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書くひとのつぶやき

noteを始めた当初のわたしは、アクセス状況だとかビュー数だとかがまったく解らず、とりあえずプロフィール画面で見えるフォロワー数ばかりが気になって、一日に何度も何度もnoteを開いていた
まぁ、開いたところでな~んの変化もないのですが (;^ω^)

でもそのうち、ストックしてる記事が減るにつれ、そんなことを気にしている場合じゃなくなり、かといってSNS慣れもしているわけでもないものですから、無駄につぶやくことも多くて・・・・
それも一応はnoteに慣れるための練習ではあったけれど、まぁわるあがきにボツボツとつぶやいていたっけな~という印象です

本来ならそんなつぶやきは、ココロに留め、ひとり静かに打ちひしがれていればいいものを、基本がおしゃべりなものだから、ココロの声、だだ漏れしてた頃。でもね、少なくともやる気は空回りしてなかったように思う。だから、初心にかえって取り戻そうと思う

noteを始めたころは、下書きに2か月分の連載小説のストックがあった。でも・・・・

スキの数の少なさが当時の焦りを物語る
まだまだ、ひと様の記事にコメントすらできなかった頃、必死だったなぁ

だれに頼まれた訳でもないのに、ただひたすらに自分を追い込んで鼓舞した

別にだれの為でもなく、自己満足で始めた連載だったから、最後まで自己満足が通せればいいはずなのよ。でもね、人間「欲」には勝てないよねぇ

下書きばかり増える…っていうのは、今も変わりない。ただ、このころの下書きが今も残っているかと言えばそんなことはない。たとえ2年前のだろうと、下書きは必ず書ききることにしている。それがわたしのケジメ

始めた当初は赤いノートパソコンを使っていた。今は2代目
noteの仕様どころかパソコンの使い方もいまいちで、dataの以降がうまくいかずに失くした原稿もある。でも消えちゃったものは仕方ない。それはわたしに不要のものと言い聞かせ・・・・

ケツカッチン、それに見合う技量なし
追い詰められていると、言ってみたかっただけ

眠くても頑張れるときと、そうでないときがある。今は眠い時はただひたすらに眠い。「気力」「体力」っていうものは、なにをやるにも必要なんだなぁと実感

ホント、昔からプレッシャーに弱くて…
だからもう、勝負はしないことにした

パソコン機能を使いこなせておらずに、保存を忘れて大量に削除してしまったことがある。10000字くらい。まぁ、消えたものよりいいものが出来れば結果オーライ(=゚ω゚)ノ

日常生活に張りがあると、自然と頭も冴えてくる。そういうところはいい影響なのに、なかなかバランスよく結びついてくれない
「継続は力なり」って意外と重い言葉だなぁ

フォロワーさんに励まされる…なんてありがたいことだろう
ここで出来た関係性は宝。本当に大事にしたい

たとえば食事の後片付けとか、洗濯物、放置してたら小人が密かにやってきて代わりにやってくれる…なんてことはなく、結局自分でやらなければいけない。その結局「自分でやらなければいけない」をクリアすると、自信がつく。でもその自信は、持続性がなく、日々失われていく細胞のようにちょっとずつ減っていく

書けないいいわけ
でも本当に、昔は夢日記付けられるほどに鮮明に覚えていられたんだけどなぁ…若い頃は夢の中も期待でいっぱいだったけど、この頃は悪夢ばかりだ

1年半…そのくらい時間が経つと、つぶやきも減って、むしろ書けないことを記事にするようになった。随分と図太くなったもんだ


いらない記事や、くだらないつぶやきは、削除しようと思って過去記事を遡ってみた。覚えているものもあれば、まったく記憶にないものまである
でもそんなつぶやきにも、やさしいコメントがあったりして、懐かしさと感謝で、削除できなくなった。今のわたしはきっとそういうもので出来ている

若い頃の座右の銘は「初心忘れるべからず」だった。結構調子に乗りやすい質なのでね、戒めのつもりだったけれど、なんていうか口先だけで行動は伴わなかったように思う
年齢がいってからは「二兎追うものは一兎をも得ず」だ。もとが我儘なわたしは求め過ぎるきらいにある。諦めが悪いことはいいことだが、欲張りは身を亡ぼす…というか、持ち切れないものは溢れていくもので、本当に必要なものまで取りこぼしてしまう可能性があるから・・・・
でも、求め過ぎる以上にわたしは、我慢をしない。だから手に入れたいものはなんとしてでもというところに、落とし穴がないことを祈る

いくつになってもわたしは成長し凝りないなぁ

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