待ち時間のえちゅーど2
季節の変わり目にやってくる不調に悩まされる・・・・
それはマスクのせいなのか、自前のアトピーなのかは定かではないが、とにかく鼻炎と乾燥からくる痒みに気持ちが萎え、耳鼻科に行くか皮膚科に行くかと数日悩んでいた。
いよいよ「病院に行こう」と考えに及んだのは土曜日で、すぐさま行動に起こしたい翌日は日曜日で、自分の休暇とかかりつけの診療日を照らし合わせれば、休暇はすべて休診日の木曜で、ますます気が滅入る。
いつから木曜日が固定休になったのだろう…と以前調べたことがある。
理由は研修やセミナーなどの医者にまつわるイベントごとや、地域の学校などでの検診が木曜日に設定されていることが多い…ということらしい。なるほど、月曜日から注射をされたのでは子どもも気が滅入る。週明けの月曜日はとかく学校を休みがちだった自分の少年期を思い出す。
仕方がないから「遅番」に合わせて午前中の早い時間に設定し、最短で都合に合うのは月曜日の耳鼻科。運が良ければアレルギー検査で痒みの原因も追及できれば一石二鳥!…と自分を鼓舞する。
当日は、そのまま会社に出られるようにと、母に送迎を頼んだ。
耳鼻科の受付開始は8時半。開院と同時に「お願いします」と踏み出すには、早番よりも早い出発でこれまたため息。こんな時は低血圧が恨めしく思える。そりゃ彼女にも「へなちょこ」呼ばわりされるわけだ。
「駐車場空いてるかしら」
ついでのように口にする母だが、不安になるのも無理はなく、かかりつけの耳鼻科は、形成美容外科と歯科医院が一緒になっているこじんまりとしたビルで、一階の駐車場は10台となかなかに競争率が激しい。加えて片側は軽自動車しか停められないし、我が家の4WDが停められる場所は柱が立っているという厄介な空間だった。
母はあえて言わないが、おそらく苦手とする場所・・・・
しかしながら、
「早く終わって時間が出来たら、カフェでモーニングでも奢るよ」
別にモーニングで釣るつもりはないが、せめてもの労い、感謝の気持ちを伝えた。
「あら嬉しい。お母さん、あんこののったパンがいい」
母よ、世間ではそれを「小倉トースト」というんだよ。
とにかく、そのひとことで行き先は決定した。しかし。
母親は、いつから自分の呼称を「お母さん」としたのだろう。
まだ幼い頃は普通に「わたし」といっていたように思うのに、いつの間にか夫にまで「かあさん」と呼ばれている。恋人同士の頃は決して言わないであろう「かあさん」という呼び名は、照れ隠しだろうか。だが父の日々の行動を窺うに、なにか勘違いしているような気もする。
仕事先に訪れるひとの中には、自分の妻をファーストネームで呼んでいる男性もいる。そんな光景を見ると、ちょっと気恥ずかしくもなるが微笑ましいとも思えるのだ。
父よ、かつては母も「恋人」だったことを思い出してほしい。
相変わらず出入りの激しい耳鼻科の駐車場に、なんとか楽に停められそうな場所を確認、
「そんなに混んでないかもね」
という母の気持ちは、すでにカフェに行っているようだ。
「行ってきます」
そのまま駐車場で待機予定の母に「行ってきます」も変なものだが、これは長年の癖からなるものか、玄関先のような感覚がぬぐえない。当の母も、当然のように「行ってらっしゃい」と答えるのだから、お互い様か。
「あっちの車が出たら、出やすいところに移動しておくわね」
と、入り口付近に目をやる母。
やはり、柱の隣は出庫時が不安なのだろう。
「わかった」
駐車場の車は少なかったが、耳鼻科の受付はすでに並んでいて、14番目だった。待合の人数を見回すに、1時間もあれば終わるかと予測できるがどうだろう。とりあえず、順当にいけば予定通り母とモーニングは叶いそうだ。
耳鼻科の待合室には老若男女、実に様々なひとが見受けられる。待機時間を考えてイヤホンを持ち込んだが、特に音楽を聴く気分でもないし、少々周りの会話に耳を傾けてみることにする。
聞き耳を立てる行為は、電車では憚られるが、病院なら差し支えないだろうか。しかし、悪趣味といわれても仕方がないか。
時期的に花粉症患者が多いかと辺りを窺う。
診察を終えたらしい隣の女性は「メニエール病」ではないかと診断され「月曜は混むからそこを避けて来院ください」と言われていた。
やはり、月曜日は混むのだな。
