CIMG8496_石の回廊

ベルールの「知恵の輪」~南インド、回廊の先に

 門前には年老いた知恵の輪売りがいた。石段に腰かけ、ちぎったような段ボールに、針金を曲げて細工した知恵の輪を並べている。手元のラジオペンチを器用に使い、あっという間に複雑なリングを仕上げる手並みが、年期を感じさせた。
 「ひとつどうだ」と老人は僕に針金をつまみ上げた。彼はそれを「パズルリング」と呼んでいた。
 「力任せに引っ張っても外れない。ほら、こうやって横を向くように力を抜いて、スッと外す。できるるかな?」
 老人がニンマリ笑うと、抜け落ちた犬歯の黒い空洞が見えた。
 「パズルリングなら日本にもある」
 「50ルピーだ。安いよ」
 80円ほどか。
 「30ならいいけど」と返すと、老人は意外にも
 「また帰りに寄ってくれ」とあっさり引き下がった。僕は珍しい形の知恵の輪に興味を持っただけに、肩すかしを食った。大抵の物売りは、とことん交渉してくるのが普通なのだが。

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 ベルールは、南インド・カルナータカ州の地方都市ハッサン周辺の町。『地球の歩き方』には「ホイサラ朝の傑作寺院がある門前町」と紹介されている。
 「ホイサラ朝」などという単語は、確か高校の世界史で出会って以来、半世紀ぶりかもしれない。12世紀というから、日本では平安時代から鎌倉時代、800年以上昔の世界だ。

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