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ごめんねエビフライ🍤

わたしがまだレバーに出会わなかった子どもの頃、エビフライ🍤は唯一の嫌いな食べ物だった
別に食べられないわけではなかった。けれど、ひとつくらい嫌いな食べ物があってもいいと思った。というより、必要だった?

ほら、プロフィールなんかを書く時は、必ずと言っていいほど「好きなもの / 嫌いなもの」を聞かれる。長所と短所、みたいにね
好きな物はたくさんある。でも、ひとつかふたつしかかけない。嫌いなものは…ない、とは書きたくなかった
なぜなら、嫌いな食べ物「なし」って、なんだか食い意地がはってるみたいで恥ずかしいと思っていたから・・・・子どもだったしね
大人になるとこれは、履歴書に特技「なし」と書いてはいけない…ことと似ていた。とにかく、なにか記載することに意味があるのだ

そこで選ばれたのがエビフライ🍤  
なぜ選ばれたのかは、わたしの家の食卓には滅多に出てこないものだったから・・・・多分、当時は高級素材で、我が家には手の出ないものだったのかもしれない?
それに、初めて食べた記憶によると、プラスチックのような味…だった。多分冷凍食品で、子どもの味覚にはまだまだ馴染めないものだったからだろう

子どもの頃の家族構成は、祖父母、両親、妹の6人家族だった。大正生まれの祖母は、外食を良しとしないひと(⇐本当は珍しもの好き)だった。…というより、多分、嫁いびりの一環なのか、食卓のメニューにあれこれ注文をつけるひとだったから「外食=手抜き」という構図だったのだ。とにかく、子どもの頃の思い出の中で、外食という記憶はないに等しい

しかし祖母は揚げ物が大好きだ。だから本来なら、エビフライ🍤も大好きなはずだったろうけれど、自分の型を押しつけるひとだったから、食卓にエビフライ🍤が出ていたら、なんだかんだと文句をつけていたかもしれない。これは話すと長くなるので、置いといて・・・・
そもそも我が家で「揚げ物」というと、てんぷらか魚のフライが多かったかもしれない。子どもが好きな「から揚げ」は、父親が鶏肉は「もういい」ということで、あまり食卓に上がらなかったので、家で唐揚げを食べることはなかった

とにかく、子ども自分のわたしには「好き嫌い」がないことが重要だったのだ。嫌いな食べ物がないと、なんだか恥ずかしいことだと思っていた
そうして選ばれたエビフライ🍤だったが、今は出されれば、食べる。でも自分からあえては選ばないかもしれない。エビは、てんぷらの方が好きだ

子どもって、変なところで遠慮したり、我慢したりする
友だちが「ピーマンが好きだ」と言えば、苦手だったとしても負けじとピーマンを食べる。でも「なすが嫌い」「しいたけが嫌い」と言われても、それを嫌いにはなれなかった。嫌いな食べ物を探すのはとても難しかったけれど、とにかくなにかひとつくらいは「嫌い」と言ってみたかった
自分で作った制約だったけれど、嘘になってはいけないので、食べたいのに「いらない」と言ったり、好きなものを我慢したこともあった。くだらないことだけれど、それは多分、高校生くらいまで続いたと思う。購買部で売っていた「てんむす」にものすごく惹かれていたけれど、結局一度も買わずにやり過ごしてしまったくらいだ

そのあとは、別に嫌いなものを主張しなくても揚げ物自体が得意ではなくなっていた
揚げ物がダメ…というより、衣がついているものがダメだった。子どもの頃は、母親の横で、天かすをスプーンですくって食べていたほどだったのに、体型を気にする年頃になると、それは「毒」に変わった
中学時代に神経性胃炎という肩書を貰ってからは、脂身も無理になった。あまり食べなかったからか、胸やけを迎えるのも早かった笑

しかし、

高校生になり、少し離れた場所に電車で通うようになると、友だちとのつきあいの中で、外食や買い食いは欠かせなくなった
それまの食卓に「から揚げ」がなかったわたしには、学校の購買部で売っていたお弁当も「から揚げ弁当」ではなく「焼き肉弁当」をチョイスしていた。あまりから揚げに魅力を感じていなかったこともあるが、カーネルおじさんの存在を知ってからは、それまで「毒」だったものが「中毒」に変わった
あまり外食をしなかった反動なのか、楽しいものや美味しいものを知ってしまった女子高生は、塾通いをするようにカーネルおじさんに会いに行った。なんでもほどほどがいいよね

今では、エビフライ🍤もから揚げも、夢に見るほど好き💛


お付き合いありがとうございました


いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです