トランスジェンダーというカルト② カムアウト
元夫に女性になりたいと言われるまでの経緯は、実にくだらないものだった。英国では毎年各地で日本の文化イベントが開催される。規模は大小様々だが、なかにはアニメやコスプレに寛容なところもある。私と彼は前年に行った大きめのイベントが楽しかったから今年も行こうと話をメッサージ上でしていた。その中で、彼は自分の好きなアニメのコスプレに挑戦してみたいと私に話した。彼は前から思いつきで、自分の願望を口に出すタイプで、私はそれがずっと頭にきていた。ゲーム配信者になりたい、と言って実際に配信してみたら友達以外の客は集まらず、結局数週間で諦めた。ヴィーガンになりたいと言ったときも、料理は私の役割なのに出来上がった食事にケチをつけて、これは食べないと言ったこともあった。好きなアニメは男性向けだから、まさか女装か?またいつもの思いつきだと分かっていた私は「恥ずかしいからやめて」と怒った。イベントの参加者には日本人も多いので、知り合いでもいたら大変だと。
いつものように「やっぱやーめた」となると思ったら、彼はしばらく黙り込んだ。私が仕事から帰ってきても、いつもは出迎えるのに自分の部屋に籠もっているようだった。私の職場のほうが自宅から離れていたので、彼が先に帰っていることが多かった。夕飯まで寝ているのかと思い、私は部屋に行かなかった。当時は引っ越したばかりでリビングにテーブルがなかったので、夕飯を彼の部屋に持っていくと、パソコンの前で塞ぎ込んだままだった。金曜日の夜だった。彼は疲れているときは最低限のこと以外は喋らなくなる。一週間の疲れが溜まっているのだろうとしつこく理由は聞かなかった。その後はいつものようにそれぞれ夜を過ごして、私は先に寝た。私は昔から睡眠時間が人より長く、私は彼より先に寝て、彼は私が起きる前にすでに起きていることが日常だった。いつもの夜、いつもの金曜日のはずだった。
私が朝起きたとき、彼はすでに自分の部屋にいた。早めの昼食はいらないと言うので、朝食をしっかり食べたのだろうとさほど気にしなかった。私もやっと週末がきたので、とにかくご飯を食べて昼寝をしたかった。もともとインドアな夫婦だったので、週末は外出せずに家で過ごして、一緒に映画を見る日もあったが、それぞれの部屋で自由に過ごすことが普通だった。私が昼寝から起きて夕方前だったと思う。眠気覚ましに寝室にある自分のパソコンでテレビをみていると、元夫が部屋に入ってきて、泣きながら手紙を渡してきた。
男は感情を露わにしないし、泣かないんだといつも言っていたので、何事かと驚いた。混乱しながら手紙を読むと、そこには彼が生まれてからずっと自分の性別に違和感があったこと、これからは女として生きていきたいけれど、私を愛している事実は変わらないと書いてあった。読みながら生理的に手が震えた。何のことだろう?何がきっかけでこうなった?何が起こっている?女になりたい?衝撃のあまり、気が遠くなって目が霞んだ。私はいま何を読んでいる?これが現実かそうでないか、分からなくなった。全身の血液を全部一気に抜かれたようで、自分の意思で椅子に座っていないような感覚がしばらく続いた。部屋の全ての重力が自分の下半身にのしかかって、体が硬直した。ようやく動悸が治まってきて、私は考え始めた。
正直、私はこの時点では彼のカムアウトを完全に信じていなかった。逆にすぐに信じられるひとがいるだろうか?ずっと一緒にいる家族から突然「今までの自分は偽物だった」と告げられて、そうかそうかとすぐに納得するひとはいるのか?大抵のひとは「馬鹿なことを言うんじゃない」と言ったり、「明日になれば元の調子に戻っている」と思うだろう。少なくとも私はそう思っていた。彼は日頃から自分の意見を否定されると分かりやすく落ち込んでいたので、コスプレをするなと言われたことがよほどショックだったのだろう。不思議と私は冷静だった。
それに私はどうしても「性別を変える」という彼の願望が理解できなかった。女になる、とは具体的にどういうことなのか?過去の記事にあるように私は女である利点なんて何もないと思っている。苦しみと痛みの連続で、良いことなんてひとつもない。女であることを無条件にちやほやされるのは赤ん坊のときまで、女の子はおとなしくて育てやすいと男児の比較になっているときだけだろう。いつからか、女の子は大人によって性的に搾取され始め、男子より優秀だと厄介者扱いされ、性別を理由に進学や就職を親や地域によって制限される。男子のために入試では自動的に点数を引かれて、就職先は出世がほぼ期待されない一般職が当たり前で、会社では「可愛い人」「そうじゃない人」に分けられる。結婚したら名字を変えることを当然のように要求され、世帯主になることはなく、政府から支給される金は直接懐に入らない。母親になったら?離婚したら?生まれつき障害があったら?障害者になったら?病気になったら?デメリットにキリがない。これは、自分の経験や価値観だけではないと思う。女に生まれて良かったと心から思っている女性は果たしてどれほどいるのだろうか?少なくとも私は身近な人から直接聞いたことはない。
正直、私は今後の結婚生活の心配より、彼の言う「女として生きる」の真意の方が気になった。それは彼から最初に「これからの愛情に変わらない」と言われたからかもしれないが、それにしても当時の私はやけに冷静で、今思うと、すでに正気じゃなかったのかもしれない。
どちらにせよ、この出来事が、元夫が正気ではないことを私はそれから数年かけて学ぶことになる。
(次の記事に続く↓)
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