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『岩田さん』は現代版の『雨にもマケズ』だし、イベントは『明い悼みの場』だった

岩田さんのことはほぼ日のコンテンツで見て知っていた程度だった。なのに、話を聞いていたら大事な友達のような気持ちになってしまった。

「雨ニモ負ケズ」だな、と思った

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イベントのお話を聞かせていただいて、この『岩田さん』という本は、というか、岩田さんという人の存在は、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』に出てくる言葉のようだな、と感じた。うまく言えないけどつまり「岩田さんみたいな人になりたい」ということだ。

もちろん多くの名作ゲームを開発し、任天堂の社長を務め、すごい実績を残した方だから「岩田さんみたいになりたい」と思う人が多いのは当然なんだけど、そういったお仕事において岩田さんのような功績を残したいという意味ではなくて、岩田さんの人としてのあり方を見習いたいと思った。

こういうことを書くとき、わたしは「人としての姿勢を……」とか書きがちだけど、岩田さんはたぶん「そういう姿勢を持って生きていた」というより、「そういう人であった」という言い方のほうが合っている気がする。

イベントの中からいくつか、個人的に感じた岩田さんの「なりたいポイント」をご紹介します。

 目の前の人をハッピーにする。

古賀:(イベント前に『岩田さん』を改めて読んで)岩田さんの、仲間の人たちに対する思いの強さっていうのがやっぱり他の経営者といちばん違うところかなというふうに思ったんですね。「関わる人たちがハッピーに」「ハッピー」っていう言葉が何度も使われてますけど、よく「社員がハッピーであればお客さんたちもハッピーになる」というロジックで語られることがあるんですけど、岩田さんはもっと単純に、本当に目の前の人をハッピーにさせたかった人なんじゃないかなっていう気がするんですね。

永田:岩田さんって、レスポンスがほしい人なんです。何かを自分がしたとき、それが相手に届いているのか、届いたときにどう受け止められたのかっていうのを確かめたい人なんですね。たぶん、岩田さんが目指す相手のの反応のいちばん上位にあるのが、その人がハッピーであるっていうことだったんじゃないかなあ、という気はしますね。そこには会社が儲かってるとか、いいものを作ってるとかも、全部含まれてて。

古賀:なるほど。だから、お客さんももちろんだけど、まず隣の人、目の前の人

「周りの人をハッピーにしたい」という人は結構いるけど、「相手の反応がほしい、その最上級がハッピー。最上級の反応につながるように行動していく」という人ってなかなかいないと思う。そもそも相手の反応と自分の行動なかなかつなげられない。「まず隣の人、目の前の人」をハッピーにできる人になりたい。

 論理がしっかりしてる人は、誰に対しても同じことを言う。

永田論理がしっかりしてる人は、傾向としては、誰に対してもことを言う。古賀さんが、本のいちばん最初の感想で書いてたんですけども、「理系の考えを文系にも通ずるような言葉で」っておっしゃってましたよね。

古賀:ああ、はいはい。

永田:あの感じがすごく希有、他の開発者にはあんまりいなかったとこだと思いますね。

古賀:うん、そうですね。

つまり、相手によって言い方が変わってしまううちはまだ論理が固まってないということなんだな。

 人間関係がすべてのベース。

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(途中から糸井さん、登場。)
糸井:ほんとに頭がいいっていうのは、脳細胞がいちばん活発に動くのは、人間関係で。岩田さんは、そこを認めてるんです。そのうえで、あの人は、この人はっていうのを見てる。
やっぱり人間関係っていうのはもう文科系も理科系もなく、ありますよね。そこを相当、岩田さんは大人になってから勉強したんだと思うんです。

永田:人のこと、すごい分かってますもんね。なんていうか、若い開発者とか。取材に立ち会っててね、社員の名前が分かるとかいうレベルじゃなくて、個性を把握してるから、組織のことができるみたいなところはありましたね。

糸井:うん。

古賀:へえー。

糸井:「これは人間が持ってる嫉妬の成分だな」とかさ、「これは誰もが欲しがる、手を伸ばしたい欲望だな」とか、そういうことを分かったうえで「誰かが上手くいってない」だとか「いってる」だとかっていうのを、いい悪いじゃなく見られるっていうことは……それは彼のいちばんいいとこだったよね。だから今も話ができるんじゃない? 長いこと。

