人生の動きからも、その後の人生にどのような影響を与えたかを後半の気学的な分析でつらつらと語って行きたいと思います。


【鑑定対象】渋沢栄一:生年月日 [庚子]1840年3月16日


【陰/陽バランス】 
陰7/陽3
・納得しないと行動が出来ない
・1つのことにコツコツと努力を続けることが出来る
・アドバイスや問題を解決しようと孤軍奮闘する
・自己犠牲精神が強く、他人の気持ちを理解するのが難しい


【十干十二支の性格的傾向】
庚:
・真面目で勤勉に働く
・人付き合いが良いが飽きやすい

子:
・ネズミのように臆病で、小心な部分がある
・コツコツとモノを溜め込み、大きな資産にする

【九星(性)気学から見る性格的傾向】
本命:七赤(性格・性質の60%)
・納得しないままに動くことを嫌う、頑固さがる
・多趣味なところがあり、いろんなものを楽しめる

月命:六白(性格・性質の30%)
・新しく物事を創り出し、生み出す力がある
・信心深く、神仏を敬う気持ちが強い

宮命:八白(性格・性質の10%)
・実績をコツコツと積み上げるのが好き
・忍耐力があり「自分の意思で我慢する」という剛気な部分がある

(後半により詳しく書いてます!)


◆陰/陽バランスから見る渋沢栄一の傾向


まず「陰と陽」という性格の分野で、真っ二つに分けてみると行動や考え方の基軸となるのは「陰気」のようです。

コチラから陰陽のタイプを伺い知ることが出来ます。

https://note.com/gurungustyama/n/nef66f8688ce0


陰気が強い人の傾向として次のようなものが挙げられます。

・クールに見えて、内に情熱を蓄えている
・ストイックで自分を高めることに興味が強い
・自分をしっかり持っていて流されない
・好きなことになると夢中になり、集中しすぎる
・クリエイティブなことが好きでコツコツとした物事を好む
・人と同じことより「自分にしか出来ないこと」に価値を感じる
・プロフェッショナルな自分になることを目指しやすい
・プライドが高いがリードしたい、主導権が欲しい
・人の気持ちを理解するのが苦手
・刺激、変わったことが好み、弱い
・新しいものに魅力を感じる
・自分が損をすることを嫌う
・実は話好きで自分のことをたくさん話したい
・自分で選択したい。人に選ばれるのを嫌う
・その場の雰囲気よりも「その時やるべきこと」を重視する
・気まぐれにかまってほしい時がある
・問題解決能力が高く、頼りがいがある


前々回の炭治郎くん、前回の碇シンジくんたちと同じく「陰気」が強めな方のようです。

例えば……

横浜外国人居留地を焼き討ちにする――というような過激な思想を強める

という「極端な行動に走る」という部分も、陰気の「人の気持ちがわからない」という人の特徴ですし。

晩年の

1873年、その実績と豊富な知識から「第一国立銀行(現みずほ銀行)」の頭取となる。
その後600の教育機関・社会公共事業の支援に携わり、生涯に約500もの企業に関わったといわれている。

というものは、新しいものにどんどんと興味を持って突き進んでいく陰気の強い方らしい傾向と言えるでしょう。

仮に、これが陽気の強い方だった場合は、坂本龍馬のように「人の間に入って、交渉する」というような働きをしたくなったり、人との関わりを強く大切にするため500もの企業の起業はポンポンとは出来なかったこと推測されます。

ちなみに前々回、前回の記事はコチラから。

『鬼滅の刃』の炭治郎くんについてはコチラ


『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジくんについてはコチラ


◆十干十二支の性格的傾向

庚:

・真面目で勤勉でコツコツと働きやすい
・人の世話を焼きやすく、面倒見が良い親分肌
・心が広く、いろんなことに心を開くが対人関係はやや苦手
・どこか色々と物事を享楽的に考えやすい打算的なところがある
・リアリストで損得に敏感な物質中心主義者的
・その場、その場の適応力が高く。いろんな事を無難にこなす


子:

