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映画について語る

SNSなどの投稿で、僕の人生ベストテン映画とかをご紹介させて頂くことなんかがありますが、この「人生ベストテンの映画」というフレーズは・・・

若い頃、映画好きの友達と集まった時の定番の話題でした(^-^;)

大学の時は映画のサークルに入っていました。
と言っても映研のようなガチな硬派で映画を愛している人の集まりではなく、映画が普通に好きな人達の集まりでした。

一歩踏み込んで言えば、まあ映画オタクの集まりのような感じです。
でも、僕が映画オタクだったかと言うと・・・微妙なところで・・・オタクだったと言うと、オタクを極めていた人達に失礼な気もするんですよね(^^;)
イメージで言うと、オタクの2軍の補欠みたいな感じでした(^-^;)

映画のビデオテープをラップで巻いて冷蔵庫に保管したりしないし、映画のパンフレットを何百冊も持っていなかったし、監督や俳優や脚本家の名前なんてあんまり知りませんでした(^^;)

当時は、自宅で映画を観るときは、主に磁気テープに映像を記録させる媒体が主流でした。

僕はVHSという企画の再生録画装置を二台持っていて、よくダビングしていました。(当時は簡単にコピー出来たのです。)

でも、好きな人はVHSの他にベーター、レーザーディスク、VHDという規格を持っている人もいましたね。

その理由が、規格によって見られる映画が違うってことでして、さすがにそこまで映画にお金を貢ぐことは出来ませんでした。

映画のパンフも見る用と、保存用に2冊買う人もいたけど、僕は一年に一冊くらいしか買わないし・・・

映画監督や俳優とかの名前なんてあんまり知らなくて、話がかみ合わないことも時々ありました(^^;)

ポールニューマンとレッドフォードくらいは知っていましたが、なんか人名とか覚えるのが苦手でした。

オタクの一軍の人達は、たぶん彼女なんていなかったでしょうが(偏見を含みます)、それでも自主制作する人なんかもいて、お金は結構必要だったと思います。

映画館でバイトしてる人もいて、時々、手伝いに行ってましたが、これは楽なバイトで、開演前後は忙しいけど、映画が始まると暇でポップコーンかパンフを売るくらいで、最後の清掃は大変だけど、一番の魅力は映画をタダで観れることでしたね。

(当時はシネコンじゃなかったので映画館はのんびりした雰囲気でした。)
好きだった活動は、映画鑑賞ツアーで、みんなで映画を観に行って、終わった後に喫茶店で不毛な語り合いをする会です。

新作は、いいのですが、旧作のオールナイト三本立てなんかで、まん中の映画がつまらないと、ちょっと辛いときもありましたけど。

そんな風で、映画オタクの人達には若干、ついて行けないこともあるけれども、こだわりのある面倒くさい人は嫌いではなく、居心地もいいような悪いような感じでした。

余談・・・そう言えば思い出したけど、学校の宿題以外で文章を書いたのはこのサークルの会報誌が最初だったような気がします。

一番、最初に書いたのが・・・確か「テレビの中のアメリカ」みたいなタイトルで、僕が子どものころからアメリカのテレビドラマが好きで、テレビを通してのアメリカに対する憧れのような事を書いたのですが、責任者の人には「そういうことじゃないんだよね」とちょっと不評だったのを覚えています。

読む人のことを考えないで書くスタイルは、当時から変わっていないのですが、良い文章とは読む人の望むことを書くことという教訓と、それができないトラウマが今でもちょっと残っています(^-^;)

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