仕事も結局人間関係っていうのは、年々思う。実力だろっていう意見もあるかもしれないけど、実力があるけど人間関係を軽んじた人が仕事を失う瞬間をいくらか見てきた。だから大事だと思うけど、人間関係の勉強を続けていき、一人ひとりの個性を把握し、状態をフラットに見るというのを岩田さんの立場でやられていたのってとんでもなくすごいことだ。

 自分は後ろ。

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糸井:で、自分を後ろにできるからね。そこがすごいよね。

永田:後ろでしたね、岩田さんはね。

糸井:ちょっと過剰に後ろだった。もうちょっとなんか、なんだろう、少しワガママ言っちゃったほうが、逆に周りが楽だったかもしれないっていうことはちょっとだけ思うなあ。

古賀:その過剰に後ろなのは、宮本さんがいたからではなくですか?

糸井:宮本さんがいたからというよりは、やっぱりあの、銀行に謝りながら生きてく社長の時代っていうので、人が自分の行動を見てどういうことを思うだろうっていうのを、結構見たからじゃないかな。ああ、素晴らしい役人っていうのはそうなのかもね。自分が前に出る意味もないと思ってるだろうし。だから、車の買い替えみたいなのがさ、すっごい地味なのよ。

「前に出ていこう」みたいなことを言われることはよくあるし、「相手を第一に」という話もあるけど、「自分を後ろにする」みたいな論調ってあまりない気がしていて。取締役社長が自分を後ろにするってかなりレアケースだし、自分の苦い経験を「昔は大変だった……」みたいな話じゃなく、ポリシーに変換できているのってかっこいい。

 

 人を悪く言わない。

糸井:あと、人の悪口を言わないよね、やっぱり。陰でも言わないね。

古賀:それはすごいですね。

永田:二人で京都の家とかでしゃべってたときに、ちょっと愚痴っぽくなったりみたいな局面すらもあんまりない?

糸井:ないね。「あいつはイヤだよね」っていう人には近づかないしね。

永田:ああ、なるほどね。

人の悪口を言わないほうがいいのは当たり前のことではあるけど、徹底できる人ってなかなかいない。

 素敵なことをしている人はみんな、ナルシスト。

糸井:今日、皆川明さんのミナペルホネンの展覧会に行ってきて、刺激うけてすごかったんですけど、帰りに出口で「あ、やっぱりナルシストだな」と思ったんですよね。

永田:皆川さんが。

糸井:皆川さんが。で、だいたい素敵なことしてる人は、ナルシスティックですよね。で、それはもう永ちゃんから何から。で、「岩田さんはどうなんだろう?」って思ったんだけど、絶対に岩田さんもそうですよ。
ナルシストっていう言葉はいい意味で使われてないんだけど、すごくコミュニケーションを取れるナルシストたちも世の中にはいっぱいいて。いま挙げた皆さんもたぶんそうなんですよ。
つまり、お前ならできるとか、やればできるっていう信じ方を自分にしてるっていうこと自体が、やっぱりナルシスティックなことだと思うんですよね。で、「ああ、岩田さんもそうだよ、きっと」っていう、なんて言うんだろう、この本をよく読むと、自分好きな部分が浮かび上がってくるような気がするんだ。

古賀:うんうん、そうですね。

糸井:それがちゃんと残せたっていうのは、なんか良かったなあ。人間って、そうじゃないと、なんだかつまんないんだろうな。

古賀:うん、分かります。

糸井:今日の今日の感想だよ。そう思いましたね。

「素敵なことをしている人はみんなナルシスト」全くなかった発想だけど、いま流行りの自己肯定感にもつながるのかなと思った。やればできるって自分を信じられないと、素敵なことはできないんだな。

『明るい悼みの場』に救われた

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この『岩田さん』イベントについて書く試みに参加させていただいたことで、もうひとつよかったなと思ったことがある。個人的なことで恐縮だが、親しかった友人を病気で亡くしていて、もう10年経つけどいまだに思い出すと涙が出てしまうし、彼女の話をすると声がふるえてしまう。よかったことや感謝の気持ちがたくさんあるけど、どうしても悲しさと悔しさが消えないくて、だからこの日の明るい雰囲気はとても印象的だった。

