これ以上に悔しいことなんてないだろ
一年前に書きはじめて、下書きのまま丸一年経ってしまったのを同じく文化祭に行った今日、完成させました。
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同志みたいな
母校の文化祭に久しぶりに行った。
中高6年間、比較的賢く、かなり気の強い女子ばかりの中で育った。
在学中は楽しいことばかりではなかった。ぶつかり合ってしんどいことも多かった。
でも大人になって、思春期の多感な6年間を同じ場所で過ごした友達がいることのありがたみを痛感する。
いつできた友達も大切だけど、付き合いが深かった子は多くを語らなくても感覚でわかるみたいな安心感があるし、いいところも認めつつだめなところも受け入れてくれる。特別仲良くなかった子でも、大人になるとだいぶ話しやすくなったなあという人も多い。
今は全然違うことをしていても、なんでも一生懸命で自分の考えを持っている彼女たちのことを、勝手に同志のように感じてるし、良い方向に行くといいなと思ってるし、何かできることがあればしたい。少なくとも私は。
彼女
前置きが長くなってしまったけれど、母校の文化祭。卒業してから一度も母校に来たことのない友人がぽろっと行こうかなと行ったので、この機を逃すまいと連れてきた。
退職された先生も多いし、子育てしてる子も多いし、以前ほどはたくさんの人には会えなかったけど、ひと組同級生たちに再会できた。
そこに彼女はいた。
高校生のとき、一緒にバンドを組んでいた子。
小さくて(145cmくらい)いつもニコニコしてみんなに優しく、でもここぞという時には自分の考えを言える芯の強い子。
卒業後、大学生や社会人になってからもたまに会っていたけど、彼女が地方で働くことになってからは初めて会った。
地方に行く前最後に会ったとき、新卒で入った会社があまり合わなくてつらそうだった。いつも前向きで明るかった彼女が「この間大きめの地震がきて、みんな焦ってたけどこのまま死ぬならそれでもいいかなと思って何もしなかった」というような事を言っていてびっくりした。彼女がこんな風になるなんて、よほど会社か仕事が合わないのだろうなと思った。
だから、やりたい事を見つけて地方で働くことになったと聞き、行った後も精力的に働いている様子を知って、よかったなと思ってた。
ALS
でも、彼女は病気になり、こっちに戻って来なければならなくなった。
ALSという、よく知らなかった病気。調べたら、筋肉がどんどん衰えていく病気だった。その少し前に流行った「アイスバケツチャレンジ」という難病の人の気持ちを体感しようみたいなキャンペーン(あまり好きではないけど)はこの病気を体験しようというものだったらしい。アイスバケツチャレンジは一時的に体の一部が麻痺した感覚を味わうものだが、実際はどんどん動かせなくなるところが増えていく。呼吸器も顔も、最後には目も動かせなくなる。今のところ治す方法は見つかっていない。
それから数年、連絡が取れなかったが、数年前に気管切開して人工呼吸器をつけて生きる選択をしたことをFacebookで知らせてくれた。そのときコメントしたら「今は地元にいるから遊びにきてね」と書いてくれたけど、会いに行っていなかった。
自分がバタバタしていたこともあるけど、何より会ったら泣いてしまいそうで、泣いてしまったら彼女に嫌な思いをさせるのではないか、と思うと怖くて、会いに行く勇気が出なかった。
再会
そんなわけで突発的な再会だった。いつもにこにこしてた彼女はもう表情がなくて、外から見ただけでは意識があるのかないのかわからなかった。病気のことは調べてある程度の知識はあったから、見た目がそうでも意識があることは知っていたはずだけど、直面したらそれを疑ってしまうほど無表情だった。前の年のFacebookの写真では笑顔の写真もあったので、病状がそれだけ進んだのだ。
