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3年ぶりに参加にあたって

“歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマのマガジンの記事です。

あらためて、私の note の記事の目的を思い出す。

記事の目的は、お役立ちの発信ではなく、備忘録。
プロフィールにはそう書いていますが、実はこれ、お役立ちを目的にすると、書くことが苦しくなることもあるのでは? と思って決めたことでした。

ちなみに、とくに今回は備忘録的要素が強い独りよがりの内容ですので、ご注意下さい。

役立つもので「なければならない」。そのプレッシャーが大きくなると、書くことをやめてしまうだろうな、と。
そして、記事をあげる目的は、たしかに備忘録としての意味合いもあります。facebookには10年以上、意味のないことを書きつらねていますが、「あのころどうだったっけな」、と振り返るのに役立っているな、と感じているからです。
だから、書くのをやめることは避けないと備忘録を失ってしまう。ということで、お役立ち記事でないことを宣言したつもりでした。

それでもやはり、意識はしてしまい、意識すると、プレッシャーを感じるようになるものですね…
ちょっと間隔があいたり、ペースが落ちたのは、そんな事情と(2022年11月9日の記事と多少関係)、2022年10月13日の記事のことで、ちょっと落ち込んでいたこと。それらが重なってのことでした。

でも、歌系の趣味で生き方を考える、なんて大きなことを言ってきましたが、今回も、歌系の趣味がそのようなことから脱出する機会を与えてくれました。

27thリヒトクライス演奏会に参加を決める

過去に私の記事の中で、「リヒトクライス演奏会」は、2度話題にあげています。
とくに 2022年3月23日 の記事は、ほぼ、リヒトクライス演奏会の紹介記事になっているので、どのようなものかは、そちらをご参照ください。
さて、この私にとって大事なリヒトクライス演奏会も、コロナ禍には勝てませんでした。そもそも合唱団員が100名以上あがる演奏会ですから、コロナ禍による制限の格好の餌食です。2020年2月、ぎりぎりに開催した第26回を最後に、2021年、2022年は中止を余儀なくされました。だから、待ち望んでいたそれ、すなわち、第27回を開催することが決まり、今回も合同ステージの団員公募がありました。

参加を迷ったおかげで選択した意義を実感

もちろん参加は迷うことなく…ではありませんでした。

少々業務多忙なことに加えて、実は、12月から地元で新たな役割をになうことになりました。慣れないことなので、どのくらい自由に使える時間が減るのかわかりません。

さらに、所属している地元の合唱団(2022年2月22日の記事でふれた合唱をはじめるきっかけになった団体。そして、リヒトクライスは都内で行なわれ、私は群馬県民なので普段はこのような表現をしています)も、定例の演奏会のほかに、かなり大規模なイベントに出演することになったのですが、それが、見事なまでに開催日時が重なりました。
だから、迷うことなく…ではなかったのですが、迷う機会を経て参加することを決めたのは、やはり今、この記事の冒頭のような状態の私には、これが必要なのだ、と判断して選択したこと自体が、改善への大きな前進になりました。

初練習に参加して確信

さて、毎年2月に公募で集まった団員開催する演奏会ですから、練習回数もかぎられてきます。11月から毎週というわけでもなく、不定期に練習日程はくまれていました。

そして、初練習に参加してきました。

そうそう、上記のリンクした記事では、「水のいのち」という作品を歌うイベントのように表現していますが、それをきっかけに、「水のいのち」の作曲者である髙田三郎先生の作品を歌う演奏会、となっています。
実は、3年ぶり開催ですから、当然に「水のいのち」だろうと思っていたら、今年は、それと並んで人気作品である「心の四季」でした。理由をうかがったところ、「水のいのち」は、2024年度が発表60周年。だから、2024年2月の演奏会で演奏するために、今年は選択しなかったそうです。

でも、「心の四季」も、学生時代に詩集まで買った詩人のひとりである吉野弘さんの詩。20代前半の頃は、この作品の中に出てくる「雪が汚れを隠すために降り続ける」という趣旨の言葉に衝撃をうけたこともあるそれです。
さらに今回は、「もしご希望ならば、もう1ステージご一緒にいかが?」というお誘いがあり、こちらも、生徒時代に詩集まで買った詩人の一人である宮沢賢治の詩に髙田三郎が作曲した「心象スケッチ」という作品。いつもnote に綴っているような消極的な行動を選択して、あとで後悔しないように、初の2ステージ参加になりました。

「心の四季」は、過去のリヒトクライス演奏会で2度歌っています。「心象スケッチ」は歌ったことはないものの、実はかなりお気にいりの作品で、初回練習から、ぼぼ歌詞は頭にはいっている状態です。だから、初回の練習から、音に振り回されるのではなく、ある程度、詩の世界に入ることができました。

「心の四季」の上記の雪の汚れの表現、まじめな人ほど陥りやすい心理状態。今の世の中の閉塞感そのものじゃない? とか、みずすましと水の関係性、人だけが抱える愛への意識などなど。
「心象スケッチ」の賢治の細かい細かい描写。季節や時間、視点の遠近がこまかく変化して、それを音楽が引き立てるような曲を奏でて。そう、こういう丁寧で解像度の高い感覚が、今必要なんだよな…とか。

そんなことを考え…ではない。そんなことを感じているうちに、そこで確信しました。今回は、地元の合唱団の演奏会に不参加。多忙な中多少無理をしても、ここに来てよかった、と。

3年ぶりにいっしょに歌った仲間とのつながりを実感したことも大きいと思います。

原点回帰としてのリヒトクライス

迷いが大きくなったり、自信を失なったとき、一つの解決方法…ではないか。解決のきっかけを見つられるかもしれない一つは、原点に戻ってみることもあげられると思います。

いや、歌系趣味の原点回帰ならば、日程が重なった地元の合唱団の演奏会に参加かもしれません。でも、ちょうど note のマガジンに綴ってきたようなこと(生き方を考える軸としての関係とか)を考えたり、それをとおして出会ったものだったり。そして、今のいろいろなものへの視点、自分の置かれている立ち位置。そういったものの原点はここにあったと感じたわけです。合唱をはじめたことの原点は、地元合唱団であることは間違いなく、それは大事な要素です。でも、歌系趣味から生き方を考えることの原点は、リヒトクライスだった、と言えるかもしれません。

まだ、きっかけを見つけただけで、改善にはいたっていません。でも、きっかけが見つかれば進む方向は判断できる。
歌系の趣味から生き方を考えていたから、それを見失ったときは、歌系の趣味の原点に立ち返ることで、光をみつけられたのかも。そんなふうに思った、ということの、備忘録の記事でした。


冒頭画像は、言うまでもなく、27回リヒトクライスのチラシの上半分です(note の画像挿入の仕様の都合から、少しアスペクト比をかえてます)。中核団体である混声合唱団コーロ・ソフィアさんのHPに掲載されているチラシから引用しました。
演奏会の詳しい案内もそちらにありますので、もしよろしければ、ご覧ください。
混声合唱団コーロ・ソフィア

この記事は、参加しているメンバーシップ「じぶん綴り方」のフリーテーマを意識して残しました。「自分の感じたこと・考えたことを、掲示板に投稿し、素直な気持ちを書き合い・読み合う」というシンプルなメンバーシップです。もしよろしければ、一緒に書き合い・読み合いしませんか?
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