向かい側で満面の笑みを見せている女の子は、楽しそうにパパに絵本を読んでもらっていたが、自分の名前を呼ばれた途端に泣き出した。歯医者でもないのに、なにか怖いことをされるのだろうかと想像する。パパがうまいこと宥めている。
いいパパだ。
背中に赤ちゃんが寝ている若いママは、せわしなく両足を上下に振る愛息の行動が気になるらしく、しかし叱ることはせずに「たっくん」と名前を呼びながら、膝をポンポンと優しく叩いている。
飽きてしまうのは解るが、あれを映画館やレストランでやられるとイライラする。自分は親には向いていないかな…と、将来を考える。
どこの病院にも持病自慢のおばあさんはいるものだ。痰が絡むのも気にならないほどに、自分の知識を披露している。処方箋にやたらと詳しく、聞き耳を立てていると退屈しない。そんな姿を見掛けると「長生きしてください」と思う。
そう言えば、しばらく祖母にあっていない。元気にしているだろうか、久しぶりにばぁちゃんの豚汁が食べたいな。
予定通り、診察は1時間ほどで終わった。ブタクサが出始めているから、アレルギーだろうとの診断だった。鼻水はそうだろうが、皮膚の赤みや痒みも果たしてそうだろうか…期待していた血液検査は、薬を飲んでも治らない場合「また来週」とのことだった。
こんな時、なにがなんでも「検査してください」と言えない自分が情けない。
会計までの間に「カフェに行けるよ」とLINEをして、薬局に向かった。薬局は診察ほど待たされず、処方箋を見せると同時に薬が出てきた。
さっきのおばあさんがここにいたら、この薬の効能を雄弁に語ってくれるだろうか…ちょっと思い出して笑った。マスクをしていてよかった。
駐車場に向かうと、母の車は出口付近に移動されていた。だが、母は運転席にいなかった。
トイレにでも行ったのだろうかと考えながら車に近づくと、助手席側から神妙な面持ちで姿を現した。もしかして・・・・
「こすっちゃった」
やっぱり。
来たときと同じように、駐車場奥に車を向けてバックで出れば問題はないのに、柱が立つ側に左折しようとして側面後部を擦ったらしい。
「お父さんにバレるかな」
悪びれもなくそう言う母は、車を傷つけたことで父に責められたことはない。にもかかわらず、隠そうとする。人間半世紀も生きていると「謝る」という行為が素直にできなくなるのだろうか。
「でもね、ここの駐車場でなにもなかったことがないの」
しゅん…としながら開き直ったことを言う。
あんたはそういう人だった…と、改めて母をかわいいと思う。
気を取り直してカフェに向かう。
宣言通りにあんこののったトーストとアイスコーヒーを注文する母。
「汗かいちゃったから」
なるほど、それなりにうろたえて体温が上昇したらしい。
なんだか気の毒に思えたので、セットにはないが特別なサラダを注文してやった。大概お人好しだな…と自分でも呆れるが、自分が送迎を頼まなければ、母も変な汗をかかずに済んだのだと思うと責任を感じる。
時間に余裕がないわけではなかったが、食事を済ませてすぐに会社に送ってもらった。なんとなく、母を早く家に帰してやりたいと思ったからだが、道中母は上機嫌で、
「早起きして、モーニング食べて、いい朝だね」
といった。
「早起きは三文の得だからな」というと、
「一文は100円にも満たないのよ」と答える。
三文て、いくらだ?…そう思案するもすかさず、
「三文は、缶ジュース一本分くらい」といった。
早起きしてジュース一本分。
得のような、そうでないような…と考えるうちに会社前。
車を降りかけ、思い出す。
「今度、ばーちゃんち行くのいつ?」
「え。いつだろ…」
「いいや、とにかく、次に帰るときは俺も行くわ」
「そう? きっと喜ぶ」
「じゃ…」
これから長い一日の始まりだと思うと気が滅入るが、改めて「行ってきます」というこちらに対し、玄関先では見せない母の「いってらっしゃい」の笑顔を受けて出勤できるこんな朝も、ホームドラマのようでたまにはいいなと思える。
母にいわせりゃ「笑顔はお嫁さんに貰いなさい」といわれるかもしれないが、まだ「母でいい」と思う、そんな待ち時間のエチュード。ちょっとした即興。
いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです