バター鮭子🐟

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はじめに

私は良い妻ではなかった。良いパートナーでもなかった。 家事はできないし、お金も稼げないろくでもない存在だった。 結婚生活は思っていたより大変で、我慢も多かった。私は感情的で飽き性だし、これが最初で最後の結婚生活になるとは自分でも思っていなかったけれど、まさか夫が本当は女に生まれたかったという理由で結婚生活が終わるとは思ってもいなかった。 私はこの出来事が起こる前からトランスジェンダリズムには懐疑的だった。 いくら性器を切り落とそうが、ホルモン治療をしようが、性別は変えられな

    • 名誉男性の末路

      ※この記事には性暴力が含まれます 私が直接的な性暴力、レイプの被害に遭ったのは19歳のときだった。 ありふれた話で、バイト先の20歳年上のフリーターに片思いをしていた私はその人の家に行った。最初はバイト先に近いお店でご飯を食べようという誘いだったが、直前になってその人の家で手料理を振る舞ってくれることになった。私はその人のことが好きだったし、そういう関係になってもよかったので、その夜は彼の家に泊まったが、私は途中でやっぱりやめて欲しいと言った。無理やり続けることはなかった

      • ポルノの消費

        ※この記事には性暴力の表現が含まれています 私は高校を卒業するまで、恋愛とは縁のない人生だった。 中学生のときにクラスの男子と学級委員の課題を終わらせるため、週末に駅前の図書館へ行くことになったのだが、それを聞いた母はとち狂った。すでに学校で約束して家に帰ってきた私は、携帯もない時代にどう断ればいいか分からなかった。一方で母は私にはネチネチ言うくせに、世間体を気にして相手の家に電話をすることはなく、「本当は違うところへ行くんじゃないか」「男と出かけるなんて何を考えている」「

        • シルバーブレット

          ※この記事には性暴力の描写が含まれています 私がポルノを消費し始めたのは、11歳くらいからだと思う。 たしか8歳のときだった。週末のある朝、家族がまだ寝ている中、リビングに行った。週末だけはおはスタを観ることができるので、何も考えず、いつもの習慣で寝ぼけながらリモコンをオンにした。そこにうつっていたのはおはスタジオではなく、電車で痴漢をされる若い女性だった。とりあえずそのままテレビを観ていると、彼女は電車から降りた後、トイレに行って自慰行為を始めた。それまでアダルトコンテン

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          ピンクのピアノ

          私の母は理想論者で、思い込みが激しく、何歳になっても夢みがちだった。彼女の母としての目標は、娘にピアノを習わせて、幼稚園の先生か看護師として就職、実家暮らしをさせることだった。私がピアノを始めたのは3歳だったと思う。習い事はつくづく残酷だ。才能が少しでもあれば自己肯定感がアップしたり、いい経験になるかもしれないが、一ミリも向いていなければ道徳的な児童拷問、生き恥製造マシーンだ。 人を馬鹿にすることが生きがいの両親に育てられた私は、人を見下す癖があったし、特に小さい頃は根拠の

          ピンクのピアノ

          トロフィー家族

          ※この記事には家庭内暴力の表現があります 父性はいつから芽生えるのか。 私は父を見るたびに疑問に思っていた。 父は5人兄弟の長男として農家に生まれ、新卒で就職した地元の会社にずっと勤めていた。私はヒステリックで口うるさい母が苦手で、ある事件が起きるまでは生粋のパパっ子だった。私が小さいころは父が休日出勤で家にいないことが当たり前で、母とふたりきりになりたくない私はしょっちゅう職場に連れてってとお願いしていた。私が幼稚園の頃はまだ土曜日授業の名残が残っていて、午前だけ登園し

          トロフィー家族

          母になる

          私は地方の中流家庭に第一子の長女として生まれた。 父は会社員で、母は私が小学校に入るとパートに戻って働く主婦、今の日本では一番多い家庭の形ではないだろうか。父は短気で、柔軟性に欠ける性格だった。母は思い込みが激しく、感情的でヒステリックだった。両親で共通するのは世間体をものすごく気にするし、とにかくプライドが高く、楽をして人生逆転したいと夢見ていたということだ。 私は妹が生まれるまでは、自分でも覚えているくらい性格の良い子どもだった。幼稚園の友達からなんでそんなに優しいのと