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“歌系の趣味”のスタート…合唱との出会いその①

 “歌系の趣味”をなぜ続けているのか、と問われて、「生き方を考えるために続ける」と、答えたことをきっかけに(この記事で紹介)、“歌系の趣味”にまつわるエピソードから自分観察してみようというテーマの16回目です。幼少時代からの歌や音楽との接点を振り返って、どう生き方につながったか、と、沿革から考える流れですが、この“歌系の趣味”という表現のとおり、これを趣味として認識したスタートは、合唱でした。その合唱との出会いなので、何回かに分割します…が、第一回の今回は、合唱に出会うまでの合唱との関係性というところでしょうか。

合唱と無縁だった生徒・学生時代

今でもわからないのですが、ふつう(ってなんなんだか。まぁ、公立の小学校、中学校としてください)の小学生、中学生を過ごしていると、音楽の授業などで、合唱をする場面というのはあるのでしょうか。

それを合唱として意識したことはなく、でも、あとで「合唱の定義」に照らすと、あれは合唱だったのだな、というのはありますが、少なくとも、小学生~中学生の時代に学校で合唱をした記憶はまったくない、というが私です。

いや、正確には、同声2部は経験があったと認識してます。

そんなわけないだろう。クラスで音楽の授業で…と、いうご意見はあるかもしれません。

そう、わからないのですが、そういう「状態はあった」と、私も推測します。でも、私は、ちょっと特殊で、小学校~高校まで、男子校だったのです。だから、同声二部(男声で、高音部と低音部にわかれる)は記憶にありますが、そこに、女声の声が混ざっている経験も記憶もまったくないわけです。

混声3部を経験しなかったことの是非

平成9年に合唱というジャンルに出会って、そこでの勉強で知ったことの一つに、変声前後の男声を意識して、日本では混声3部合唱がひろまった、というお話がありました。そして、私が合唱という趣味に出会ったときは、中学の音楽の先生が、私たちの社会人合唱団を指導していたこともあり、この、混声3部合唱曲のいくつかに取り組んだ経験もあります。

しかし、これは、実にむずかしい。ときに男声はテノールの役割を果たしたり、バス役割を担ったり。アルトの役割や音域も担う作品もあると思います。

でも、当時所属していた合唱団の同世代の皆さんは、みんな、この混声三部合唱を経験していました。それだけ、中学の音楽の授業での、重要なコンテンツだったのだな、と思い知らされた、という印象がありました。

同声2部の低音部担当の経験

私は、変声がかなり早い方でした。小学校5年生の夏休み2日目に、突然その日はきました。それまでは、ボーイソプラノがどうのこうの、という以前に、そもそも話し声もキンキンだし、歌っても、うわずって、上にはずれる音痴が問題だったほどです。だから、小学校5年の夏休み2日目に、突然大人の声の高さに切り替わったのは、自分でそれを受入れることができませんでした。
そんなわけで、ひとりで歌う(斉唱含む)ときは、当時の自分なりに一所懸命工夫して生み出したテクニックです。すべて、ファルセットで歌う。でも、音楽の授業などで、同声2部をやるときは、低音部を進んでかって出て、歌う。そんなのが、この時期の私だったわけです。

なので、「紅葉」とか「花」など、学校で教わる2部合唱、「気球に乗ってどこまでも」といった、定番の2部合唱曲は、低音部で練習したので、いまでも低音部のメロディが出てくるほどだったりします。

混声合唱との唯一の接点は、大学時代の友人の演奏会

ふつうに学校に通っていれば経験する混声3部合唱は、男子校だったことで経験なし。
そんな私の、合唱を趣味としてはじめるまでの中での唯一の混声合唱との接点は、大学時代の友人がグリークラブに在籍していたことでした。彼から、演奏会のチケットを購入したり、いただきました。そして、興味があるわけではないものの、彼が出ているから、という理由で、結構演奏会には足を運びました。忘れもしません。吉原幸子作詞の合唱曲の歌詞があまりにも唐突で、聞きながらわらいを堪えられなかった。そのくらい、合唱曲への理解がない時代でした(ちなみに、そのときの演奏曲は、「幼年連祷」(新実徳英作曲)。合唱とは、一つのことばを滑稽なほどにまで大げさに表現するものなのだ、という印象すら、そのときには思ったものです(笑いを堪えられなかったのは、「半透明の巨大なナメクジが」のところなのですが)。
そんな状況ではありましたが、他方で、このグリークラブは、バッハ以前の音楽も積極的にとりあげたりもしました。小学校からいわゆる「ミッション系」だったこともあり、お昼休みにはグレゴリア聖歌が流れる学校です。その記憶と、バッハ以前の「ルネサンスモノ」と合唱の世界では言われる音楽が、微妙にむすびついたのだと思います。ラッススパレストリーナという、王道のクラッシック音楽ファンでも、第一線ではなく、2番目以降に位置づけられるジャンルの音楽を、友人の演奏会で思い出して、「維持」できたことが、のちの合唱を趣味とする動機付けになったのだと思います。

生き方との接点は?

