【ぐお雑記】小山田圭吾を許せない表現規制反対派の皆様へ。
今回ははじめに僕の体験談を聞いてください。
僕が中学生の頃にいじめられていたという話です。
20年以上前。当時は今よりもオタク差別が酷かった時期で、加えて僕は気弱で挙動不審気味だった事もあってチンピラ達にいじめられていました。
奴らは僕の行動をいちいち笑いました。
「なんだあの歩き方wwwww」
「なんだあの座り方wwwww」
「なんだあの読んでる本wwwww」
一挙一動全部笑われる為、僕は余計に緊張して余計に挙動不審になっていきました。
さらに暴力も振るわれました。
廊下ですれ違う時に殴られる、というものでした。
毎日学校に来ているのですから、避けているつもりでも廊下ですれ違ってしまう時はあります。そしてすれ違う時に突然一発殴ってくるのです。
殴られた僕は痛みと驚きで軽いパニックを起こしますが、殴った当人はまるで何も起こらなかったかの様に悠々と歩き去るのです。
毎日通り魔に襲われる様なものです。会話は一切ありません。何の予告も無く本当に突然殴られ、僕がオロオロしている間に相手はさっさと立ち去るだけです。
これが顔を合わせる度に起こりました。一回も顔を合せなかった日は胸を撫でおろしたものです。逆に運悪く2回殴られた日は家に帰るまでドズ黒い感情が消えませんでした。
休み時間にトイレに行く事すら怖い日々でした。
当時の事を思い出すと今でも頭に血が上ります。それと、よく自殺しなかったものだと思います。
僕が自殺ぜずに済んだのは「あのアニメの続きを観なきゃ」とか「あのゲームを最後までクリアしなきゃ」とか、そういう希望があったおかげでしょう。
さて、突然ですが話は変わります。
小山田圭吾から仕事を奪ってはいけない、っていう話です。
憎いからって仕事を奪ってはダメでしょ。
既に小山田氏の辞任は発表されています。もっと早く記事を書くべきだったと後悔しているのですが、書かないよりは良いと思ったので書きます。
お前らジェームズ・ガンが仕事を失った時の事をもう忘れたの?
「たとえ嫌いな表現でも守ろう」ってみんな言ってたじゃん。
「過去に酷い発言をしてたとしても、今良い作品を作ってるのならそれを評価しよう」って言ってたじゃん。
何あっさりダークサイドに堕ちてるの?
そりゃあいじめは悪い事ですよ。
一応謝罪文は出したみたいですけど本当に反省してるのか怪しいものだと僕も思います。
こんな奴がオリ・パラの音楽を担当する(予定だった)なんて吐き気がしますよ。
それでも、小山田から仕事を奪う事で"制裁"とするのはダメです。
それはただの私刑です。
それはただのお気持ちです。
表現規制反対派が最も自制しなけばならない言動です。
五輪憲章
「五輪憲章に書いてあるもん!!」みたいな主張をしている人がちらほらいました。しかも中には僕なんかよりずっとベテランでフォロワーも多い表現規制反対アカウントの方もいました。しっかりしてよ。
はっきり言って僕は五輪憲章なんて読んでません。めんどくさいので。五輪憲章というものがある事も知りませんでした。すみませんね無知で。
しかしですよ、その五輪憲章とやらは我が日本国憲法よりも格上なんですか?
日本国憲法で許されている行為も、五輪憲章で禁じられていたらダメな感じですか?
IOCってそんなに偉いの? ふぅん?
随分と権威に対して従順じゃありませんか?
五輪は特別? 五輪憲章に反する人物を器用するのは国辱?
まあ、確かにそうなのかもしれません。
僕だって「良い」とは思ってませんよ。
だけと、それって「五輪が始まったら外国人がいっぱい来るからコンビニからエロ本は撤去しましょうね」とか「公の施設で行う美術展で国辱的な展示物はやめましょうね」とどう違うんですか?
そんなに簡単に"別格"とか"特別"を認めちゃって大丈夫ですか?
"別格"が大量発生して表現の場が無くなるオチになるんじゃないですか?