・ネズミのように臆病で、小心な部分がある
・コツコツとモノを溜め込み、大きな資産にする
・威張ったりせず、幅広く人に優しく接することが出来る
・無駄使いを嫌い、節約を美徳とする(但し人にケチに思われる)
・使うお金に関してはかなりリアリストな側面がある


十干十二支も九気と同じく、陰と陽とで性格の影響を強く与える存在です。

十干はイメージしづらいかもしれませんが

・人の世話を焼きやすく、面倒見が良い親分肌
・心が広く、いろんなことに心を開くが対人関係はやや苦手

という部分が渋沢さんの、成し遂げた偉業の数々の中からなんとなく感じることが出来ます。
少なくとも「世話焼き」な人でなければ、500以上もの会社の設立に力を貸すことは難しかったでしょうから。

ただお写真などから感じられる雰囲気は、どこか踏み込み辛い人、という印象を持つのは私だけ?


また十二支の「子(ね)」はネズミのイメージのように

・ネズミのように臆病で、小心な部分がある
・コツコツとモノを溜め込み、大きな資産にする

という傾向があります。

こういう傾向を見ると「お金を貯め込む」「慎重に資産運用をする」という部分が、まさしく"銀行家向き"だったと言えるでしょう!

このように十干十二支から「慎重でコツコツ積み重ねるタイプ」だった、渋沢栄一さんが見えてきます。


◆九星(性)気学から見る性格的傾向



九星気学には「九星」とあるように、さまざまな物事を大きく九つの気に分類し、そこからさまざまなことを分析していく東洋思想的テクニックの総称です(≠占い)。

さて、渋沢栄一さんに強く顕現(けんげん)している九気は

・本命「七赤」
・月命「六白」
・中命「八白」

の3つ。

今回の渋沢栄一さんは、成人ですのでストレートに本命の「七赤」が強く表に出てきます。

続いて、それぞれの「七赤」「六白」「八白」の属性的な意味(象意)を紐解いて行くと……

◆七赤金星


沢、秋、天侯の変わり目、雨、暴風雨、日没、涼気、悦ぶ、金銭、酒、歯、右肺、愛、色情、祝賀、結婚式、口論、雄弁、ストレス、不足、不充分、借金、趣味、娯楽、御馳走、浪費、過去、接吻、浄土、食事、恋愛、少女、芸人、芸者、噺家、ホステス、不良少女、飲食
業者、通訳者、仲介者、歯医者


◆六白の象意

天、西北、晴天、晩秋、乾、父、完成、重心、円、大志となる、慣性、施し、後援、権力、闘争、威厳、支配、守護、鍵、堅固、収穫、拡張、円運動、天皇、首相、大臣、指導者、聖人、主人、軍人、資本家、官吏、神官、銀行、会計、交通運輸関係、自動車関連業、機械関係業、投機業、集合場所、公園、国道、兵営、市場、宮殿、寺院、神社、国会議事堂、学校、高層ビル、貴金属宝石一切、時計、指輪、干した物


◆八白の象意


山、変化、停止、立春、気節の変り目、曇天、天候の変化、親戚、継目、相続、親子、兄弟、姉妹、改革、交代、変化、断絶、曲り角、終点、閉店、廃業、再起、復活、集団、組織、組合、交代、組み立て、貯蓄、連絡、取り次ぎ、進級、中退、連鎖反応、接続、連繋、伝統、神社

と、このような属性的な出来事と関連性が深く、七赤金星・六白金星という「金気」の2つがあることからも「金運」「知性的」という点が伺えます。


ちなみに、これらを「象意(しょうい)」と呼び、古来からそれぞれの九気ごとにどんな象意があるのかは決められています。
(小生が勝手に決めたワケではない)

そして、生年月日からこれらの九気を割り出し、●●年生まれは「●●」、●●年生まれは「●●」と算出していき。
生まれながらの課題(カルマ)やどんな職業が向いているのか、どの方角に行けば運気が開けるか――などをアドバイスしていくのが本来の「九星(性)気学」の運用方法です。

さて、それでは渋沢栄一さんの生年月日から性格的傾向を算出して行くと先のような内容になります。


【九星(性)気学から見る性格的傾向】

月命:七赤(性格・性質の60%)
・納得しないままに動くことを嫌う、頑固さがる
・多趣味なところがあり、いろんなものを楽しめる
・目上の人や年老いた人を尊敬する面を持っている
・対人関係がうまく、人当たりが良い

