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【甲陽軍鑑】積翠寺に行ってみた

積翠寺とは?

積翠寺は武田家3代の居館である躑躅ヶ崎館の北側にあるお寺です。

1521年に今川家が甲斐国へ1万5千の大軍で侵攻し、武田信虎は飯田河原で戦うことになりました。このときの武田軍は2千ほどの兵数でした。

飯田河原は躑躅ヶ崎館から近距離のため武田信玄を身籠ってた大井夫人は積翠寺に避難してそこで信玄を産むことになります。

(積翠寺のすぐ近くの要害城で生まれたという説もあります。)

少ない兵数ながらも信虎は今川勢に勝ち、その際に武田信玄が生まれたことから、信玄は幼少期に勝千代と呼ばれていました。

この呼び方については甲陽軍鑑にしか記載がありません。

しかしながら、武田勝頼の勝は勝千代に由来しているなんて話もあります。

甲陽軍鑑にしかないエピソードは嘘と言われがちですがどうなんでしょうね。

そこが甲陽軍鑑のロマンであり魅力だと思います。

そんなエピソードのある積翠寺に行ってました。

看板
積翠寺
積翠寺
積翠寺
積翠寺前の道路からの景色。甲府の街が見下ろせます。
駐車場

おまけ
近くに要害山城があります。
1時間ほどの登山になるので
入口まで行ってみました。

ちゃんとした登山装備が必要かもです。
時間の都合上途中まで登ってみました。

要害山
要害山
要害山
要害山

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