火が点いてしまった以上、最終的に小山田が辞任させられるのは避けられなかったんじゃないかという気はしなくもありませんが、それでも、我々表現規制反対派は小山田の続投を支持しなくちゃいけなかったんですよ。
表現規制反対は全然楽しくない活動である。
僕みたいな大して実績の無い奴が言うのもアレですけどね。
表現規制反対活動って全然楽しくありませんよ。
スカっとする出来事なんかありません。
充実感を得られる事も極めて少ないです。
大好きな漫画やアニメを守ってレスバしている時はむしろ平和だったのかもしれません。今回の小山田騒動の様な時こそが本当に根性を見せないといけない時だったんですよ。
今後、クリエイターの過去の"やらかし"が表沙汰になった時に、そのクリエイターを守るのは困難になるかもしれません。
そのクリエイターはあなたが敬愛するあの漫画家かもしれないし、あの声優かもしれないし、あのゲームデザイナーかもしれないわけです。
僕の場合は映画監督のジェームズ・ガンでした。
彼が過去にひどいツイートをしていたと知った時にはほんの少しだけ失望しました。しかし彼が作る新作映画を観たいという気持ちの方が圧倒的に強かった。だから彼が解雇されたと聞いた時にはガッカリしたし、ディズニーが憎いと思いました。
ジェームズの様な人を守るためには、小山田の事も守らないと一貫性を保てないのです。
不穏当なツイートをしただけのジェームズと被害者が存在する小山田では深刻さが別次元であると考える人もいると思います。
しかしやっかいな事に、小山田が起こした傷害行為は時効を迎えており、裁くことはできません。
小山田は『法的に問題無い』。
そう。『法的に問題無い』のです。
我々、表現規制反対派がレスバの際に好んで使いがちな『法的に問題無い』が小山田圭吾にも適用されるのです。
この事実にきちんと向き合わないといけません。
過去に僕は『表現規制反対派よ、冷酷になれ』という記事を書きました。
この『冷酷さ』は自分自身にも向けられなければならないのです。
自分の都合に合わせて憎しみを抑えたり抑えなかったりする奴はフェミニストのクソどもと大差ありません。
怒りや憎しみを抑えるのは本当に本当につらい行為です。自分で自分の心を切り裂く様な行為です。しかしそれをやらなくてはいけないんです。
全ての表現を守るために。
いじめたもん勝ちでいいのか?
「それじゃあ、いじめたもん勝ちでいいのか!!??」
「そんなのおかしいじゃないか!!」
と思う人もいるでしょう。
はい。僕もそう思います。
小山田の様な外道が裁かれずにのうのうと生活してるなんておかしいですよ。完全に同意です。
いじめ(傷害行為)から長い時間が経過しているからといって訴える事が出来ない現在の法律がおかしいのです。
傷害の時効を無くせばいい。
大人になってからでも子供の頃に受けた被害を訴える事が可能な社会になればいい。
過去の罪をきちんと清算してからでないと活躍できない社会を作ればいい。
そう思いませんか?
ぶっちゃけ、小山田本人をきちんと裁くのは難しいでしょう。だけど、我々は今回、ハラワタが煮えくり返るような経験をした。後の世の人達に同じ思いをさせない様にするにはどうしたらいいか?
そういう風に考える事はできませんか?
小山田本人は逃げ切ってしまうかもしれない。それは小山田を正当に裁ける社会を準備できなかった僕達国民の責任です。だけど今後も生まれ続けるであろう『小山田みたいな奴』を裁く法律なら作れるかもしれません。
現在なら『いじめ被害者はいじめから逃れた後もなかなか回復しづらい』といったデータが集まってきています。長い時間が経過してからでも被害を立証するのは不可能ではないかもしれません。今回の経験を生かして、より良い未来を作るのです。
「小山田を裁けないと意味が無いんだ!!」
という人もいるでしょう。だけど、それをグっとこらえないといけません。
もしも小山田を裁ける人間がいるとすれば、それは小山田から被害を受けた本人だけです。被害者本人が勇気を出して訴えれば、もしかしたら、あるいは、一矢報いる事もできるかもしれません。
しかしそれは、これを読んでいるあなたには関係の無い事です。
被害者本人に代わって小山田を裁こうなどというのは思い上がりのお気持ちです。フェミニストのクソどもと同レベルになりたくないなら、その気持ちをしっかりと抑え込むのです。
…。
…。
言いたい事は言えたかな。
とにかく、もう少し理性的に。
表現規制反対に限った話ではないのかもしれませんが、こういう時、最大の敵は大抵、自分自身なのです。
僕自身も少し興奮しながら書いたのでまとまりが無い文章になってしまったかもしれません。これを読んだみなさんにとって活動を振り返るキッカケにでもなれば幸いです。
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