見出し画像

【甲陽軍鑑】海尻城跡に行ってみた

甲陽軍鑑に記載のある海尻城跡に行ってきました!海尻城跡は長野県南牧村にあります!

●目次

1甲陽軍鑑での海尻城
2海尻城を建てたのは?
3実際に行ってみた!
4まとめ

1甲陽軍鑑での海尻城エピソード

主に甲陽軍鑑 品第二十に海尻城は登場します。
品第二十二、二十三にも話題にあがりますね。

エピソードは次の通りです。

天文9(1540)年1月16日、武田家重臣板垣信方の知略をもってこの城を攻略しました。

本丸を小山田備中守昌行(父昌辰説有り。)、二の丸を日向大和守昌時、三の丸を長坂左衛国清が守りました。

しかし、同年12月海尻の地士等の一揆が村上氏の意に通じ声援を得てこの城を囲み攻め、村上氏の将額岸寺和泉光氏等が二の丸まで陥れましたが、本城は固く守り降らず既に12月晦日甲州より武田の将軍の到着により村上勢は敗退しました。

これが甲陽軍鑑に記載された海尻城合戦です。武田信虎は海尻城を拠点とし、佐久方面への信濃侵攻路を確保しました。


2海尻城を建てたのは誰?

前山城主伴野氏の家臣井出長門守の築いたものといわれています。海尻城は北を大月川、東を千曲川、南を新殿川に囲まれています。また、西は堀切を挟んで日向山を背にしています。山城です!


3実際に行ってみた

海尻城跡の登城口は医王院というお寺が目印です!史跡海尻城跡の石柱もありますね!また、お寺の裏側、大月川沿いに3台分(詰めれば6台)の駐車場があります。

医王院

↑の入り口を先に進むと左手に登城口が見えてきます!早速登っていきます!

海尻城跡登城口

本丸までの道はこんな感じです!
階段なども整備されており10分もしないで登り切る事ができます!

本丸までの道

登り切ると海尻城跡と書かれた案内柱が迎えてくれます!

海尻城跡案内柱

奥に進むと本丸があります。
この石碑の裏に当時は堀切があったそうです!

本丸跡

本丸跡地の石碑を背にすると
本丸から1段下がり二の丸です。
(南牧村さんHP掲載の縄張りを参考に本丸などの位置関係について記述しています。私の解釈違いでしたらごめんなさい)

石柱から1段下がって二の丸

石柱後ろの堀切も見てみました。

本丸西側の様子
写真右手に本丸石碑を見上げる位置関係

当時と現在でどれくらいの違いがあるのかは不明ですが、堀切があった雰囲気はあります。(ニワカ)

有識者の方がいらっしゃいましたら後学のためにご指導よろしくお願いします🙇‍♂️

その他写真↓

お寺入り口付近の懐かしい自販機
お寺入り口の交差点
北を流れる大月川
大月川

4まとめ

山に登るのも大変ではないのでぜひ足を運んでいただけたらと思います!

今後も甲陽軍鑑聖地巡礼を細々とやっていきたいです!

海尻城の近くには武田信玄初陣に関するエピソードで登場する海ノ口城跡もあります!

武田信玄の初陣は海ノ口城ではなく海尻城なのではないか?という説もあります。海ノ口城は交通の要所から少しそれています。
海尻城は交通の要所にあります。
位置関係や交通事情を考えるとその説も説得力がある気がしています。

みなさんはどう思いますか?
分からない事はたくさんですが甲陽軍鑑を楽しみたいと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?