岩田さんも糸井さんも永田さんもすごい人だし、お仕事での関係もあったし、大人だし、いろいろ違うから比べられない。そもそも追悼イベント的なものではないけど、このイベントでは岩田さんがもういないさみしさも口にしながら、本当にうれしそうに岩田さんの話をしていた。その空間に、生き生きと岩田さんが存在していた。

イベント内で永田さんと糸井さんがそれぞれ岩田さんについて話しているところで印象的だった部分ををピックアップしました。

古賀:きっと永田さんはこの原稿をまとめてるときって、岩田さんの声が頭に響いてたと思うんですよね。それを四年経ったとはいえ、まとめていく中で、僕もたまにあるんですけど、書きながらちょっと涙が出てきて筆がとまるとか、そういうことはなかったですか?
永田:ああー、そういう気持ちに高ぶることはなかったですね。
古賀:なかった。
永田:高ぶるスイッチはあちらこちらにあるので、「おっ」っていうのはよくありますけども、まとめるときは別の頭でやってますねえ、完全に。あと、前に自分が編集したものともういっぺん向き合う感じなので、その分、ナマの岩田さんというよりは、ちょっとワンクッションおいてるのかもしれないですね。
古賀:ああ、そっか。そのときの自分もそこに入るし、あのときの糸井さんも入るし、うんうん、そうかそうか。
(中略)
永田:岩田さんという人がいなくなるよりは、岩田さんのことを残したいっていう気持ちでいたので。
(中略)
古賀:じゃ、その四年間は、ずーっと頭の片隅にこの本の存在が。
永田:ありました、ありました。「やらなきゃな、出さなきゃな」っていうのが。でもそれは、重いものではなかったですね。
古賀:あ、そうですか。
永田:もちろん、仕事としてやらなきゃっていう重みみたいなのはあるんですけども「時間が出来たらあれに取り組むぞ」っていう、ちょっと楽しみの一つでもあって。それは面白かったし、「終わってほしくない」とまでは言わないですけども、「ああ、終われ、終われ」とはあんまり思わなかったですね。
糸井:さっき後ろにいて聞いててさ、ちょっと寂しくなったね。岩田さんも僕もそうだけど、「さあ、右かな、左かな」っていうところで、「左のこと考えないことにしたんですよ、右!」って決めるときがあるじゃない。社長でもフリーランスでも。そのときに、お互い相手にいいと思うか聞くことがあったんです。
岩田さんが「いいんでしょうかね」っていうのは、嘘でもいいから「いいんじゃない」って言われたいってことがあったわけよ。
で、岩田さんは任天堂の建物の中で、「ああ、風がきましたね」みたいな感じだけど、オレはもっと、風に揺れるカカシみたいなもんだからさ、もう田んぼの真ん中でこうだからさ。「岩田さん、これどう思う?」って聞くとさ、「一つはあれですよね」とかさ、三つぐらいこう言ってきた。で、「……っていうことじゃないでしょうかね」って言われると、
「今の話、全部大丈夫ってことじゃない?」とか(笑)。「そうですよ」みたいな。あれで、だいぶ助かったんですよ。それが今はなくてさ。
古賀:確かに。
糸井:だって、「それはいいですね」って言われるだけでさ、別に岩田さんが助けてくれるわけじゃないんだけど、助かるんだ、やっぱり。それがね、あるよ。師走はいつもあるよ

ちょっと胸がぎゅっとなるけど、亡くなった後もこんな話をできる場が持たれるっていいな。人生出会いと人徳だな。なんてことを勝手に思った。

「今日は明るいお通夜みたいでしたね」という感想もあったくらいで、こんな風に明るい悼みの場があるということに救われた。わたしもいつか、こんな風に友達のことを話したい。

おわりに

このnoteは、昨年末に行われた「古賀史健が永田康大に訊く『岩田さん』のこと」というイベントを起点に、昨年参加したほぼ日の塾生で何か一緒に書きませんか、というお誘いを一期OBの寺田さんからいただいて手を挙げたのがきっかけで書きました。ほぼ日さんにご協力いただいて、イベントのお写真と音源などをご提供いただいています。ありがとうございました。

1~3章試し読みはこちら。






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