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moderate

気がつけば師走になっていたとか
もう今年も終わりだねとかいって
時の流れに気がつかなかったなんて
そんな言い訳が通用することもなく
時の流れが年々早くなっていくよねという比喩表現で
ただの終わりなき日常を過ごしすぎてしまった自慢なのか
常に何にも考えていないだけなのか
兎にも角にもまた一つ年が変わろうとしている

振り返れば
もういい加減辟易している人がほとんどだが
未曾有の感染症で失われた3年は
失われた平成30年に匹敵するほど強烈で
DXを強烈に推し進めたのと同時に
価値観そのものを変化させた
よくアフターとウィズの議論はされるが
ビフォーの話は誰もしなくなった
もう元には戻れない
戻れない過去の未練を断ち切りはじめた人たちと
耐えられずあちらの住人になってしまった人たちに分かれ
非常に若い世代の子供たちがこれから
ボクらがバブルの話を聞かされていた時と同じ顔をするのだろう

何者にもなれない虚無感とか
上がりもしない下がりもしない気持ちとか
本当の愛を探すTinderだとか
東カレのアプリを入れてみただけとか
伝えられなかった言葉だとか
タクシー運転手が「ちょっと気になっただけ」とか
あいみょんみたく愛を伝えたいだとか

そこから湧き上がる感情とは
何なのだろう
仄暗いけれどもどこか落ち着く
穏やかだけど足元が僅かに揺れている感覚
これがセンチメンタルなんだなと
松本伊代が16歳にして達観した領域に想いを馳せる

センチメンタル的な感情がエモいと言ってしまえばそれまでで
この感覚は心地よいのだけれど
浸かりすぎるといけ好かないポエム野郎になること必至
上手にうまくバランスが取れる対の感情が欲しい
単に懐古主義だけではなく、自己の中に存在する
前時代を疑似的に懐かしいと感じたり
感情の揺らぎを類似視覚的なものと半ば強引に紐付けたり
そこから生じる沼的なものに気をつけて
うまく距離を置かなければならない

ボクたちを取り巻くタイムラインは
平安中期の末法思想みたいに
緩やかな阿鼻叫喚が聞こえてくる
誰が座布団をたくさん取るかの大喜利と
いかに安全圏から石を投げられるかのゲーム
刺激的ではあるけれど
ジワジワと心が削られていく

緩やかにスタートしたイカゲーム的な
相対的な評価経済椅子取りゲームは
そのゲームから降りるという選択肢を取る者に
強烈な痛みを与える
そんな一見ユートピアに見える
ディストピアを生き抜く為のサバイバルとして
中庸と中道を自分の中で深めていきたい
どちらも同じような字面で違いが分かりづらい
根幹にあるものが儒教と仏教の教えの違いもあるので
余計ややこしく感じるのかもしれない

「中庸」とは右でもなく左でもなく
中間の考え方で勘案してバランスを取ること、真ん中
対して「中道」は真ん中ではなくその時々で最適な選択をすること
たとえるなら弁証法のアウフヘーベン的なもの
中庸は思想のこと
中道は中庸を基に是々非々を経て行動を取ること
この一連の流れをまとめて
勝手に「中庸道」と名付けてみた

その中庸道で考えれば
自己満足なんだけど
他人に評価されるために努力し
評価されて嬉しくなりさらに評価されるように考え行動する
ということを繰り返すことでいつの間にか誰かの役立つ
自己中心的利他までいけるといいな

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