本命:六白(性格・性質の30%)
・別け隔てなく人にやさしく、ボランティア精神に富んでいる
・年下を可愛がって、良い方向へと導く力がある
・新しく物事を創り出し、生み出す力がある
・信心深く、神仏を敬う気持ちが強い

宮命:八白(性格・性質の10%)
・山のように一度決めたら動かず、頑固な性格
・小さな変化を好み大きな変化を嫌う傾向がある
・コツコツと小さなことを積み重ねる傾向がある
・信頼、信用を得やすく

渋沢栄一さんは「七赤金星」が強く表に出ている方です。

陰の金気、秋の働きを意味する七赤は、早くから成熟な傾向があります。
渋沢栄一さんが青年期に日本の未来を憂いて「倒幕運動」に走ったのも、この七赤の成熟した考え方が大きく影響していると見て良いでしょう。

また、この七赤金星は「交渉力に長けている」という特徴があるのをご存知でしょうか?

七赤の象意には「口説性」「弁が立つ」なども含まれており、七赤の気が強い職業には上記の表には入っていませんが、その能弁さを活かす「弁護士」「政治家」。
そして、七赤金気の豊かさを意味する「金融業」「銀行業」があります。

渋沢栄一さんが「武士→大蔵省→銀行の頭取」として、活躍していったのは本人の本命にあったお仕事を選んだ――或いは導かれた――と結果として考えて良いかもしれませんね。


また渋沢栄一さんは晩年に「道徳経済合一説※」を説き、その思想は月命の「六白性」が強く出ていると考えると面白いかもしれません。

なぜなら六白には「道徳」や「施与」という"他者への施し"ということを行いやすい性質があるからです。
(ちなみに六白の悪い気が強く顕現すると、その逆の道徳性のない、人から奪う人になってしまいます)

そして、最後に宮命の「八白」は山の働きを意味し。古来から人々は山には対して強い信仰心を抱いてきたように「高尚性」を持ちます。
これは神に仕える神官のように厳しいながらも人々を導く力を持っている、という性質があり。その性質があるからこそ……

・七赤の豊かな心と弁が立つ、交渉能力
・六白の人に施す優しさと公共性
・八白の高尚な精神と人を導く力強さ

の3つが良い方向に顕現した結果として渋沢栄一さんは日本の資本主義を形作りにいたり、「道徳経済合一説」を説いて世界に先んじてこれからの時代に求められる「SDGs(持続可能な経済活動)」のパイオニアとして多くの企業や公共団体の設立に尽力するに至ったというのは、私のうがった見方すぎるっでしょうか?

コロナで混迷する世界情勢において、渋沢栄一さんが新一万円札の絵柄になるのは、もしかしたら何かしらの意味があるのかもしれませんよ!

※道徳経済合一説……企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、企業は国ないしは人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないという意味。


渋沢栄一さんは、なぜ日本の資本主義の生みの親となったのか?「徳川慶喜」の思惑


徳川家は代々、徳川家康が実践していた気学を実践してきた可能性があります――というか、ほぼ実践されてきたのでしょう。
今の天皇家の方々が、数千年前から続く「神事」を受け継ぎ、その中に気学の秘術があるとされていることから考えても、日本を長らく治めてきた徳川家のトップが何も知らなかったはずはありません。

まぁ、そういった資料は歴史の闇に葬り去られるのが必然で、多くの場合は口伝でのみ技術が残す程度でしょうが。

閑話休題。

なぜ、私が渋沢栄一さんの偉業の達成に徳川慶喜の思惑があったと断言できるのか。
それは渋沢栄一さんがヨーロッパに徳川昭武と随行した際に、日本から見てフランスには渋沢栄一さんにとって祐気となる「八白」が大歳方※で鎮座していたからです。

