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20年ほど前にメイド喫茶で働いた話

パン屋のバイトを辞めた後、私は接客業を使用と思います。
そんな時、オタクの知り合いから秋葉原に新しいメイド喫茶ができるようで、バイト募集のチラシが貼ってあると、画像と共にメールをもらいます。

今でこそ、秋葉原とメイド喫茶というのは、王道の組み合わせのようになっていますが、その当時(2004年くらい)は、秋葉原にはまだメイド喫茶は老舗2店舗しかなく、かなりマイナーなものでした。
コスプレが好きだった私は、その求人に応募してみたところ、ありがたいことに採用をいただき、メイド喫茶でウエイトレスとして働くこととなりました。

ただ、この時期まだコスプレが私の中でやってもいいことにはなっていなかったので、

仕事にすることで、正当化してやりたいという思いもありました。

メイド喫茶ってどんなところ?


メイドカフェのオーナーはオタクではなく、純粋にビジネスとしてメイド喫茶を始めた人でした。

メイド喫茶ってどんなところなの?と思う方もいるかもしれませんが、基本的にはウエイトレスがメイド服を着ているカフェです。
ただ、イベントの日があってその時は、そのイベントの内容に合わせたコスプレをしていたりしています。
あと、お店の女の子の人気で常連のお客さんがついたりするので、HPにスタッフの写真や紹介が載っていたり、イベントの特典として、好きな女の子と写真が撮れるというものがあったり、少しキャバクラっぽい部分もあります。
常連のお客さんが結構います。
お客さんがプレゼント持ってきたりもします。

当時、2ちゃんねるという、ネット上の掲示板に、メイド喫茶のそれぞれの店舗のスレッドが存在し、うちの店のものもありました。
常連のお客さん達はそのスレッドのコテハン(匿名ではなく、固定のハンドルネームを使っている人)の人が多く、お店の情報はそのスレッドに色々と書かれていました。

スタッフの女の子達は表面上は仲がいいように見えていましたが、もちろんそんなことはなく、Twitterの裏垢で他の女の子をボロクソいってたり、特定の常連客と仲良くなって飲みに行ったり、厨房スタッフと付き合うの付き合わないの等々、なんだか色々あったようです。でも私はハブられていたのか、女子のそういったグループにあまりはいらないからか、当時は何が起きているのかあまり知りませんでした。(後々ねこさんから色々聞きました)

そう、女の子のスタッフの他に厨房に私より一つ年上のねこさん(仮名)という男性スタッフがいました。彼はこの後私の人生に深く関わってきます。

また、常連のお客さんにBMWさん(仮名)という人がいました。この人、当時一番可愛いと言われていたスタッフに真っ赤なバラの花束をプレゼントしたことで有名な常連のお客さんでした。この人も私の人生に関わってきます。


メイド喫茶で判明した私の『苦手』


メイド喫茶で働いているとき、私はドジっ子として有名?でした。
ドジっ子クイーンというありがたくもない称号もいただきました。
水のおかわりをこぼしてしまったり、注文間違えたり、そそっかしかったので、メイド喫茶ではそういうキャラとして扱われましたが、ここで私はおそらく発達障害的な要素からくる『苦手』と対面します。

まず、レジ打ち。
初日に私はレジ打ちで誤差5000円近くだしました。その後もちょくちょく私がレジをやると誤差が出てきました。
レジ打ち関してはこの当時は気にしていませんでしたが、この後の販売業などでもネックとしてでてきます。
どうやら数字を正確に読み取る、一瞬でも覚えるということがかなり苦手であるようです。
他のスタッフは普通にできていました。

短期記憶
メイド喫茶はちいさなお店だったので、注文は全て手書きで、料理などの提供もテーブル番号を厨房スタッフから口頭で言われて料理を渡されるだけでした。
ところが、私は料理を手渡すときに言われたテーブル番号を覚えていることができないことが多々ありました。特に夜など混雑時は、言われても次の瞬間的に忘れてしまい、聞き返すことが多かったです。
これも、他のスタッフは普通にできていました。

コミュニケーション
メイド喫茶は常連さんで回っているところがあるので、常連のお客さんと仲良くなる必要がありました。けれど私はなかなかお客さんと話したり仲良くなったりということができませんでした。中には、話すのが好きで私とずっと話している(主に私が話を聞いている)人もいましたが、他のスタッフのように、お客様と仲良くなれてないなと思っていました。


メイド喫茶をやめることになったきっかけ


あるときイベントでドラゴンクエストのキャラクターの衣装を作りました。久しぶりにコスプレ衣装を作ったら、それがとても楽しくて、衣装作るの楽しいなぁと思っていたところ、オーナーに声をかけられました。「何かやりたいことがあるだろ?」
オーナーが私の心情になぜ気づいたのかは分かりませんが、衣装作るのが楽しかったという話をしたところ、楽しいと思ったら、すぐに動いたほうがいい、仕事辞めて服飾の学校に行ったら?と言われました。
オーナーは若いときバックパッカーをやったような人で、思い立ったらすぐ行動の心情の人です。メイド喫茶もそんな心情ではじめていました。
まぁ、その助言は果たして私のためにいったのか、私を辞めさせるためにいったのかはよく分かりません。(たまに突然スタッフ来なくなって辞めていたし、専門受けても3月までは働けたので)
当時の私はそういうものかと思い、バイトを辞めて服飾専門学校を受けました。そんな感じで私のメイド生活は終わりました。


メイド喫茶のその後

メイド喫茶を辞めた後も関わりを持ち続けた人が二人いました。
まずは厨房のスナフキンさん。
スナフキンさんとは仲良くなり、スナフキンさんがバーテンダー志望だったこともあり、たまに二人で飲みにいくようになりました。
この後も長く彼との関係は続いていきます。

あと、BMWさん。
BMWさんは常連のお客さんで毎日のようにメイド喫茶に来ていました。
秋葉のオタクというより、キャバクラにいそうな全身ブランドものみたいな風体の人でした。年は私の6個上です。
メイド喫茶を辞めた日、帰り道でBMWさんに声をかけられ、連絡先を交換し、その後ちょくちょく連絡が来るようになり、食事に連れ出されるようになりました。
ちょうど、この時期に高校から付き合っていた彼氏との関係が悪化しはじめ、彼と別れるきっかけともなった人です。


また、メイド喫茶自体もその後色々あったようです。
スタッフの中でも一番可愛かったスタッフがある日を境に来なくなっていたのですが、オーナーと不倫関係になっていて、秋葉原にマンションをかりて同棲をしていたそうです。オーナーにはオープン当初、綺麗な某中規模食品メーカーの社長令嬢の奥様と小3くらいの息子さんがいましたが、それが原因で別れたそうな。
私が辞めた後に、その可愛いスタッフが他のスタッフの上に立つことになり、怒ったスタッフがごそっと辞めて、近くに新しくできたメイド居酒屋に集団転職していました。
ただ、その後、電車男で秋葉原やオタク文化がブレイクしたことなどもあり、秋葉原にメイド喫茶が乱立するようにもなり、そのメイド喫茶は10年ほど続いたようです。
オーナー、お店開ける時の借金2年で完済したとか言っていたので、メイド喫茶は儲かるようですよ。


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