さて、合唱との出会いは分割するので、分割の仕方によっては、このマガジンのテーマである「自分観察」や「生き方」との接点は希薄になります。今回は、比較的薄い方だ思います。

原点の前への関心
その中であえてあげると、歴史の原点のさらに前を求めるものの見方は、もしかすると、ここに起因するのかもしれない、というのはあげられます。
私は、音楽ジャンルでいうと、バロックよりもあとの時代の音楽にはあまり関心がない、というのが正直なところ。いや、20世紀以降のクラッシックは多少関心がありますが、いわゆる「クラッシック」といえば王道の時代(17~19C)には、聞いていて心地よいのですが、そのなりたちとか、背景といったものにまで関心がおよばない傾向があります。

これは、仕事の上でも同じで、お客さまのことをできるだけ知ってお付き合いさせていただきたい。そう思うのですが、創業よりも前。社長が起業する前のできごとにむしろ関心がむきます。「沿革」を語るときの起点があるわけですが、起点は、沿革をお話してくださる方が意識的に認識できていることからです。でも、ものごとの本質や、実は、いろいろな判断に影響を与えているのは、そのまたさらに以前のできごとや経験に影響をうけているのではないか。

そう、思っているのですが、その視点は、ここに起源があるのかもしれません。

ちなみに、このマガジンも、自分についてそれをさぐってみたい、という気持ちがあったからこそだとも思います。

よりシンプルで例外がない世界の中での表現
バロック以前の多声音楽は、シンプルかつ、例外がない(まったくないわけではなく、例外が締めるウェイトが少ないだけだと私は理解しています)。モーツァルトが、主要3和音だけで美しい音楽を作曲した、という趣旨の記事や番組は毎年のようにあります。でも、バッハ以前の音楽は、地域にもよりますが、3度和音すらほとんど使われず、4、5度の和音の音楽。その制約の中で、ときどき「はみだしてみるか」という音があると、それが極めて刺激的で。私的には、そういうのが、ジーーーーンときてしまったり。ヴィクトリアの(私は、“やんちゃ”というイメージなのですが)スペインらしい積極的なはみだしぶりや、バードなどのイギリスの当時の音楽の均整の中の3度の和音の使い方は、ドップリとはまりました。

いや、こういう話しは、あまりにも“歌系の趣味”に軸足をおいてしまっていますが、基本を維持してシンプルに、かつ例外をできるかぎり排除した中で、突然効果的に使われる例外。そういうものを好む傾向があります。それは、現業の事務所経営の戦略の中であらわれていて、基本は、あまりにも古典的な経営指針ですが、そこにあたらしいものや、奇抜なもの、それまでの常識と違うものがあると、過剰に反応してしまう「癖」は、こんな“歌系”の好みに起因しているのかもしれない、と、今回思った次第です。

ちなみに…古楽を専門的に勉強したことはありません。でも、理由があって、14~16世紀の音楽を聞きまくった時期がありました。デュファイオケゲムの世界になると、上記とまた別の世界が感じられ、(それが起因していることは決してないと思いますが、それを好む共通項として)オケゲムの世界は、私の今の生活でも、ビジネスでも、なんらかの事業計画をたてるときの発想に似ているな、と思う箇所が多々あるのは、いずれ、分析してみたいと思っています。

“歌系の趣味”の原点、合唱をはじめたきっかけ

脱線といえる趣味的なところが長くなってしまいました。マガジンの本題にもどって、このテーマで分割の第一回は引き取りたいと思います。

現業をはじめて2年目。前回の沿革のお話でもふれていたように、20代前半は、音楽との接点が一番希薄な時期でした。そんな中、幼少時代から一番一緒に遊んだ従兄弟から「合唱団を作るから、手伝ってほしい」と声をかけられたのです。

え? 作る?

ふつうは、そう思うのではないでしょうか。高崎市は、合唱団の数だけはトップクラスの自治体です(合唱の世界では、数だけの群馬。レベルが低い群馬、ということは、後に聞くところになりますが、数はあるのです)。だから、従兄弟が合唱をしたいならば、既存の合唱団に参加すればいいはずです。

でも、従兄弟はちがいました。あくまでも合唱団を作る。

事情を聞いたところ、高崎まつり(毎年8月第1週の週末に開催)で、久しぶりに中学時代の同級生が集まったのだそうです。従兄弟は前年まで地方に丁稚奉公に出ていたので、このときは、久しぶりだったのでしょう。そのうちあげの席です。大人になってそれぞれが職についたとき、共通の話題は、中学の思い出になります。そこで、私が経験したことがない、「クラス合唱」が話題となり、「あのときに歌った『大地讃頌』をまた歌おう」という話題で盛り上がったそうです。だから、既存の合唱団に参加はありえない。

もう、彼の熱意だけだったと思います。仕事もはじめてまだ1年。余裕のないときのお誘いでしたが、彼の声がけならば、断れない。そう思って、合唱団の創設に参画したのが、このマガジンの“歌系の趣味”の第一歩です。

熱意と関係性だけで、人は動くんだな、ということを、今となってはしみじみ思うエピソードでもありました。

さて、かなり長くなりましたので、ここで引取、分割した次回は、初練習とそのときのハーモニーの経験などをとりあげたいと思います。

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トップの画像は、この従兄弟と創立をともにした合唱団を、私は2006年に退団するのですが、その前に開催した第三回演奏会(2005.3.12)の男声アンサンブルの写真です。ですから、わたしの17年前の影像。ちなみに、歌っている曲は、さだまさしさんの「秋桜」でした。

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