上記の図にあるように、1867年のパリには大歳方1千倍の八白の祐気が鎮座しており、これは七赤金星の渋沢栄一さんにとって"大吉"となる大きな、大きな祐気です。

そして、この八白の気を採ることにより、渋沢栄一さんには、

◆八白の作用(祐気の場合)
・人から信用、信頼が得やすくなる
・止まっていたことが再起、復活する
・貯金が貯まりやすくなる

という偉業を成し遂げるために必要不可欠な「信用・信頼」と「コツコツと努力を続ける」「財を成す」ということが顕現する――結果として顕現したことが後の歴史が証明しています。

その後、1868年に横浜へと帰国するのですが、パリから見て横浜は北東で1868年は彼にとって最悪の九紫火星が回っていたため、実力が発揮されて良いことも起きますが、それと並行して悪いことも起きています。

九星気学では自ら採った良い気(祐気)も悪い気(剋気)も特定のリズムで顕現し、年盤の大きな祐気・剋気は4年目から顕現し、7年目、10年目に何らかの結果が生じると言われています。
(もっと厳密に顕現のリズムはありますが、複雑になりすぎるのでココでは割愛させて頂きます)

それでは、渋沢栄一さんに1868年11月から数えて4年目(1871年11月~72年10月迄)に何があったのかを紐解いてみると

・1872年の大蔵省三等出仕となる
・贋札事件に振り回される
・予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立

詳しくはコチラから
https://www.shibusawa.or.jp/SH/kobunchrono/ch1872.html#03

と、割と散々な人間関係だったことが伺えます。

渋沢栄一さんが採った九紫火星は悪い気で採ると

◆九紫の作用(剋気の場合)
・怒りっぽくなり、争いを起こしやすくなる
・賭け事を好み、ギャンブルにお金を使いやすくなる
・除名され、排斥される

などの作用が強く出るため「予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立」という出来事は、まさしく九紫火星の剋気の影響を受けていたことが原因でしょう。

後の1873年に大蔵省を辞める決断に至っているのですから、よっぽどその当時の彼にとって大蔵省の職場はうんざりするものだったのでしょうね~!

1867年、大歳方から数えて10年目の1876年には日本の自動車産業でなくてはならない存在である「石川島平野造船所(現:IHI、いすゞ自動車、立飛ホールディングス)」に個人出資や第一国立銀行の融資で創業を支援。同年「秀英舎(現:大日本印刷)」の印刷業創業や、「中外物価新報(現:日本経済新聞)」の創刊も支援と、大歳方から数えて10年目にかなり、ノリノリで銀行家としての仕事が出来ていた、ということが彼の仕事ぶりから伺い知ることが出来ます。

ただし1877年11月~1878年10月までは

・駿河町三井銀行の会同に栄一病気のため欠席する
・損失勘定の補填を求めるも、府知事に却下される

などの彼が歯がゆい思いをしたであろう事柄が九紫の剋気(10年目の顕現による)トラブルとして見受けられるため、九紫の根深い剋気の作用も彼の人生に与えた影響は小さくなかったようです。

しかし、それを上回る八白の祐気が1千倍であったからこそ、渋沢栄一さんは"日本の資本主義の父"と呼ばれるまでの偉業を成し遂げるに至ったのです。

※大歳方(たいさいほう)とは……歳破の対冲にあたる"通常の1千倍の祐気"が回っている方角のこと


◆まとめ

今回は実在する人物であり。且つ「どのような方角へ、どのタイミングで向かったのか」ということと「その後、気が顕現するタイミングで何があったのか」を確認することが出来る方が対象だったということもあってかなり踏み込んだ分析が出来たのではないか、とちょっと鼻高々です♪

気学を「迷信」と思う人からすれば、バーナム効果のこじつけに思えるかもしれませんね。

でも、気学的解釈から算出される「渋沢栄一」という人物像やその後の彼の人生を気学的解釈で見るにあたり、ここまで見事に当てはまっていると気学が占いや迷信として一笑に付す考え方とは言えないのではないでしょうか?

こういう歴史的解釈の裏にあることがらを紐解いてみると、成功・没落の確かな理由を気学的に見つけることが出来ます。

もちろん、気学は迷信ではないからアナタが気学を実践し吉方位採りをすることで、未来を開くことが出来ることは言うまでもありません。

もしかしたら、この記事を読んでいるアナタが渋沢栄一さんのようにならないとも限りませんよ?

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