話しかけたらわかるよと言われて、笑顔で話しかけたんだけど、もちろん相手は笑顔になったりはしないから不安だった。普段のコミュニケーションってお互いの表情に助けられてるんだね。
彼女は目しか動かせないから目の動きを透明な文字盤越しに読む人が必要で、その日は学生のボランティアの方が通訳してくれた。無表情に見えた彼女には私の話がはっきり聞こえていて、私が伝えた言葉に対して返事をしたり、質問してくれていた。つまり意識ははっきりしてるんだ。こんなに意識がはっきりしているのに体が動かないなんて、わかっていたけどあらためて残酷すぎる病気だ。
我慢してたんだけど、顔は笑顔なんだけど涙が流れてきてしまって困った。嫌な思いをさせたら申し訳ない。一瞬後ろを向いて涙を止めようとしたんだけど、一緒に来た友達が背中をさすってくれて余計止まらなくなってしまった。仕方がないので多少の涙は気にせずに話を続けた。さっきは表情がないように見えたけど、目がすごくこっちを向いていた。一度別れて校内をまわっていたらまた会って、その間に彼女はご両親に私が一緒にバンドをやっていたことなど、いろいろ話したようだった。
彼女と同じ部活の子たちは慣れていて、初めてだとびっくりしちゃうよね、と声をかけてくれた。彼女たちも先生も、もう慣れていて笑顔で話しかけていた。
おそらくその通りで、彼女が病気になって初めて会ったからというのもあったと思うけど、それ以上になんだかもう悔しくて、なんで? という気持ちが止まらなかった。
なんで?
いつもにこにこしてた顔が笑うことはもうなくて、「ぐみちゃん、元気出してね」と励ましてくれたのに、言ってくれた声を聞くことも、ぽんぽんと肩を叩いてくれることも二度とない。一緒にバンドをやってて、高校生には高価ないいギターをお小遣いを貯めて買っていたのに、もう弾けない。なんでなんだよ。
よりによってこんないい子を。なんでこんないい子が。みんなに優しくして何でも一生懸命頑張って、もちろん後ろ向きになったこともあるだろうけど前を向いていたのに。
彼女にはもともと命には関わらないけど重めの持病があって、高校生のとき「自分のことを話す」というテーマのスピーチのときにそのことをクラスのみんなに話してくれて、いつも笑顔の彼女が「死にたいと思ったこともある」と言った言葉の重さに驚いたし、そのことをまっすぐに、でも前向きに話す力にも感動した。彼女にいくつも負わせすぎだ。
どうしてもっと早く会いにいかなかったんだろう。せめて顔の表情がわかるうちに行けばよかったのに。私は相変わらず馬鹿だなぁ。
この学校の同級生、もう3人も若いうちに亡くなってるんだから、これ以上もうやめてよ……不公平すぎるよ。いつもいつもいつも何もできない。私は医者じゃないし、お医者さんでもどうにもできないようなことをどうにかできるわけないんだけど、友達の病気が進んでいくのを知っていても何もできずに、大きな力の前でただただ無力さを感じるしかない。またなのか。
みんな違う人間だけど、同じ場所で6年間を過ごしたのに、急死したり治らない難病にかかる人がいる。
ぜんぶが悔しくて仕方がない。
世の中いろいろな病気があり、病気になる人が一定数いるのはもちろん知っている。それでも悔しくて仕方がない。
自分のことでもうまくいかないことはたくさんあって、悔しい思いもたくさんしてきた。でも、友人や同級生や後輩が志半ばで亡くなったり病気になったり、これ以上に悔しいことなんてないだろう。何もできないが、決して納得などせず、この悔しさを忘れずに生きていく。
自分は
彼女は身体が動かせなくなってもなお、自分のような病気があることを知ってほしいと公演をしてまわり、母校で後輩たちの前で公演したそうだ。本当にすごい。尊敬してもしきれない。
じゃあ私はどうだろう。
失敗が多いなと思う人生でも、自分で身体を動かし、声を出すことができる。まだまだやれることはあるはずだ。やれることを少しでも、やろう。
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