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戦国武将に学ぶ!No.38~織田信長②~



”軍師” こと、株式会社GUNSHIコーポレーションの社本です。


このnoteでは経営者の軍師としての目線で、
これからの時代を生き抜く戦略を発信しています。


私は日ごろより周りの方々から
”軍師” というニックネームで、
お呼びいただいています!(笑)

社名であることもその理由ですが、
私は自他共に認める歴史好き!
とくに戦国時代が好きです。


今回は、私が好きで見習っている、
学んでいる武将や軍師を紹介するシリーズ。


ぜひ最後まで楽しんでいただけたら幸いです。





■信長のイメージ



誰もが知っている織田信長。
どんなイメージを持っていますか?


暴君のような描き方を
されることがある信長ですから、
確かにそのような一面は
持っていたのだろうなと思います。


ですから、信長は気性が荒く
厳しい人だったという印象が
あるかもしれませんが、
皆が幸せで平和に暮らせる
世の中をつくりたいとの想いで
天下布武てんかふぶを掲げたことは
信長①の記事に書きました。


戦国時代というのは隣同士で
土地を取り合っていた時代です。
そんな時代に信長は誰よりも早く
天下統一を掲げて目指した
素晴らしい武将なのです。


人を率いて成し遂げる力が
あったからこだと思いますが、
その中では冒頭に書いたような
暴君のような厳しい一面も
皆に見せたのだと思います。


そうはいっても、
現代でもそうですが、
厳しいだけのリーダーには
人はついて行きませんよね。
自分の中に芽生えた大きなビジョンを
実現していくためには、
絶対に周りの人たちの力が必要です。


そう考えるとやはり信長は
カリスマ性だけでなく、
組織をつくる者として
コミュニケーション力もあり、
家臣たちを掌握する力も
長けていたように思います。


人々の心を一つにし、
一つの目標、ビジョンに
共に向かわせる力を
信長は持っていたのです。


■家臣の心を見越して



信長が清州城に住んでいた頃。


国づくりに励んだおかげで
城下町は大変な賑わいを
見せていましたが、
「もっと昇り詰めるためには
美濃(現在の岐阜県)を
攻略しなければならない」
と考えた信長は、美濃の手前に位置する
小牧山(現在の愛知県小牧市)に
城をつくろうとしました。


ものすごく都会で盛り上がっている
清州を出ると言ったら家臣たちが
嫌がるのではないかと思った信長は、
小牧山よりも遠い、
現在の愛知県犬山市にある
「二宮山に築城し引っ越す」
と家臣たちに告げました。


予想通り、
家臣たちからはブーイング。


それを見た信長は、
「では小牧山へ」と告げ、
小牧山城を築城したのでした。


もしも信長が暴君だったのなら、
「文句を言わずに築城せよ!」
とでも言って家臣たちを
従わせたはずです。


しかしそうではなく
家臣たちが言うであろうこと、
つまりは家臣たちの気持ちを
先に考えて「二宮山に築城する」
と言ったのです。


やはりこのエピソードからは、
自分勝手に振る舞う暴君というよりも
人の心を読み先々を掌握する力が
あったのではないかと思えてなりません。
策士のようにも見えますが、
どうやったら家臣たちが
気持ちよく動いてくれるか?と
考えて発言していたように思います。


暴君ではない信長のイメージが
もっと浸透しますように!(笑)




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